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約束の答え


「ロンドさん、初めまして」


 屋敷へやってきた男は、いかにも牧師然としたところのある男性だった。

 年齢は六十前後ほどだろうか。口周りに白い髭が生えており、好々爺といった感じがある。


 彼は今回の使者ということなのだが、着ているのは礼服などではなく彼ら聖王国の人間が一般的に使う修道着だ。

 白を基調にしたゆったりとした服で、ところどころに宗教的な意匠と思われる十字架や草の冠などのモチーフと思えるものが縫い込まれていた。


 ちなみにこれが女性向けのものになると、なぜか身体のラインにぴっちりと合ったものになる。


「バークシャーと申します。猊下より司教の地位を授かっております」


「えっと……ロンドです、今回はよろしくお願いします」


 スッと差し出された手で握手を交わす。

 その瞬間ロンドが感じたのは、手のひらの硬質な感覚。

 剣を握るもの特有の剣ダコに、外から力を加えられてもまったくブレることのない体幹。


 間違いなく戦いを生業とするもののそれだ。

 少し目を見開いたロンドを見て、バークシャーがフォッフォッフォッといかにも老人じみた笑い声をあげる。


「各地を旅しておる都合上、ある程度は自分の身は自分で守る必要がありましてな」


 司教の地位にあるということは、王国においては子爵に相当する貴族と同様の地位と言うことになる。

 だというのに彼の後ろには一人しか供回りがいない。

 どうやら聖王国での常識は、王国とはずいぶんと違ったもののようだ。


 それにこの老人も、恐らくただ者ではないだろう。

 道中も気を抜いているような余裕はなさそうだ。


 昼頃にやってきたバークシャーだが、長旅は慣れているとわずかな休憩の後にすぐに出発することになった。

 その間にロンドは最後になるかもしれない別れの挨拶を済ませることにする。


 まず挨拶に向かったのは、公爵家当主であるタッデンの下だ。


「何か状況が動けば、事前の手はず通りにすぐに連絡をするようにする」


「ありがとうございます。自分もあちらで何かできることはないか、色々探してみます」


 クリステラ聖王国とユグディア王国の関係は基本的には良好で、当然ながら手紙の行き来や使者の往来も禁止されていない。


 故にロンドは定期的に連絡ができるよう、事前にタッデンと繫がっているいくつかの情報網を教えてもらっている。

 情報が届くのに一、二週間程度はかかるだろうが、それでも細かな連絡を取り合うことは十分に可能だ。


「せっかくの休みと思い、何もせずゆっくりしてくれていれば、それでいいのだがな」


「それができれば、ありがたいんですけどね……ハハッ」


 聖王国に行っても自分は、色々と面倒に巻き込まれる気がする。

 そんな意味を言外に含ませたロンドの自嘲気味の笑いに、タッデンもまた笑みを返した。


「ロンドがうちにやってきた時の約束を違えるつもりはない。エドゥアール家との調整は、アナスタジア公爵家が矢面に立ってなんとかやってみせる。全てが終わったら……また帰ってきたら、その時は大事な話がある」


「――はい、わかりました」


 真剣そうなタッデンの表情に、ロンドも真摯に答える。

 きっと本当にタッデンは、ロンドのことを本気で守ってくれようとするのだろう。

 マリーのことを通じて感じたことだが、タッデンは公爵家の当主としてはあまりにも優しすぎる。


 ロンドのことがどのように着地することになるのかはわからないが、いざという時は公爵家にだけは迷惑をかけないようにしよう。

 改めてそう決意をするロンドはそのまま頭を下げて、公爵の執務室を後にする。


「ロンドさん、これ……クッキー焼いたんです、もしよければ持って行ってください」


「あ、ありがとう」


 公爵家の人間に挨拶をしていくと、彼らはロンドが出て行くことを知っていたからか、事前に用意していたお菓子や小物などをプレゼントしてくれた。


 最初にロンドがやってきた時、彼らの態度は非常に冷たかった。

 けれどマリーを救出することに成功してからというもの、彼らの態度は大きく変わった。


 幾度もの苦難を乗り越えてみせたことで、ロンドはよくわからない手管でマリーの毒を治した礼儀のなっていない食客ではなく、マリーが信頼するほどの実力を持った公爵家の人間になっていたのだ。


 自分の変化というものに、人は自身では気付きづらい。

 環境や人との関係性の変化で、ふとした時に変わっていたことに気付くのである。


 ロンドが歩きながらあいさつをする度に、使用人の人達もあいさつを返してくれる。

 中にはロンドが去ることを惜しんで、目に涙を浮かべてくれるメイドまでいてくれた。


 自分の出自のせいで公爵家に迷惑をかけてしまったと少しだけ気落ちしていたロンドの顔は、気付けば前を向いていた。

 自分がやってきたことは無駄ではなかったのだと、皆がそう言ってくれているような気がして。


(でもこれ、全部持っていけるかな……)


