カテーナ
「様をつけなさいよロンド、自分の身の程をわきまえなさいな」
影の中から現れたのは、鮮血を思わせる真紅のドレス姿であった。
キツく鋭い目は鷹のようで、そのまなじりもまた鋭かった。
ロンドを見つめる目からは嘲りが隠しきれておらず、扇子を構えている右の手のひらには炎の意匠を象った魔力紋が宿っている。
カテーナが得意とするのは火魔法。
フィリックスの水魔法と比べると消費魔力は激しいが瞬間的な攻撃力に優れており、エドゥアール家でも随一といえるほどの火力を持っている。
その姿を見たロンドの脳裏に、過去の記憶が蘇った。
見たことは何度もあったが、ロンドは彼女――エドゥアール家長女カテーナ・フォン・エドゥアールとは実はあまり面識がない。
ロンドは基本的に別邸の中で一人幽閉された状態で幼少期を過ごしている。
故に彼がカテーナを見たことがあるのは、そのほとんどが窓越し。
会話を交わした回数は、片手で数えられる程度だろう。
『この汚れた血の落ちこぼれが……二度と私の前に、顔を見せないでよね』
そう言われて以降、ロンドは彼女と顔を合わせぬように気を配ってきた。
母が妾であるという自分の弱い立場を崩さぬためには、そうするしかなかったからだ。
けれど今は違う。
母は死に、そしてエドゥアール家で服毒自殺をしたロンドもまた死んでいる。
故に今の彼は、もはやエドゥアール家の人間でもなんでもないただのロンドだ。
たとえ貴族家の子息とはいえ、カテーナやフィリックスに対して敬意を持って接するつもりは毛頭なかった。
(だが……どうするか)
ロンドの脳裏にいくつもの疑問符が浮かぶ。
なぜこの場にカテーナがいるのか。
彼女はなんのために自分と接触しにきたのか。
この状況に対して、自分はどう対応すべきなのか。
ただその中でも一つ間違いがないのは、彼女の友好的とは言いがたい態度から察するに、その目的も碌でもないだろうということだ。
「目的はなんだ?」
「……生意気な子。下賤の血の混ざった人間は、これだから」
ふぅ、とため息にも似た息を吐き出しながら、ぱちりと扇子を閉じる。
そして彼女は笑いながら、スッと手を前に出した。
「これ以上エドゥアールの恥を世間に晒すわけにはいかないわ。だからあなたを……今すぐこの場で、殺してあげる」
次の瞬間、カテーナの手のひらにある魔力紋が赤い輝きを宿す。
流れるように魔力が体内を巡っていき、指先で圧縮・放出された魔力がこの世界に現象を落とし出す。
現れたのは炎の鞭。
通常とオレンジ色の炎と比べれば温度の高い白色炎が、慣性を無視した勢いでロンドへと振り抜かれる。
ロンドもまた、両腕を前に出した。
彼の背中の龍の魔力紋が輝きを増し、魔法の構築のアシストをする。
「フレイムウィップ」
「ポイズンシールド!」
そしてロンドとカテーナの戦いが、火蓋を切って落とされた――。
炎の鞭がロンドへと当たろうかというその刹那、構築された毒の壁がその間に割り込むように展開される。
毒液の膜にぶつかった鞭はそのままジュウと音を鳴らしながら、毒の壁へと一撃を叩き込んだ。
一発では抜けないのなら二発三発と、鞭は炎でできたひもをしならせながら、立て続けに襲いかかっていた。
「へぇ……結構硬いのね」
そう言って冷徹に魔法を観察するカテーナを見たロンドの顔色もまた、冷静に彼女のことを見つめていた。
カテーナ・フォン・エドゥアール
健康状態 良好
HP 844/844
時間がかかることがわかっていたからこそ、ロンドはカテーナの姿を視界に入れた瞬間には、既にその状態を確認し始めていた。
(体力で言えばアルブレヒトよりわずかに劣る程度……間違いなく強敵だ)
解析が終わり現れた状態を見ても、たしかに強敵とは思うが、ロンドはそこまでプレッシャーを感じてはいなかった。
以前出会った時に感じていたような圧倒的な格の違いを、今のロンドは感じなくなっていた。
迷いの森で戦ったグレッグベアと比べれば、HPは少ない。
それに最初にアルブレヒトと対峙したあの時ほどの絶望は感じない。
たしかにカテーナは強い……それは間違いない。
けれど数々の激闘を経てきた今の自分であれば、決して手の届かない存在ではなくなっている。
全力を以て、目の前の相手を……カテーナを倒す。
ロンドの瞳に、決意の炎が灯った瞬間であった。




