聖都アラン
ロンド達はそのまま更に東へ向かい、アランの街を目指して進み始める。
聖教のバイブルである聖教典を司教直々に解釈してもらいながら読み進めるという贅沢なやり方で、彼は聖教への理解を深めていく。
旅の中でロンドは、この聖王国の正と負の側面の両方を見ることになった。
まず正の部分はやはり、弱者の救済に重きを置いているところだ。
職を失ってしまった人のための職業の斡旋所があったり、孤児を孤児院が拾い上げる耐性がしっかりと整っていたり、貧者のための炊き出しなどもかなりの頻度で行われている。
セーフティーネットがしっかりとしているため、街をゆく人達の顔はユグディア王国と比べても明るいように思える。
対して負の側面はというと、やはりこれも聖教に関する部分だ。
聖教は清貧を謳っているが、ある程度立場のある人間達は皆明らかに肥えており、じゃらじゃらといかにも高そうな装飾品を身につけていた。
聖教の権力者達は清貧の名の下で、ほとんどただ同然で聖職者や信者達を動員して畑を開墾させ、その上がりで私腹を肥やしている。
祈りを捧げる聖教会はどれも荘厳な作りをしており、ステンドグラスや金を使った装飾など、一体どれほどのお金が注ぎ込まれているのか想像もつかないほどに立派だ。
聖王国は神の下の平等を謳っている。
けれど実際のところは聖職者ばかりが肥え太っており、汗水流して働く信者達はみすぼらしいみなりのまま、粗食に耐え続けることになっているというのが現状だ。
形としてはユグディア王国の運営方法と似ているが、下手に綺麗なお題目を唱えている分、より歪んで見える。
農業従事者にも納税という形を取っていなかったり、商人相手にも税ではなく献金という形で金銭を求めたり……まるで聖教そのものを統治の道具としているようかのようだ。
いや、実際そうなのだろう。
司祭や司教が聖教の教句を恣意的に解釈し、更に好き勝手に振る舞う例も少なくないという。
「建国時はこのようなことはありませんでした。ですが教会が教典を一部の人間にしか読めぬようにし、それを良いことに勝手を始めるようになってから、聖王国は変わってしまいつつあります。もちろん今の我々のように、それを憂う人も多いのですが」
そのことを口にしている時のバークシャーは、もの悲しそうな顔をしていた。
バークシャーが言っている通り、この国では意外なことに聖教典を購入するのはかなりハードルが高かった。彼の口添えがなければ、ロンドも買うことはできなかっただろう。
ちなみに聖教典を読んで得た感想は、たしかにこれはある種の教科書になるなというものだった。
これをしてはいけない、こうするべきだなどという教祖やその弟子達の言葉がまとめられているこの教典は、人として持つべき当たり前の倫理から衛生観念などに至るまで、生きていくにあたって最低限必要な一般教養を含めた色々なことが浅く広く記されている。
ページ数はかなり多いが、それでもこれだけの内容と考えるとかなりコンパクトにまとまっている方だろう。
聖教典を読み、聖王国で暮らしてきた日々がある程度長くなってロンドが出した結論。
それはこの国に暮らす人達の心根や聖教典そのものは善性だが、国家そのものとしては歪んでいるというものだった。
その歪みの元となっている権力者とこれから出会うのだと思うと少々気が引けるが……来てしまったからには戻ることはできない。
ロンドは覚悟を決めて、聖王国の首都である聖都アランへと辿り着くのであった――。
「ここが……聖都アラン……」
ロンドが見上げるのは、一体どこまで続いているかもわからないほど、視界いっぱいに広がっている純白の外壁だった。
聖都アランは神聖なる白壁に守られているという話は事前に聞いていたが……事前情報を聞いていても圧迫されてしまうほどの、凄まじいインパクトがある。
「ふふふ、驚いたでしょう」
してやったりといった表情で笑うバークシャーとヘルツに連れられ行列に並ぶロンドは、こくりと小さく頷いた。
目の前にある巨大な白壁は漆喰などが使われているわけではなく、石そのものが乳白色をしており、更によく見るとうっすらと光っていた。
継ぎ目がわからないほどにつるつると凹凸のない壁は、繋がれているのではなく一つの巨大な石材でできているのだという。
セント・ラカンテス大聖堂を含むいくつもの教会堂があるというこの聖都アランは、間違いなくこの聖王国の信仰の総本山である。
もしこの壁で来た人の度肝を抜こうとしているのなら、その目論見は大成功だろう。
今目の前にあるものは、ロンドは生きてきた人生の中でも上位五指には入るほどのインパクトがあった。
「次の方、どうぞ!」
「我々の番が来たようです、行きましょう」
「は、はいっ」
ロンドは二人に連れられる形で無事アランへと入る。
くるりと後ろを振り返ると、この巨大な白壁は変わらずぐるりと都市を覆い隠していた。
それがロンドには一度入った者を決して逃さぬ檻のように思えてならなかった。
中に入るとすぐ、今回ロンドのことを招いてくれたリバーディン大司教と面会をすることになった。
大司教となるとそれほど暇な立場でもないと思うのだが、面会はほとんど滞りもなく非常にスムーズに進行していく。
「どうも、私がリバーディンです」
「ロンドと申します、この度はお招きいただき……」
「ああいや、堅苦しい挨拶などは結構です。聞けばロンドさんは冒険者などをしていた経験もおありだとか。普段通りの口調でも結構ですよ」
「大司教を相手にそんなことをするほど、面の皮が厚いわけではありませんよ」
