遭遇
ロンドの視界に入ったのは、薄く赤く染めた衣服で身を包んでいる女性だった。
服自体は特に派手というわけではなく、かといってそこまで地味なわけではない。
ただその顔と身長、そして髪型は特徴的だった。
「子供……?」
こちらに見えるのは、高等美で生き物のように縦横無尽に動き回っているポニーテール。 そしてその身長は遠目で見てわかるほどに小さく、ちらりと見える横顔も童顔だった。
「子供じゃないっすうううっっ!!」
耳ざとくロンドの言葉を聞きつけた少女が、大声で叫びながら通りを右に曲がる。
だが当然彼女がどこに逃げたかも把握しているため、カクカクと通りを曲がってもロンドは距離を詰めることができた。
ものすごい勢いで逃げようとしている観察者は、間違いなく少女……それも自分よりも幼そうな子だった。
なんとなく気勢が削がれそうになるが、もしかするとそういう手合いなのかもしれない。
敢えて警戒もされないような幼い子供に技術を仕込み暗殺者に仕立て上げるといった話も聞いたことがあるので、ロンドは気を抜かずに少女を捕らえることにした。
裏路地をものすごい勢いで曲がり続ける彼女の先回りをして、毒魔法で作った網で彼女を捕らえる。
「ポイズンネット」
「ぎゃああああああっっ!!」
少女は面白いほどあっさりと捕まり、見事に毒のネットに引っかかった。
以前は意識せずに使うと強酸性を持ってしまっていたが、今では毒の強弱や性質などもある程度調整を利かせることができる。
そのため少女が毒に触れても、即座に肌が溶けたり毒で死んでしまったりすることはない。
「ようやく捕らえたぞ……メンチ」
「な、なんで私の名前を知ってるですか!?」
「さあ、なんでだろうな?」
状態を見たからわかっただけなのだが、正直に教えてやるつもりはない。
彼女の名前はメンチ・クレラック。
洗礼名がついているから聖教の信者であることは間違いなさそうだ。
(でもこいつ……黒の書とかじゃなさそうだよな?)
毒のネットの中で必死にもがいているメンチの姿は、ロンドが脳裏に思い描いていた観察に徹する老練な追跡者とはまったく異なっている。
なんというかその……目の前の女の子が凄腕の諜報者にはとても見えなかった。
「た、助けて! お~か~さ~れ~る~!」
「だ、誰がそんなことするかっ!」
とんでもないことを口走り始めたメンチの口を慌てて塞ぐ。
本当ならもっとスマートに対話をするつもりだったのに、いきなり予定が狂ってしまった。
「男は皆、狼なんっす! メンチみたいな美少女を捕まえたらむふふなことをして楽しむに決まってるっす!」
「だから、誰がするか! お前みたいなちんちくりん!」
「ち、ちんちくりん!? 自分のこと、ちんちくりんって言ったっすか!?」
「はぁ……なんだか調子が狂うな。今からネットを外しても逃げないか?」
「……逃げないっす」
急に静かになったメンチを捕まえていた毒のネットを外し、ついでに解毒もしておいてあげた。
こんな雰囲気では、急に戦うようなことにもならないだろう。
それにもし逃げられたとしても、その対策方法があるのでまた捕まえてやれば良いだけだ。
「うぅ……ひどい目にあったっす……」
「ひどい目にあったのは俺もなんだが。どうして俺のことを監視してたんだよ?」
「そ、それをお前本人が聞くっすか!? 自分の胸に手を当てて良く考えてみるっす!」
メンチはけんか腰ではあったが、どうやら実力行使に出るつもりはないらしい。
彼女はハンカチで無害になった毒を拭き取りながら、地面に座り込んだ。
あちら側にも一応、対話をするつもりはありそうだ。
(胸に手を当ててって言われてもな……)
自分が監視される理由というと、やはりエドゥアール家の人間というところだろうか。
あるいは自身が毒魔法の使い手だからということも考えられるかもしれない。
ただ目の前の少女の正体がわからないことには、ロンドの方もなんと答えたらいいのかわからない。
「ダメだ、わからないな……。それじゃあ次は俺の質問だ。お前は黒の書のメンバーなのか?」
「――はんっ、そんなわけないっす! たしかに前にスカウトされたことはあったけど、むかついたから断ってやったっす!」
(なんか変なやつだけど、黒の書にスカウトされるくらいには実力はあるのか……)
