聖王国の街にて
更に進むこと一週間ほど。ようやくロンド達は国境を抜け、聖王国へと入ることができた。
ユグディア王国とクリステラ聖王国の関係は良好であるためか、侵入を防ぐための防御施設なども必要最低限のものしか存在していない。
そのことを不思議そうに思っていると、それが顔に出ていたからか、バークシャーに話しかけられる。
「我が国は他国への侵略をしませんからな。国境の警備がないのは両国の友好の何よりの証ですよ」
ロンドは聖王国に来るにあたって読んでいた聖王国に関する記述を思い出す。
たしかに聖王国は自分から他国へと戦争をしかけることが極端に少ない。
彼らが戦争を行う場合は先に攻められてからの報復戦争であることが多かった。
だがにもかかわらず、彼らの国土は大陸最大国家である帝国に比肩するほどに大きい。
もちろんこれにはからくりがある。
まず彼らは最初に、隣国に対して布教を行っていく。
ゆっくりと時間をかけて布教を行うことで、彼らと隣接する領土は聖教を布教されその信仰が広がっていき、気付けば領主やその血の有力者達までもが聖教徒となっていく。
そして最終的には聖王国に取り込まれるか、自ら聖王国に入ると願い出るようになるのだ。
大量の回復魔法の使い手に、本国からの手厚い支援。
たしかに聖王国に入ることによるメリットは多いとはいえ、そんなに上手く話が進むものなのだろうか?
あまりにちょうどいいタイミングで声かけされたことなども含め、ロンドは聖教に、ひいては聖王国というものにどことなくうさんくささを感じている部分がある。
ちなみにこれはタッデンやランディも同様らしい。
彼らも回復魔法の都合上聖教の布教自体は許しているが、その影響力が増えすぎないよう常に目を光らせているという。
(ただ、普通にいい人もいるっていうのが質が悪いよな……)
最初の頃は色々と目を光らせながら警戒して行動をしていたロンドだったが、短くない時間を過ごしていくうち、バークシャーとヘルツには気を許すようになっていた。
多分……というか彼らは間違いなく、善人だ。
彼らは何か邪な気持ちがあるわけではなく、純粋に聖教のことを信仰している信者なのだろう。今回もロンドの護送を命じられたので行動しているだけで、ロンドに対して何か思うところがありそうな気配もない。
どこかうさんくさい雰囲気を漂わせる宗教国家でありながら、個人として接すると善人も多い聖王国という国。
その実態がどのようなものなのかは、きっとこれからすぐに明らかになることだろう。
ロンドは覚悟を決めながら当初の予定通り、リスベンの街へと向かうのであった――。
聖王国の中では最西部に位置しているリスベンの街へとやってきた。
ロンドは最初にヨハネスブルグを目指した時やマリー救出などの際に王国をある程度巡ったことがあるが、聖王国は王国とはずいぶんと様子が違っている。
「へぇ……綺麗な街ですね」
「聖王国には回復魔法がありますし、衛生面などの考え方も先進的です。街の綺麗さに関しては、帝国すら凌駕していると自負しておりますよ」
「……(こくこく)」
自信満々に告げるバークシャーの横で、ヘルツも胸を張ったまま黙って頷いていた。
たしかに彼らが言っている通り、リスベンの街はずいぶんと清潔感があった。
通常多数の人がごった返して暮らす都市という街は、とても汚れやすい。
ゴミやネズミの死骸などが放置されている程度はデフォルトで、基本的に街を歩いていると饐えた匂いがしてきたり、裏路地などの人の目のつきにくい場所には糞尿が捨てられているということも少なくないのだ。
だが少なくともこのリスベンの街は、歩いていても異臭らしい異臭が漂ってこない。
試しに路地裏を見ていても綺麗に清掃がなされているのが一目瞭然だった。
更に驚いたのは、裏路地などにもスラムが存在していないことだった。
聞けば聖教においては貧者への施しは当然のこととされており、ある程度富を持つ人間は積極的にその財を擲って同じ信者達の救済のために使うという。
「この街にも合わせて十以上の孤児院があったはずです。もしよければご覧になることもできますよ?」
「でしたらせっかくですし、見せてもらってもいいですかね?」
正直気になったので、バークシャーの案内に従って孤児院へと向かうことにする。
やってきたのは少し大きめな、近くにある店と比べても遜色のない立派な建物だった。
軽く中に入って様子を確認してみると、孤児院にいる子供達は皆笑顔だった。
子供達の面倒を見ているシスターさんもげっそりとやせこけているようなこともなく、施設自体が健全に運営されているのが一目でわかる。
「わ、司教様だ!」
「すごいすごい!」
「後ろにいるのは、ごえいの人たち?」
孤児院に入ると、子供達にあっという間に囲まれてしまった。
