敵意
あれ以降新たな襲撃者がやってくるようなこともなかければ、大司教クラスの人間に呼び出されるようなこともないまま、五日ほど時間が経過していた。
その間ロンドは索敵用の毒魔法の改良をほどこし、以前と比べてより広範囲に索敵範囲を広げることができるようになっていた。
メンチにお願いして実験の協力をしてもらえるようになったおかげで、索敵自体の精度も上がっている。
また彼女のような存在が現れても、今度はもっと上手く正体を突き止めることができるはずだ。
ただ索敵の魔法に関する改良が終わった段階で、ロンドはすべきことがなくなってしまった。
冒険者生活に戻ってもいいのだが、せっかく聖女と知り合いになることができたのにこのチャンスを棒に振るのはもったいない。
ということでロンドはなるべくレアと一緒に過ごせるよう、時間を作ることにした。
「……」
「……」
ロンドはその日も、レアと一緒に図書館で時間を過ごしていた。
「か、かっけぇっす……」
ちなみに今日はメンチも一緒だ。ロンドが索敵魔法で彼女の存在を気取ることができるようになった時点で、なぜか彼女は隠れるのをやめて普通に姿を現すようになったのだ。
メンチは本の内容をそのまま呟いたり英雄ごっこを始めたりするので、その度にレアに中位されていた。
ただ図書館にはほとんど人がいないため、基本的には迷惑をかけてはいない……目の前で叫ばれて集中力が切れてしまう、ロンド以外は。
「ふぅ……」
手に取っていた本をパタリとテーブルに置いたロンドがあたりを見渡す。
利用料だけでも銀貨三枚ほどとそこそこ高額だからか図書館の中は人が少なく、アランの大通りとはまったく異なるゆったりとした時間が流れている。
古い紙の香りはどこか甘くかぐわしく、静寂な館内の雰囲気と相まってどこか心が落ち着く感じがした。
「そろそろ出ましょうか。もし良ければ一緒にご飯でもどうです?」
「それじゃあ、ぜひご一緒させていただければと思います」
図書館を出た一行は、そのままレストランへと向かう。
いつもはこのまま別れるので、一緒にご飯を食べるのは初めてだ。
少しくらいは関係性を築けた、と思ってもいいのだろうか。
大通りに出れば人通りも増えるが、念のためにフードを目深に被っていることもあり、レアを見て聖女だと気付く人はいない。
よく見れば意匠が凝っていることには気付くだろうが、ある程度金銭的に余裕がある人の中にはしっかりとした修道着を自分で用意する者もいないわけではない。
そのためレアを見ても訝しげな視線を向ける人はおらず、聖王国では珍しい黒髪をしているロンドの方が注目を集めるほどだった。
「今日は私の行きつけのお店に行こうと思います」
「聖女様行きつけのお店ですか……楽しみですね」
「ええ、きっとびっくりすると思いますよ」
そう口にするレアの横顔を見ると、彼女が笑っているのがわかる。
それはロンドが彼女と会ってから初めて見る、笑顔だった。
「これは……びっくりですね」
「でしょう?」
ロンドが連れてこさせられたのは、目抜き通りから少し外れたところにある、ごくごく普通の大衆食堂だった。
高級な内装などもなく、やってきているのは肉体労働者ばかりで、テーブル越しに大きな話し声が聞こえてくる。
「ここは量が多いので有名なんすよ! メンチもお気に入りの店っす!」
「そ、そうなのか」
「レア様にもメンチがおすすめしたんすよ!」
「なるほどな……」
あまりにレアと雰囲気が合わないと思っていたが、どうやら目の前の少女がその元凶だったらしい。
レアが手慣れた様子で頼んでいるのを見ながら、ロンドも同じものを頼む。
これまた驚いたことに、彼女は無料で変更できる大盛りを頼んでいた。
ロンドは少し面食らったが、普通盛りを頼ませてもらった。
というのも……
(あれは……俺には無理だ)