たしかにロンドに所在を気取らせないあの気配の隠し方と隠密は見事だった。
このクラスの人間がゴロゴロいるとなると聖都暮らしが一気にきつくなると思っていたので、これは素直に朗報と言えた。
「ってことは誰かの配下なのか?」
「へんっ、そうっすよ! メンチはあの……って、危ないっす! 危うく喋っちゃうところだったっす……なかなかやるっすね、ロンド!」
「いや……俺は何もしてないんだが……」
どうやらロンドが誰かを知って監視をしているのは間違いないらしい。
あわよくば喋ってくれないかと思ったが、流石にそこまで簡単にはいかないようだ。
ただ口は軽そうなので、このまま話していれば手がかりくらいは掴めるかもしれない。
「もしお前が福音派なら、下手に手出しができないようにここで殺してもいいんだが……」
「はあっ!? なんでそうなるっすか、ふざけるのも対外にするっす! 福音派とあんたが裏で繫がってるのなんか、このメンチにはお見通しなんっすから!」
(……やっぱり外からだと、そう見えてもおかしくないよな)
ロンドはメンチの言葉に、内心で深いため息を吐く。
恐らくだが福音派は、そもそもロンドに対してあまり良い印象を抱いていない。
毒魔法の使い手であるロンドのことをなんらかの形で利用するために聖王国に呼んだのは間違いないとロンドは踏んでいる。
けれど他の派閥の人間からすると、そうは見えないのだ。
今回ロンドは、福音派の一員であるリバーディン大司教によって聖王国に連れてきてもらった。
まったく事情を知らない人間も、あるいはある程度事情を知っている人間も、ロンドがエドゥアール家から逃れるために聖王国に亡命してきたように見えるような状況証拠が揃ってしまっているのだ。
だがロンドとしては、可能であれば接触は福音派以外の二派のどちらかと取っておきたい。
そしてこの口ぶりからして、恐らくメンチの所属は福音派ではないだろう。
想像していた通り、やはり彼女が交渉の窓口として有用そうだ。
……状況は想定と比べると、ずいぶんと違っているが。
「何かを勘違いしてるみたいだから言うけど、そもそも俺は福音派じゃない。そもそも俺は無宗教で神を信じていないからな」
「なっ、なんつう罰当たりな人っすか! 地獄に落ちるっすよ!」
「でもそんな隣人にも等しく優しくっていうのがお前達融和派の考え方だろう?」
「はっ!? メンチは融和派じゃないっすよ!?」
「なるほど、そうなると中立派か……」
「し、しまった!? ついうっかり口を滑らしちゃったっす!」
口の前で両の指をクロスさせるメンチ。
彼女が口が軽い人間で本当に助かった。
以前ゲリックの時は上手くやれなかったので自信はなかったロンドからすると、監視をしていたのが彼女であったのは幸運だったに違いない。
「兄さん、なかなかやるっすね……」
(そっちが自爆してるだけなんだけどな……)
思ったことを口に出さずに我慢したロンド。
中立派だろうがなんだろうが、メンチは今の彼にとって貴重な情報源であり、そして将来的には仲間になる可能性のある存在だ。
とりあえず機嫌を損ねないよう気をつけておく必要がある。
「中立派ってなると、福音派寄りの者も多いんだろ? リバーディン大司教あたりから、俺のことについて聞いて、怪しく思って派遣されたってところか?」
「……全然違うっす。そもそも自分、中立派じゃないっすし。どっちつかずの蝙蝠と一緒にしないでほしいっす」
「……は?」
一瞬思考がフリーズする。言っている意味がよくわからない。
福音派を嫌い、融和派であることを否定し、中立派にすら否定的。
メンチがこんな態度を取る意味が、ロンドには理解ができなかった。
「じゃあお前は一体どこの人間なんだよ?」
「――うーん、教える前にいくつか教えて欲しいっす。兄さんはホントに福音派とは繫がってないんすか?」
「繫がってないよ。それにあっちも多分、俺のことを仲間とは思ってない。この街で俺のことを狙ってきたのも多分、福音派だろうしな」
「あ、うちと一緒にロンドの後を追いかけていたあいつのことっすか!」
メンチはポンと手を打ってから、うんうんと頷き始める。
彼女がロンドのことを尾行している時、ちょうどゲリックに襲われた。