バークシャーは慣れた様子で相手をしているが、こういったことにまったくといっていいほど免疫がないロンドはしどろもどろになりながらなんとかその場をしのぐことで精一杯だった。
「せっかくですし、少し子供達との時間も取りましょうか。これも神様の思し召しです」
ロンドは子供達相手に遊ぶことになった。
最初はどんな風に接すればいいかわからなかったロンドだが、ちゃんばらごっこをしている男の子達を見れば、何をすれば喜ばれるのかはわかりやすかった。
冒険者として活動してきた話をすると、子供達はキラキラと目を輝かせながら話に聞き入ってくれた。
どうやら孤児院に冒険者がやってくるのは珍しく、そういった物騒なこととは縁遠そうな女の子達まで楽しそうに話を聞いてくれる。
話をしていると、ゆっくりと時間が流れていく。
こうやって直に目の当たりにすると、なるほど宗教というのも侮れないとロンドは自分の考えを改めた。
こうして実際に生活が改善し皆が笑い合えている姿を見てしまえば、安易に否定することはできそうにない。
(少し聖教に興味も出てきたかも。なんでも否定するだけじゃダメだな、やっぱり)
聖王国であれば教典を探すことに苦労することもないだろうから、一冊くらい持っておいてもいいかもしれない。
「ばいばーい、ロンドさん!」
「また遊びに来てね!」
ぶんぶんと手を振る子供達に手を振り返しながら、ロンド達は孤児院を後にする。
元気いっぱいの子供達にぐちゃぐちゃにかき回されたことで、幾分とげっそりとした様子のロンドを見て、バークシャー達が笑う。
「つ、疲れました……」
「既にチェックインも済ませておりますし、明日の朝までは自由行動にしますか? 一人の方がやりやすいことも多いでしょうし」
「……わざわざお気遣い、ありがとうございます」
お言葉に甘えさせてもらい、バークシャー達と別れて今度は一人でリスベンの街を歩き始めることにした。
ちなみに一応聖王国には入ったが、彼らとはまだ旅を続けることになる。
今回ロンド達を招いてくれたリバーディン大司教がいるのは聖王国の首都であるアランまでは行動を共にしてくれるつもりらしい。土地勘がないので、ロンドとしては大助かりだ。
既に日は暮れ始めており、リスベンの街はその様子を変え始めていた。
意外に思ったのは、居酒屋などの数が極端に少ないことだ。
どうやら聖王国ではあまり飲酒が推奨されていないらしく、酒を売っている店舗がかなり少ない。
そのかわりに聖王国では甘い菓子や飲み物が好まれるようで、夜になるとそういったものを出す露店が増え始めている。
ちなみに客引きの街娼などの姿はない。娼館なども見えないことを考えると、聖教はいささか以上にそちらの方面には厳しいようだ。
「おじさん、一杯いくら?」
「銅貨三枚だよ」
聖王国の物価は、ユグディア王国と比べるといささか安い。
魔物の売却益やマリーの護衛代などで懐の潤っているロンドであれば、しばらくの間食うには困らなくて済みそうだ。
ちなみに通貨が銅貨、銀貨、金貨なのは変わらないが通貨そのもの事態が王国とは異なっている。
王国では王家の横顔が彫り込まれているが、聖王国では聖遺物と呼ばれる聖人が残したとされる伝説の魔法具が描かれている。
魔法具というのは、簡単に言えば何度も効果を発動できる魔法石のようなものだ。
どういった製法で作られるかは不明であり、現代の技術では再現も不可能。
古代遺跡から数年に一度掘り出されるかどうかというほどのレアもので、一つに天文学的な値がつくことも多いという。
(四肢欠損すら何度でも治せる魔法具か……そんなものが手に入れられば苦労もなくなるんだけどな)
苦笑しながら加糖されている茶をもらう。
素焼きで作っているらしい素朴な容器は、飲んだ後は返すようになっているらしい。
「――甘っ!?」
口に含んでみると、信じられないくらいに甘かった。
公爵家に世話になっていたロンドは必然的にお菓子などを食べる機会も多かったのだが、あちらで食べていたお菓子は砂糖はかなり控えめだった。
だがこの茶は、暴力的なほどに甘い。
かなりの量の砂糖が使われていないとこうはならないはずだ。
多分だが聖王国の領地の中に、砂糖の生産地があるのだろう。
(聖王国では農業が盛んなんだったか)
聖王国では神の教えを実践するためにということで、教会などで積極的に農業を行っているという。
元々地味が良いこともあるのだろうか、その後も冷やかしがてら見て回ってみるが、聖王国では食料全般が王国と比べるとかなり安めであった。
多分だが、食料生産力の桁が違うのだろう。
大国の大国たる所以をまざまざと見せつけられた気がしたロンドは、食事を終えるとそのまま宿に戻り、ゆっくりと眠りにつくのだった……。