隣のテーブルにやってきていた料理が、とんでもない爆盛りだったのだ。そして恐ろしいことに、なんとあれがこの店における大盛りらしい。
ロンドもそこまで食べないわけではないのだが、世間一般くらいの胃袋しか持っていない彼では到底食べ切れそうにない。
意外と健啖家なんだな……と思いながら、くるりと店内を見渡すロンド。
皆が食事に集中しているため、とてつもない美人であるレアを見ている人は誰もいない。
店内は香草や香辛料などの香りが若干鼻をつきはするが、最近では露店でご飯を買い食いすることに慣れているロンドからすればさほど気にならない程度だ。
「はい、ボア揚げお待ち!」
やってきた料理を見て、ロンドは思った。
ああ、普通盛りにしておいてよかった……と。
「うっぷ……ちょっと気持ち悪い」
「ロンドは軟弱っすね! あの程度ぺろりといけないと聖女派ではやっていけないっすよ!」
「俺には一生入れそうにないな……」
店を出たロンドは、どこかげっそりした様子だった。
普通盛りでも他店の大盛りを優に超えるほどの分量があったが、腹ぺこだったこともありなんとか食べきることはできた。
だが少々脂を取り過ぎたせいで、少し胃がもたれている。
胃もたれは毒魔法で解毒できないのが厄介だった。
「ふぅ……食った食ったっす!」
「大盛り料理を食べると、生を実感しますね」
レアと同じく大盛り料理をしっかりと間食したメンチのお腹は、まるで妊婦のように大きく膨らんでいた。
だが同じ量を食べたはずのレアの方はというと、おそろしいことに食べる前とまったく変わらないプロポーションを維持していた。
いったいあれだけの料理はどこに消えたのだろうか。
ひょっとすると聖女の胃袋はどこか別の空間に繫がっているのかもしれない……そんな益体もないことを考えながら通りを歩いていく。
聖女の意外な一面を見たことで、ロンドの方も彼女に少し親近感が湧くようになった。
レアの方もお腹いっぱいご飯を食べることができて上機嫌だからか、いつもより少し声が弾んでいる。
ちなみにメンチはというと、平常運転で元気いっぱいだった。
いつもよりも明るい雰囲気の中で、繫がっている大通りへ戻るための道を歩いていく。
既に日は沈み始めており、夕暮れにさしかかろうとしていた。
「……っ」
通りを歩いているロンドの眉が、ぴくりと動く。
彼はちらりと後ろを振り返ってから、そのまま何事もなかったかのように歩みを再開した。
ロンドは少しだけ悩む素振りを見せてから、ゆっくりとレア達の方へ振り返る。
「もしよければ、今日はここで解散という形にしませんか?」
「え、ここでっすか?」
「それは構いませんけど……」
あと少しで大通りに戻れるというところでの突然の別れの言葉に戸惑う二人。
だがロンドは二人には取り合わずに、そのまま元来た道を戻ろうとする。
「自分、少し用事を思い出しましたので。お先に失礼します」
「……わかりました。それじゃあ、また」
「元気でやるっすよ、ロンド!」
ロンドは二人と別れると、そのまま通りを戻り、更に人通りのない路地へと入っていく。
そして周囲からの視線が切れる路地裏に入ったところで、彼はくるりと後ろを振り向いた。
「いい加減出てこいよ。隠れても無駄だ」
ロンドはこちらを窺う存在に気付いていた。
自分か聖女、どちらが狙いなのかを判別するために釣り出したのだが、どうやらあちらの狙いはロンドの方らしい。
どうやら向こうはさほど隠密が得意ではないらしく、敵意を隠そうともしていなかった。
となると黒の書ではないだろう。
また別口か……と辟易しながらも、彼は戦闘準備を整える。
「……あら、案外鋭いじゃない」
「お前は――カテーナッ!?」
だが視線に気付くことはできても、その正体まではわからない。
物陰から現れた存在を目にしたロンドは目を剥いた。
そこにいたのは、ふりふりとしたドレスに身を包んだ女性。
ロンドの血の繫がった姉――カテーナ・フォン・エドゥアールだったからだ。