少女
なんとか宿を取ることができた次の日、ロンドはさっそくアランの街を散策してみることにした。
その規模はヨハネスブルグなどと比べても遜色がないほどに大きい。
そしてやはり清潔で、見た限りでは治安も悪くはなさそうだった。
「おいおい聞いたかよ、今年十年ぶりに武闘会が復活するらしいぜ?」
「マジかよ、楽しみだなぁ」
街ゆく人達の話し声もどこか明るく、その表情もにこやかだ。
とりあえず露店で果物を買って囓りながら、アランの街を歩いていく。
どうやらかなりの広さがあるらしく、今日の日のうちに全てを回りきるのは到底無理そうだ。
まあ時間はあるさと気楽に歩いていると、視界の向こうに気になる建物が見えてくる。
「ん、あれは……?」
やってきたばかりの街で何をするか悩んでいたロンドの前に現れたのは、巨大な施設だった。
円柱を半分に断ち切ったような見た目をするその施設は、アランにある装飾の多い宗教施設と比べると非常に地味で、けれどどこか厳かな感じがあった。
気になったので近づいてみると、入り口付近に立てかけてある看板に図書館と記されている。
おっかなびっくり中へ入ると、そこには沢山の本が並んでいた。
受付らしきところには一人の女性が佇んでおり、ロンドの方をちらりと見る。
「あの……ここでは、本を読めるんでしょうか?」
「はい、入場料の金貨一枚が必要ですが」
「高っ!?」
「本の保証代も入っていますので。問題なく出られるのであれば銀貨七枚を返却致します」
本は一冊一冊が高価なものだ。そのため立ち読みなどをすることも難しいし、ロンドも貴族家で見ることを除けばほとんど手に取る機会もなかった。
せっかくの機会だとお金を払い中に入場する。
目に入った本の背表紙を眺める。『聖人クンストの説法集5』、『神の教えに帰依するためのヴェノ流解釈書』、『バスタリア公会議議事録』……。
(見事に興味がないな……)
聖王国のお国柄故か、近くにあるものはどれも宗教的なものばかりだった。
ただ何事も食わず嫌いは良くない。
聖教典を読んである程度聖教にも詳しくなっているロンドは、とりあえず『問答集 アリシノ福音書編』を手に取り、読んでみることにした。
中には読書用のテーブルと椅子があったので、腰掛けて本と向き合うことができそうだ。
腰を据えて読み始めようとゆっくりと本を開き……
「……はっ!?」
ガバッと勢いよく立ち上がると、本を読みに来ていた数人の視線がこちらに刺さる。
ペコペコと頭を下げながら、ゆっくりと本を閉じた。
どうやら中身が難解で退屈すぎて、夢の世界に旅立ってしまっていたらしい。
窓越しに外を見てみると、既に太陽は高く昇り日差しが強くなっている。
腹も空いてきていることから考えると、今は昼前だろうか。
ぐぅ~~と腹から情けない音が鳴る。
このままお昼ご飯を食べに出かけてもいいが、もう出ていってしまうというのはあまりにもったいない。
せっかく入ったのだから少々の空腹は我慢して、もう少し図書館の中を探索することにすることにした。
(今度は眠らないように、もう少し普通の本を読もう……)
宗教心に篤くないロンドからすると、宗教書は少々退屈すぎた。
聖教典の一説をあれこれと引用してああでもないこうでもないと解釈を述べ合う宗教家の問答は、ただ文字列を追うだけの時間は退屈を通り越して苦行ですらあった。
宗教書のコーナーを越えると、その先には宗教書のコーナーが。更にそこを越えると、そこには宗教書のコーナーが……
(って、宗教書ばっかりじゃねぇか!)