気配が消えたことから襲撃そのものは見ていないだろうが、同業者の存在には気付いていたのだろう。
わかりやすい具体例を出したことで、納得してもらえたようだ。
「そういえばあいつの名前ファンデル・ゲリックっていうんだが、メンチは知ってるか?」
「ファンデル・ゲリックっすか? もちろん知ってるっす。……たしかにあいつは福音派の子飼いだったはずっす。……なるほど、たしかにあんまり仲が良くないってのはホントのことみたいっすね」
今度はメンチがうーんうーんと唸り始める。
うちは考えるのは苦手っす……と唸りながらああでもないこうでもないと考えを巡らせているのであろうその頭からは、今にも湯気が噴き出しそうだった。
「兄さんはどこの派閥と仲良くしたいと思ってるんすか?」
「それは――融和派、かな。俺はユグディア王国の人間だ。聖教の信者じゃない俺達と仲良くしてくれるやつらが上に立ってくれた方が、こちらとしても嬉しいからな」
ロンドが接触を持ちたいと思っているのは融和派だ。
この国の権力者層は基本的にあまり信用できない気がしているが、中では融和派が明らかに一番マシだろう。
中立派は福音派とも仲がいいことを考えると、消去法で融和派しか選択肢がないとも言える。
「ふーむ、なるほど……じゃあうちらの敵じゃないっすね! うちらも信者以外とも仲良くしたいと思ってるっすから!」
(ますます謎が深まってきたな……)
なぜかさっぱりとした様子のメンチを見ながら、ロンドは頭を抱える。
融和派以外で他勢力と仲良くしようとしている派閥。
ルドゥとミルヤから聞いていた話で、そんなものがあっただろうか……。
『――そちらはあまり気にする必要はないかと思います』
おとといのルドゥの言葉が頭をよぎる。
三大派閥の外側にある、影響力を持たない一派。
(もしかして……)
ロンドの脳裏にある単語が浮かぶ。
そして決意を固めた様子のメンチの口から出た一言は、ロンドの脳裏に浮かんだそれと、ピタリと一致していた。
「うちらは――聖女レア様をいただく聖女派っす! 仲良くするっすよ、ロンド!」
「聖女派……」
「まあ派閥といっても、うちを入れても十人もいない、めちゃくちゃ小さい派閥っすけどね。というか、派閥というより寄り合い所帯みたいなもんかもしれないっす」
ルドゥに言われていた言葉を思い出す。
聖女とは、教皇と並んで不可侵とされているにもかかわらず実権をほとんど持たないという、光魔法のスペシャリスト。そして同時に、聖教会の偶像でもある。
頻繁に代替わりが行われ、そのために聖教会の中で強い影響力を持つことができぬという聖女が持つ派閥。
まさか自分を監視していた人間が聖女派とは、ロンドも想像していなかった。
「どうして聖女が俺を監視するんだ?」
「そりゃあ他国嫌いの福音派がいきなり聖王国に連れてきた人物っすから。何者なのかメンチがこの真理を覗く眼で見てやろうと思ったんす」
「真理を除く眼、ねぇ……」
キラッと目を輝かせるメンチを見て、思わず苦笑する。
どうやらロンドを監視していたのは、聖女の命令というよりメンチの独断なようだ。
ロンドとしても聖女派については最初から考慮していなかったが……さて、どうするのが正解か。
目立たないようにするという目的は、刺客に襲われた時点で既に達成不可能になった。
今後も同様な事態が起こるのは間違いないからこそ、ロンドは自分から動き始めた。
今のロンドの目的は、自身がここに呼ばれた理由を探り出し、自分を利用しようとしている元凶の陰謀をぶち壊すことだ。
手を取るに当たって聖女派は少しばかり頼りないかもしれないが……何も手を取る派閥が一つでなければいけないというルールはない。
福音派やそこと仲の良い中立派の人間達以外であれば、ロンドとしても仲良くなっておくに否やはない。
ロンドの欲している答え――つまりは聖王国における自分の立ち位置と、福音派の狙いを、聖女は持っているだろうか。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。危険を冒さなければ、大きなを成果を得ることはできない。
ロンドは緊張で乾いた唇をペロリと舐めながら、メンチへと手を伸ばした。
「もし良ければ……会わせてくれないか。その今代の聖女レア様とやらに」