聖女と派閥
レアとの会合を終えたロンドは、そのまま宿の自室に戻ることにした。
道中買った露店の食べ物をガッと食べてから、ベッドの上に寝転がる。
「ふぅ……」
天井を見ながら頭の後ろで腕を組むロンドの表情は冴えない。
彼は宿に戻る前に、聖女と会ったその足で融和派の下へ顔を出した。
そして結果は当然のように門前払い。
どうやらロンドが現状話をすることができるのは、誠に遺憾ながら聖女派だけのようだ。
だが選択肢が一つに絞られたことで、逆に動きやすくなったとも言える。
立ち位置は弱いが聖女という存在を持っている聖女派は、同じく立場が弱いロンドが組むには最適な相手かもしれない。
ロンドの脳裏に、先ほどの聖女レアの言葉が思い浮かぶ。
『残念ながら……リバーディン大司教の考えは私にはわかりません。一つ言えることがあるとすれば多分……というか間違いなく、彼はマンサル枢機卿の指令で動いているのは間違いないということでしょうか』
「考えてみればそりゃそうだよな……」
聖女派は教区のような治める土地を持たず、具体的な権力を持たない。
そのせいでメンチのような色々な意味で幼い子が側近になっているような状態だ。
そんな状況下ではライバル(といっていいかは微妙だが)である他の派閥の情報など集められるはずがない。
だがどうやらリバーディンの上にはマンサルという枢機卿がいることはわかった。
マンサル枢機卿について、詳しく調べてみる必要があるかもしれない。
メンチは口は軽いが、彼女の諜報能力は本物だ。
彼女に聞けば、ある程度詳しい話を聞くこともできるだろう。
「メンチから聞いた話では、聖女派は合わせて十人もいないんだったか」
接触はしてみたものの、必要な情報は手には入らなかった。
ただ勢力は小さくとも、聖女はまったく影響力を持っていないわけではない。
教皇と並んで不可侵の存在である聖女は、大司教クラスの人間からしても無下には扱えないだけの存在感がある。
実際に聖女という存在は聖教におけるアイドルであるため、その人気は非常に高いらしい。
ちなみにそんな彼女がなぜ図書館で普通に本を読むことができていたのかというと、彼女はまだ聖女に就任してからさほど時間が経っていないため、その顔を知っている人間がほとんどいないからだ。
恐らくあと数年もして顔が知られれば、図書館に行くことも難しくなるでしょう。
レアの言葉は、嘘偽りない本心からのものであるように、ロンドには思えた。
護衛も無しに一人で出歩いているのは、彼女が優れた光魔法の使い手だから。
一応後ろの方でメンチも待機しているらしいので、完全に一人というわけでもないらしい。
(聖女って言っても派閥から無縁なわけじゃない。実際立場的には大司教とかよりも上らしいから、もし彼女が動いてくれるのなら、ロンドがここにやってきた理由を教えてもらうことも可能だろう。となると……聖女様と仲良くなっておいて損はない、か)
派閥としては極めて小さいものの、聖女派の人間と活動するのもそう悪くはない選択だと思えてくる。
ロンドの聖王国での立ち位置が決まった瞬間であった。
こうしてロンドは、聖女レアの擁する聖女派と親睦を深めることを決めるのだった――。
次の日、ロンドは図書館へ向かうことにした。
今回やってきたのはただ本を読んで情報収集をするためだけではない。
「おはようございます、良い朝ですね」
「あ、どうも」
図書館に入ってすぐのテーブルの、右奥二番目の席。
そこには以前ロンドが見た時と同じく、聖女レアの姿があった。
相変わらず供回りの一人もつけていないので、見ているロンドの方が不安になってしまうほどの無防備さだ。
「そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。私、自分の身くらいは守れますので」
「そうですね」
折れてしまいそうなほど華奢な腰に、しっかりと主張している胸部。
その人形のように端正な顔と相まってとても戦えるようには見えないが、聖女であるからにはたしかに実力はあるのだろう。
辺りを見ると相変わらず図書館には人が少ない。
聖王国の識字率はさほど高くないということなのだろうか。
「それは……なんの本ですか?」
「『聖者ヨルスの言行録』ですね。比較的マイナーなものではありますけど、こういうところの細かい知識をつけておくと、説法をする時のディティールがしっかりするようになるので」
「なるほど……勤勉ですね」
圧倒的弁論で相手を論破するレアの姿を想像しながら、ロンドは適当に書架から本を持ってくる。
もちろん読むのは宗教書ではなく、彼が面白そうと思った学術書だ。
歴史資料の誤謬というテーマは、少しばかり興味深い。
「ロンドさんが読むのは、宗教書ではないのですね?」
「はい、そうですね。前に読んだ時に退屈で眠ってしまったので……」
「まぁ!」
ほがらかに笑うレアと一緒に、読書に勤しむ。
特に会話をしているわけではないが、こんな風に誰かと同じことをして時間を共有する経験をしたことはあまりないため、なんだか新鮮な気分だった。
(そう考えると俺って、本当に何もしてこなかったんだな……)
幼少期の大部分を屋敷の中で軟禁されるだけだったロンドは、同年代の友人はおろか、話ができる人間さえほとんどいなかった。
マリーやランディなど仲良くなることができる人間も増え、遅れてきた青春を取り戻しているのかもしれない。
(そういえば今頃、アナスタジア家の方はどうなってるのかな……)
本から顔を上げ、己の第二の故郷とも言えるヨハネスブルグを想う。
窓の隙間から差し込む空を見上げながら物思うロンド。
机を挟んで向かい側にいるレアはその様子を、興味深そうに見つめていた――。