 背中を押されているように感じながらも、ロンドは両手が塞がってしまうほどもらった大量のプレゼントを見て、少し冷や汗を掻く。

 そしてその状態のまま。彼はゆっくりと歩き出した。

 ある部屋へ辿り着き、ゆっくりとノックをする。


「どうぞ」


 そこに待っていたのは、窓の外の景色を眺めているマリーだった。



「ずいぶんと慕われてますね」


「ありがたい話です……本当に」


 許可を取り、マリーの部屋の中にもらったプレゼントを一旦置かせてもらう。

 そのうちの一つ、不格好で右の目玉が飛び出しているちょっとホラーな熊のぬいぐるみを見ながら、ロンドがわずかに笑った。


「全てマリー様のおかげですよ」


「ロンド……」


 ロンドとマリーの距離は、近づいたり離れたりを繰り返している。

 二人は思い合っていることはわかっていたが、ロンドは結局最後の最後まで、一歩を踏み出すことができなかった。


 自分のせいでマリーに迷惑をかけることは、したくなかった。

 そう言い訳することはできるかもしれないが、実のところはただ臆病になっているだけだ。

 ロンドは誰かも愛されることなく育ってきた。

 母は幼い頃に亡くし、それ以降誰からも愛情を注がれることはなかった。


 だから彼は無意識のうちに愛というものを恐れているのかもしれない。

 自分にとって未知の、得体の知れぬものである愛のことを。


 以前ロンドはマリーに待っていてくれといった。

 自分が強くなるまで、待っていてくれないかと。


 あの時と比べれば、ロンドは格段に強くなった。

 だがこうしてまた二人が離ればなれになってしまったことからもわかるように、全ての理不尽をはねのけられるだけの強さを手に入れることはできずにいる。


 いっそのこと理不尽に開き直ってさえしまっていれば、二人の関係性また変わっていたものになっていたかもしれない。


 そんな風に自嘲気味に笑うロンドを見て、何を思ったのかマリーはずんずんと彼の方へと駆け寄ってきた。

 そしてそのほっぺを両手でむにっと握り、自分の方を向かせる。

 マリーとロンドの目と目が合う。ロンドは彼女の美しい瞳に、思わず吸い込まれそうになる。

 思わず視線を逸らそうとするが、そんな軟弱な動きをマリーは許さない。

 こういう時はいつだって、女の子の方が強くそして賢いのだ。


「私、ロンドのこと好きですよ」


「――っ!?」


「だからロンドが言う通り待っていようかとも思いましたが……気が変わりました。このままロンドの覚悟が決まるのを待っていたら、本当におばあちゃんになっちゃいそうですし」


 ずいっとロンドに顔を近づけるマリー。

 彼女の端正な顔が視界いっぱいに入り、ロンドの胸が思わずドキリと高鳴った。


「そ、そんな、ことは……」


 ふわりと香るフローラルな、女性的な香り。

 ヘザーハニーを思わせる甘い香りが、ツンと鼻腔をくすぐった。


「ただ私も、何もわかっていないお嬢様じゃありませんから無理を言うつもりはありません。ですから……今回の一件が終わったら、きちんと正式にお付き合いをしませんか?」


 彼女はそう言って、ロンドのことを上目遣いで見つめてくる。

 そこにわずかな不安が隠れていることを、マリーのことをよく見ているロンドが見逃すことはなかった。

 彼女もまた、不安を感じているのだ。


 けれどマリーはしっかりとその感情を覆い隠し、気丈に振る舞っている。

 彼女もまた、色々な経験を経て大人になっている。

 臆病になって前に進めていない自分が、恥ずかしく思えてきてしまうほどに。


(たしかに……いつまでも答えを先延ばしにするのは良くないよな)


 自分の気持ちに整理を付ける。

 今回の一件が終われば、ロンドのせいでこれ以上公爵家に迷惑をかけることはなくなるだろう。

 後の問題は庶子であるロンドとマリーの身分差になってくるが……なんとなくなのだが、タッデンであれば二人が本気だとわかれば、それを止めることはないだろう。

 ひょっとするとその辺りをなんとかするための方策も、彼なら思いつくことができるかもしれない。


 そう結論が出ると、後の動きは早かった。

 足踏みをする理由がなくなれば、歩を進めることは決して難しいことではないのだ。


 ロンドは近づいたままのマリーの顔に、そっと自分の顔を近づける。

 二人の唇同士が触れ合った。

 距離を取り、再び見つめ合う。


 身体が妙に火照っている。

 マリーの頬は赤くなっているのが見えたが、きっと自分の頬はそれ以上に赤くなっているだろう。


 交わした約束を違えぬよう、ロンドは強くなろうと誓った。

 幸いなことに、今から向かう場所には、それだけの環境がある。


 大国である聖王国であれば、強くなるための戦いの相手にも事欠くことはないだろう。

 こうしてロンドにまた一つ、帰らなければならない理由が増えた。


「帰ってきてくださいね……ロンド」


「ああ……必ず」

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