オットー・フォン・エドゥアール
「ふっ、待っていろロンド……今度こそ貴様を、必ず――」
「ふむ、なるほどな……」
遠くから反響して聞こえてくる声を聞き、一人頷いている男がいた。
巌のような巨大な肉体に、気の弱い者であれば見ているだけで気を失ってしまうほどの強面、そしてその身体から発される圧倒的な覇気を纏うその男は、この屋敷の主である、オットー・フォン・エドゥアールであった。
ほとんどの人間には知られていないことだが、この屋敷には使われている土壁には、オットーが魔法によって生み出した土が使われている。
一流の土魔法の使い手は、土と同調することでその振動で音を拾い上げることが可能。
そのためこの屋敷の中で行われていることはその全てが、彼に筒抜けになるようにできている。
その事実を知る人間は片手で数えることができるほどにしか存在しておらず、当然フィリックスもそれを知らない。
オットーは今回の一件の情報を、既にフィリックスより早い段階で耳にしていた。
だが彼は敢えて自分から動くことはしなかった。
時間が経ちフィリックスがどう動くのかを、確認しておきたかったからだ。
エドゥアール辺境伯家の歴史は優に百年を超えている。
けれど建国時からある由緒正しき大貴族と比べるとはるかにその歴史は浅い。
それだけの短期間で、なぜ新興の貴族家であったエドゥアール家が成り上がることができたのか。
その理由は代々の当主が受け継いできた独自の文化と、その気風にあった。
気構えや家訓、慣習などは数多くあるが、それら全ては『使えるものはなんでも使う』という一言に要約することができる。
清濁を併せのみ、時には悪逆に手を染めようとも断じて事を為す。
魔物を蹴散らし人をひれ伏させるだけの圧倒的な力だけでは、人はついてこない。
力はあるのなど当然であり、そこに人を手懐けることができる知恵や奸智が備わって初めて、エドゥアールの名を継ぐ資格があるとみなされる。
「フィリックスは殺すことを選んだか」
オットーはフィリックスを次期当主として見定めている。
けれど彼には少し潔癖なところがある。
清廉な王国貴族たろうとする彼のことを、オットーは問題視していた。
水の清い川に、魚は棲まない。
今のフィリックスについてくるのは貴族的思考に凝り固まっている者ばかりであり、彼の支持基盤は正直あまり強固とは言えない。
現在王国の情勢は、混沌の様相を呈している。
開拓が進み帝国と領地を接するようになってから十年以上、既に帝国の魔の手は王国の深くまで伸び、聖王国の静かなる侵略である布教活動すら黙認せざるを得なくなるような状況で、王国の影響力は低下の一途を辿っている。
現状が小康状態を保つことができているのはただの偶然と奇跡に過ぎないことを、帝国の力を知るオットーは誰よりも理解していた。
その荒波を乗りこなすためには、良き当主が必要だ。
必要に応じて二枚三枚の舌を切り替え、内通する振りをしながら帝国の内部まで浸透して暗殺や破壊工作を命じることができるような、良き当主が。
故に彼はロンドを、フィリックスの器を図るための試金石とすることにしたのだ。
系統外魔法の使い手であるロンドに対しどのような手に出るのか。
その結果は殺害。もっとも陳腐で、ありきたりな、予測のできるものでしかなかった。
「つまらんな……」
フィリックスは領主としては有能な人間だ。強力な魔法の力を持ち、カリスマもある。 もう一皮剥けてくれれば、エドゥアールを任せるに足る人間になると思っていた。
故にオットーは静観の構えを取ることにした。
エドゥアール家が一丸となって動けば、また新たな何かを得ることができるだろう。
自分が領主として君臨し余裕がある現在であれば、それを見守る程度の余裕はある。
(問題になってくるのは聖王国だな……少し、探りを入れてみるか)
聖王国の接触の仕方やわざとらしい情報伝達は気がかりだ。
恐らくあちらも、何か別の思惑の下で動いているに違いない。
あまり他国の事情に口出しをしない聖王国にしては珍しい干渉の方法であることを考えると、聖王国の上層部の誰かが動いているのは間違いなさそうだ。
その辺りの詳しい事情を探ることができれば、聖王国内部の権力構造に一枚噛むこともできるかもしれない。
「……くくっ」
報告を出されるまで、オットーはロンドという人間の存在を完全に頭から忘れ去っていた。 服毒自殺を命じたことすら、言われるまで忘れていたほどだ。
才能がない人間に生きている価値はない。
だが才能があるのであればそこには利用価値が生じる。
オットーは笑いをかみ殺しながら、再度ロンドの資料を漁る。
辺境伯領からの脱出と、アナスタジア公爵家の庇護、そして一連のマリー奪還騒動にクリスタルドラゴンとの戦闘……なかなかどうして面白い遍歴だ。
「まさか庶子のこいつが、エドゥアールの血を一番色濃く受け継いでいるとはな……」
必死の思いで逃走し、公爵家に取り入り、系統外魔法である毒魔法を使って激しく動き回って己の有用性をアピールする。
使えるものは何でも使ってなんとしてでも生き延びようとするその姿勢は、正しくエドゥアールのそれ。
その必死な様子は、オットーからすれば好感が持てるほどであった。
「はてさて、どうなることやら……」
なんとしてでも生き延びようとするロンドを、果たしてフィリックス達は殺すことができるのか。
彼らの再度の邂逅は、エドゥアール家の在り方に間違いなく新たな風を吹かせてくれることだろう。
どのような結果を迎えるにせよ、これでエドゥアール家はまた一つ強くなることができる。 たとえどちらかが死ぬことになったとしても……。
全ての事態を織り込み済みであるオットーは、居室で一人笑う。
オットーからすれば己の子が殺し合うことも、それによって死者が出ることすらも、全ては領主の座を明け渡すまでの過程に過ぎない。
彼もまた――この乱世を生き抜く、怪物の一人であった。