リバーディン大司教は、縦にも横にも大きな恰幅のいい男性だった。
白髪に太い白の眉、そして修道着を押し上げるほどに盛り上がったお腹。
人好きのする笑みを浮かべていて、常に口角が上がっていた。
「それでは、私はこれで失礼させて頂きます」
軽い挨拶を交わすと、ここまでロンドのことを案内してくれたバークシャーさんがスッと頭を下げる。
どうやら彼と一緒に行動するのはここまでのようだ。
そのままこの場を去ろうとするバークシャーの背中に、ロンドは慌てて声をかける。
聖王国のことを見て回るなかで、彼は親身になってロンドと行動を共にしてくれた。
少なくともそこに邪な気持ちはなかった。
ロンドが欺瞞に満ちた聖王国のことをそれでも嫌いにならずに済んだのは、彼とヘルツの存在が大きかったように思う。
「短い間ですが、お世話になりました、バークシャーさん。ありがとうございました、お元気で」
「いえいえ、私も楽しかったですよ。ロンドさんに、神のご加護があらんことを……」
そういってバークシャーはそのままニコリと笑ってその場を去っていく。
その背中を少しだけ見つめてから、ロンドはリバーディン大司教の方へ向き直る。
「どうやらずいぶんと仲良くなられたようですな」
「はい、不慣れな土地で色々と迷惑をかけてしまいましたが、バークシャーさんが良くしてくださったので……」
「そうですか……彼に案内役を頼んで正解でしたね」
更に口角を上げるリバーディン大司教。
ただでさえ笑っているのにその笑みが更に深くなるものだから、笑い顔は少し怖くなるほどだった。
それが人の形をした魔物のように見えて、ロンドが感じていたわずかな寂しさが一瞬のうちに消える。
ただ者ではなさそうな様子の目の前の彼を見て、緩んでいた気が一瞬のうちに引き締まる。
彼は自分をわざわざ聖王国にまで呼び出した人物だ。
まずはその理由をしっかりと聞いておく必要がある。
「今回の申し出は大変助かりました……そこで一つ質問なのですが、どうしてわざわざ私のことを助けようとしてくれたのでしょうか?」
「ふふふ、そう慌てなくともお教えしますとも。我々は争いを求めません。他国における争いの火種を未然に防ぐことも、我々の仕事のうちの一つなのです」
クリステラ聖王国は他国の事情に干渉することはさほど多くない。
けれど皆無というわけではなく、たしかに彼が言う通りに紛争や戦争などの調停役を担うことも多かった。
クリステラ聖王国は、各地に回復魔法の使い手を派遣している。
回復魔法は常に供給を需要が上回っている。怪我や病気を治してもらいたい者は星の数ほどおり、聖王国の回復魔法の使い手達は布教と外貨の獲得を兼ねて他国へと出向きその腕を磨くのだ。
外貨を稼ぎながら、他国へと恩を売っている彼らは、各地に顔が利き、そして強い影響力を持っている。
『これ以上揉め事を大きくするのなら、その地から回復魔法の使い手を引き揚げさせる』
聖王国がこう言えば、その言葉を無視して争いを続けることは難しい。
何せ争いを行う際にも、回復魔法の使い手の存在は必要不可欠だからだ。
そんな伝家の宝刀があるからこそ、誰もが聖王国の威光を完全に意識の外に置いて好き勝手に振る舞うことは許されない。
聖王国があまり表立って調停役のようなことをしていないのには、聖王国の顔色を窺わざるを得ないという理由も大きいのだ。
自ら争いを起こさずとも強い影響力を持つ聖王国は、帝国と比べると異質な存在感を放つ大国なのである。
「なるほど……」
リバーディン大司教の言っていることは嘘ではないのだろうが、全てを言っているわけでもないような気がした。
だが少し話を聞いてみようと探りを入れてものれんに腕押し、まともに教えてくれそうにないと早々に見切りを付けて話題を変える。
「バークシャーさんから詳しい話を聞いていないんですが、今後の予定などはありますかね?」
「いえ、特にはないですから、好きに過ごしていただいて結構ですよ。私達がホスト側になるわけですから生活費を出しても構いません」
「流石にそこまで甘えるわけにはいかないので、自分でなんとかしますよ」
既に大きな借りを作っているというのに、これ以上それを大きくしてしまうのは怖い。
今までほとんどお金を使ってこなかったこともあり金銭的にはまだまだ余裕がある。
とりあえず観光がてらアランの街を周り、ある程度感覚を掴めてきたら働き始めるつもりだった。
幸い聖王国にも冒険者はあるようだし、たとえ見慣れぬ地で少しばかり羽目を外しすぎても、冒険者稼業をすればなんとかなるだろう。
そんなロンドの言葉を聞いたリバーディン大司教は、ふむと顎に手をやる。
顎の下のお肉をたぷたぷと揺らすのが、彼が考える時の癖のようだ。
「王国のギルド証も一応ある程度の互換性はありますが……念のために名前を変えて、新人として登録をしておいた方がいいかもしれませんね」
「わかりました、そうしておきます」
王国と聖王国は別の国だが、冒険者ギルドは世界各国を股にかけているためランクを一つか二つ下げれば、ある程度下駄を履かせた状態で始めることができる。
だが今のロンドの状況を考えれば、たしかに新たに新人冒険者として登録をしておいた方がいいだろう。
名前もそのままだとバレかねないので、偽名を用意しておく必要もあるかもしれない。
一緒に会食などもするのかと思っていたが、特にそんな様子もなく。
ロンドをアランに呼び出してくれたリバーディン大司教は、そのまま何も言わずロンドと別れた。
去り際までにこにこと笑っている彼に手を振り返し、ロンドは今日の宿をどうするかと急いで情報収集に出かけるのだった。