枢機卿ヨイ・ニコル
時を遡ること二日ほど。
辺りへの延焼などものともせずに火魔法をぶちまけたカテーナは、燃えさかる炎の中を一人歩いていた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
ポイズンドラゴンを真っ向から食らった彼女は、荒い息を吐きながらもその目は死んでいなかった。
着ていたドレスはズタボロになっているし、全身は変わらず毒に侵されたままだ。
けれど念のために取っておいた魔力を使ってファイアヒールを発動させることで、これ以上体力がなくなり致命的な状態にはならないようにすることに成功していた。
「――ちいっ、なんで私が、こんな目に……」
カテーナは壁伝いに歩きながら、ゆっくりと先ほどの戦いについて反芻していた。
属性魔法の才能を持たなかった無能の庶子、ロンド。
殺すことなど朝飯前だと思っていた。
だが蓋を開けてみればどうだ。
系統外魔法である毒魔法によって翻弄され、大技を使ったにもかかわらず相手にそれを上回られた。
「ぐううっ……」
こうして逃げ帰ることしかできない今の自分は、あまりにも無様だった。
エドゥアール家において最も重要視される実力が不足しているのは、彼女にとって恥に他ならない。
グッと強く歯を食いしばると、奥歯がバキリと音を鳴らして割れるのがわかった。
全身を襲う痛みは彼女にとり、己の失敗を教えてくれる戒めであった。
彼女はゆっくりとその場を歩きながら、手配されていた賓客用の宿へと戻ることにした。
だが足を引きずりながらなんとか宿までたどり着いた彼女の目の前に、一人の男性が現れた。
目にかかるほどに長い前髪を右に流している、切れ長の瞳の男だ。
着ている服はいかにも上等なことが一目でわかる修道着。
身に付けている装飾品と合わせても、彼の立場がこの聖王国の中でも高いものであることが一目でわかった。
「お疲れ様です、カテーナ殿」
「あんた……誰よ」
「失礼、私はヨイ・ニコルと申します」
「……失礼致しました」
なんでここに枢機卿がいるのよ!?
そんな内心の声をこらえながら、ゆっくりと痛む身体を抑えて頭を下げる。
枢機卿、ヨイ・ニコル。
聖王国における最大派閥である福音派の実質的なナンバーツーであり、福音派のリーダーであるマンサルの右腕として働いている男だ。
この国の実質的な最高権力者である枢機卿がこの場にいるということに、カテーナの頭は完全にパニックに陥っていた。
すると頭を下げた彼女の周囲を、ふわりと光が包み込む。
温かな光と共に、カテーナが身体の節々から感じていた痛みが消えていった。
「ふむ、これでも毒は消えないのか……なるほど、なかなかどうして……」
ヨイはカテーナを見ながらブツブツと唱え、そしてハッとしたように目を見開いた。
「おっとすみません、一応回復魔法をかけさせてもらいましたが、もしかして要らぬお節介でしたか?」
「いえいえ、そんなことは。ありがとうございます、ニコル猊下」
「気軽にヨイ、と呼んでいただいて結構ですよ、カテーナさん」
そういってパチンとウィンクをするヨイに『そんなことできるわけないでしょうが!』と内心で突っ込むと、少しだけ心に余裕が出るようになってきた。
(なんでここにこんな大物がって、そんなこと、考えるまでもないわよね)
――今回カテーナが、ロンドの情報を手に入れたのは、福音派からの手引きによるものだった。
ロンドがこの聖王国に滞在しているという情報をさる筋から提供されたことで、実兄であるフィリックスがカテーナにロンドの討伐を命じたからである。
聖王国は自身から侵攻を行うことがない善性の国家を自称しているが、その中身は決して清らかなものとは言えない。
福音派側にもなんらかの狙いがあるのだろう。
その狙いがなんであろうと、ロンドを殺せるのなら問題はなかった……のだが。
「私が負けた無様を、笑いに来たのでしょうか?」
「いえいえ、決してそんなことは。私はただ、戦いの結果がどうなったのかが気になっていただけですよ」
垂れた前髪をサッと右に流しながら、ヨイが後ろの方へと目を向ける。
既に完全に日は落ちており、先ほどまで聞こえていたはずの喧噪がなくなっていることに気付いた。
「安心してください、事前に指示をしてありましたので、今頃既に鎮火は済んでいるはずです……一応自分も忙しい身の上ではありますので、それでは」
それだけ言うと、ヨイはそのままスタスタと歩いて去って行ってしまった。
探ってみるが、周囲に人影はない。
供回りもつけずに異国へとやってきた自分も人のことは言えないが、枢機卿が単身で夜の街を出歩くとは……と、カテーナはその奔放さに呆れた。
「……まあ、いいわ」
未だ身体に毒は残っているが、ファイアヒールで相殺していればいずれは消えてくれるだろ追う。
身体から痛みが消えたことでずいぶんと楽になったわね、とカテーナはゆっくりと宿の自室へと戻る。
「……」
ボロボロになった服を脱ぎ捨てると、ネグリジェへと着替える。
そして手痛い敗北の証をジッと見つめてから、そのまま親指の爪を噛んだ。
椅子に座り、人差し指でテーブルを叩きながらゆっくりと深呼吸をした。
けれど戦闘の直後ということもあり上手く考えがまとまらず、そのままベッドに横になった。
(……どうすべき、かしら)
自分はロンドに負けた。これは純然たる事実だ。
だがその事実は、カテーナにある考えの変化を抱かせていた。
彼女は血統主義だ。
平民の血が流れているロンドをエドゥアール家の人間として認めるつもりはさらさらなかった。
けれど彼女は同時に、強さこそが正義という価値観を持つエドゥアールの血を引く人間でもあった。
業腹ではあるしもう一度戦えば負けるつもりはないが、それでもロンドの強さは認めなければならない。
(このまま帰るわけにはいかないわね……)
現在のカテーナは、ロンドの殺害という任務に失敗した。
そしてヨイに知られてしまった以上、早晩この事実は聖王国を通じてエドゥアール家にも伝わってしまうことになるだろう。
そうなればカテーナの面目は丸つぶれだ。
外向けには認知されていない庶子でありロンドに負けたなどということになれば、フィリックスは間違いなく自身への評価を強く下げるだろう。
ユグディアに戻った時にカテーナの扱いがどうなるかは、正直考えたくもない。
(私の立場は下げたくないけれど……お兄さまの折檻もごめん。そうなると取れる手も限られてくるわ)
カテーナは自身の失敗を上手く功績で塗り替えることはできないかと頭を巡らせる。
そして彼女は、最終的に一つの結論を出した。
(よし、ロンドのところに行きましょう)
彼女はロンドへの態度を改め、彼をエドゥアール家の人間として遇することを決めた。
フィリックスではダメだというのなら父であるオットーに直接口利きを行い、ロンドの自殺を撤回し彼を正式にエドゥアール家の人間として認めてもらう。
暗殺に失敗し敗北したという自身の失敗を、ロンドという人間の真価を見極め連れ帰ってきたという功績で相殺する。
それこそがカテーナが考え出した結論であった。
そして自身の方針を決めてぐっすりと眠った次の日、彼女は慣れない情報収集をしながらなんとかロンドの居場所を探り出し、直接彼の下へと出向くのだった……。




