マリーの気持ち 2
「……ふぅっ、今日はこのあたりで――」
それは魔法の訓練をそろそろ終えようかというタイミングだった。
私の目の前にいた護衛の胸に、黒い刀身のナイフが突き立ったのだ。
無論、護衛は鎧を着込んでいた。
けれど細長くそれほど強い武器には見えないというのに、ナイフは鎧を抜けその内側にある肉体へしっかりと突き立っていた。
間違いなく業物、もしかしたら迷宮から産出すると噂の、マジックウェポンというやつかもしれない。
急ぎ、その場から大きく下がる。
するとそれに入れ替わりになるように、他の護衛達が前に出てくれる。
ナイフが飛んできた方から、三つの人影が飛び出してくる。
皆一様に黒い装束を身に纏い、顔を布で覆って目以外の部分を隠している。
その身に持っているのは、黒い刀身のナイフ。
あれだけ数があるというのなら、恐らくは鋼鉄よりも固い、属性鋼だろう。
私の目の前で、死闘が始まった。
鎧を身に纏う護衛達と、黒い装束の男達が剣戟を開始する。
激しく打ち合う剣と剣は、その欠片を飛ばしながら火花を散らす。
私は魔法を使おうと手を前に出す。
胸に宿す鷹型紋章が光り……そしてすぐに、その輝きを失った。
前に出した手が、ブルブルと震えている。
そして、勝手に動き出したのは何も手だけじゃない。
私の目も左右に大きく揺れていて、視線が定まらなかった。
目の前で、私を守るために戦ってくれている人がいる。
けれど私はただ震えているだけで、何もすることができなかった。
これは本来であれば、ありえないことだ。
貴族家の息女である私に選ばれた、選択肢は二つ。
勇敢に戦う護衛達を支援するために魔法を放つか、もしくはこの身だけはなんとしてでも守らねばならぬと、一目散にこの場を去ることだ。
けれど私は、私には……そのどちらも、選ぶことができなかった。
足はまるで何時間もの間全力疾走をしたかのように、ガクガクと震え。
手は本当に私のものかと疑いたくなってしまうほどに、不随意にブルブルと震えてしまう。 瞳も揺れ、視界も定まらない。
今もこうして目の前で戦ってくれている人が言うというのに、私はそれを見ることすら叶わないのだ。
私はただ、衝撃から立ち直ることができず、車椅子にしがみつくことしかできなかった。
――私の侍女だった子は、その名をアラフィアという。
彼女はそれほどすごい生まれではなく、そこそこの規模の商店の三女だった。
貴族家で身分のない息女達を雇うこともある我が家の使用人達の中では、身分で見れば下から数えた方が早い子だった。
けれど私は、アラフィアのことが大好きだった。
彼女が身分差を気にせずに色々と世話を焼いてくれる、珍しいタイプの女性だったからだ。
もちろんタメ口で話したりするわけではないが、それでも他の侍女達と比べれば、ずっと親密な付き合いをさせてもらっていた。
私自身、厚遇というほど露骨ではないが、色々と便宜を図ったりしたこともあった。
そして彼女は……そんな私に、毒刃を突き立てた。
『恩を仇で返すだなんて、この恥知らず!』
そう言って糾弾することもできたはずだが……不思議と怒りは湧いてはこなかった。
彼女がそんな凶行に及んだのには、理由があった。
なんでも実家にいる実の両親のことを、人質に取られていたらしいのだ。
無論裏切りには違いないけれど……私は本当に怒ってはいない。
彼女は貴族に手を上げたから本来なら即刻死罪だが、そうはしなかった。
アラフィアの処刑は済んだということにしてもらい、辺鄙な村で第二の人生を送ってもらっている。
今後私達の人生が交わることはないだろうけれど、それでも幸せに生きてほしいとは思っているのだ。
だが私はロンドに助けられ、目覚めてからというもの……ずっと怒っている。
矛盾するようだけれど、何一つおかしくはない。
私の怒りの矛先は、アラフィアではない。
私は……たった一度、近しい者に裏切られたくらいであまりにも大きなショックを受けた、自分自身への不甲斐なさに憤っているのだ。
裏切りや造反、派閥抗争が当たり前な貴族社会における心構えは、既に作った気でいた。
けれど私は結局のところ、甘ちゃんだったのだと思う。
口では偉そうなことを言っていても、しょせんは大言壮語だった。
だって私は未だにあの時のショックから、立ち直ることすらできていないのだから……。
「ふうぅっっ……ふううぅっっ!!」
ブルブル震える手を前に出し、潤んでぼやける視界をそれでも捉え続けながら、私は魔法発動の準備を終える。
あとは魔力を込めるだけで、魔法は発動する。
けれど私は……その一歩を踏み出すことができない。
襲撃者達が持つナイフが、あの時アラフィアが握っていたそれとダブって見えてしまう。 かつての命の危険がフラッシュバックして、竦んで動けなくなってしまう。
私は自分のせいで誰かが危険に晒されているにもかかわらず、役立たずにもこの場で、震えていることしかできない。
逃げることすらできないだなんて、なんて情けない。
いったいなんのために魔法の練習をしてきたというのか。
自分の身を、自分の周りを、守るためではないのか。
グルグルと思考だけが回り、回る。
空転するばかりで、ちっとも身体は動かない。
情けなさからとうとう涙がこぼれ落ち、私は車椅子を強く握った。
荒い息を吐きながら、それでも目をそらすことだけはせずに、前だけは向き続ける。
護衛達はどんどんと傷つき、一人また一人と倒れていく。
最初は十人もいた護衛は、わずかに五人を残すばかりとなっていた。
対する相手の三人は未だ健在。
このままではまずい。
それがわかっているというのに、臆病な私には何もできない……。
自責の念に駆られながら、それでも私は己の手を前に出す。
(出ろ、出ろ、出ろっ!)
けれど私の意志に反して、魔法は一向に発動する気配を見せない。
私はそれが不甲斐なくて、強く強く下唇を噛んだ。
できないのだ、私には、何もっ。
ロンド相手にはあれだけ大きな口を叩いておいて、本当に口だけなのだ。
私には、私には何もっ――。
バタリ、バタリ、バタリ。
それは本当にいきなりで、何の予兆もないほどに一瞬のうちの出来事だった。
先ほどまで傷は負ってもなんら問題なく動いていた三人の刺客が、突如として倒れていく。
ゆっくりと目を開いた私の目に映ったのは、突如として生気を失った三人の姿と。
限界を超えて戦っていた護衛達が、疲れからかバタバタと倒れていく様子だった。
そして後ろから、一つの影が近付いてくる。
その影は、目の前までやってきて一人の人影になって……そっと私の手を握ってくれた。
彼は――ロンドは、私の手を握って、こちらへ笑いかけてくれる。
「大丈夫です、マリー様。あなたのことは、俺が守ります」
「ロンド……」
身体の震えは、気が付けば止まっていた。
ロンドは、私をまた助けてくれた。
私はもう、返しきれないほどの恩を受けてしまった。
トクン胸が高鳴る。
サッと頬に朱が差すのを見られたくなくて、私はすぐに視線を逸らしてしまうのだった――。
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