図書館の中なので静かに心の中でツッコミながら、ロンドは少し早足で書架を抜けていく。
その間にも人とすれ違うことは一度もなかった。
どうやらこの図書館、設備の割りにあまり人気はないようだ。
自分の背丈よりも高い書架を何度も通り抜けているうちに、ようやく普通の本棚へと辿り着く。
気になっていたということもあり、この聖王国の歴史に関する本を何冊かピックアップして手に取ることにした。
どうやらテーブルと椅子は何カ所かに設置されているらしく、先ほどとは違うテーブルで再び読書タイムに入る。
先ほどぐっすりと眠れたおかげで、今度は寝入ってしまうようなこともなく読書に集中できそうだった。
「なるほどな……」
何冊か本を読んでみると、虫食いはあるがおよその事情は理解することができた。
まずロンドが気になっていた、クリスタルドラゴンの名前と聖王国の国名の一致。
どうやらこれはただの偶然というわけではないようだ。
聖教はその正式名称を聖晶教という。
聖教の聖堂などには派手な水晶があしらわれていることが多いのにも、きちんとした理由があるのだ。
聖教典では教主にして精霊にして預言者であるスカイという人物の言動に重きが置かれているせいでよくわからなかったが、何冊か歴史書や当時の記録をまとめた本を読んでいるうちに一つの予測が頭をよぎった。
聖教典においては、教主スカイが起こした奇跡とその言動に重きが置かれている。
そしてこの奇跡はひょっとすると――クリステラが残した水晶をなんらかの形で魔法的に利用することで起こしたものなのではないだろうか。
聖教ができた時期は、古代の魔道具が今よりも多く残っていたはずだ。
水晶片を古代の魔道具の動力源にでもしたのか、あるいは水晶そのものに魔法的な効力が宿っているのか……。
それを神の奇跡と呼称することで、聖教は爆発的な勢いで広がっていった……そう考えるとクリステラの名が残っているにもかかわらずクリステラ本人の記録が一切残っていないことにも、ある程度の説明がつくのだ。
そう考えるとクリステラの水晶に関して聖王国が異常なほどの熱視線を送っていた理由にも頷ける。
ひょっとすると金を作るためとはいえ、詳しく調査をする前にあれを出したのは失敗だったかもしれない。
(まあ推測だし、これ以上考えても意味はないな)
ただあくまでもロンドの頭の中の妄想だ。
どうやらクリステラとクリステラ聖王国にはある程度関係があるとわかっただけで、収穫と思っておくしかない。
外を見ると、既に昼を過ぎてからしばらく経ったことで人波も減ってきていた。
いいかげん空腹も限界なので、今日はこのくらいにしておこう。
お腹が減りすぎて逆にそこまで空腹を感じなくなりつつあったロンドが書庫を抜けようとした時、先ほど自分が寝入っていたテーブルを見る。
そこには――陽の光に照らされている一人の少女の姿があった。
「……」
青と白を基調とした修道着を着ていることから、恐らく聖教の関係者なのだろう。
ゆったりとした服からもわかるはっきりとした均整の取れたプロポーションは、清純さの象徴である修道着と合わせて、どこか背徳的な美しさを漂わせていた。
ロンドは修道着を見ても細かな意匠の違いがわかるわけではないが、その生地の上等さや刺繍の見事さから考えると、一般的なシスターではなさそうだ。
(綺麗な子だな……)
ぷっくりとした唇に、流れる小川のように清らかさを感じさせる青の髪。
左右対称の整った顔は美しく、そしてどこか作り物めいて見える。
真剣な表情でページを繰るその姿は、思わずみとれてしまうほどに可憐であった。
(――って、いかんいかん!)
ロンドは慌てて頭を振って、自分の中に芽生え始めていた邪念を振り払う。
頭の中にマリーの笑顔を思い浮かべると、雑念などあっという間に消え失せてしまった。
見つめていた時間は数秒ほどだった。
だがジッと見ていたのがよくなかったのだろうか、気付けば本に向いていたはずの視線がロンドの方へと向いている。
その青の瞳にジッと見つめられると、邪な考えを浮かべていたのを見透かされたかのような感覚になってくる。
少し気まずそうにぺこりと頭を下げると、彼女はそのままにこっと笑って礼を返してくれた。
ロンドは受付でお金を返してもらうと、逃げるように図書館を後にする。
しばらくは先ほど出会った少女のことが気になっていたが、良い匂いを漂わせている食事処が目に入れば、そんなことはすぐに頭の隅に追いやられてしまうのであった……。