フィリックス・フォン・エドゥアール
エドゥアール辺境伯家。
ロンドの生家であるこの貴族家は、数百年の歴史を持つ王国の中では比較的最近勃興した家である。
辺境伯は宮中伯などと同様、伯爵であり、伯爵以上の権力を持つ貴族のことを指す。
エドゥアール家が侯爵や公爵にも並ぶほどの権勢を持っているのは、その成り立ち故であった。
元来エドゥアール家は森の開拓と引き換えに爵位を譲り受けた、子爵家であった。
だが彼らは森を己の手で開き領土を拡張し、土地を富ませ、そして最終的には辺境伯家として認められるだけの力を自らの意志で手に入れた。
魔物の跋扈する森を開拓し己の道を切り開いてきたエドゥアール家においては、尚武の気風が強い。
その中で最も尊ばれるのは魔法の才能の有無である。
魔法の才能がない者は、エドゥアール家にあらず。
それは家が興って以降変わらぬ、エドゥアール家の不文律である。
才能ナシの烙印を受けた者は、たとえ他に才能を持っていようとエドゥアール家の人間として認められることはない。
彼らは自家の恥を外に出さぬためにと、幽閉されたり……あるいは服毒自殺を命じられたり。
どのような選択が採られても、その末路は悲惨なものばかり。
そしてその中に、誰一人として例外はいなかった――そう、今この瞬間までは。
「……なんだと?」
エドゥアール辺境伯領の領都、エドゥワルドの中央に位置する屋敷の二階。
吹き抜けになっている階段の先の中二階に位置している屋敷の執務室にて、一人の青年――フィリックス・フォン・エドゥアールが眉間に皺を寄せていた。
さらりとした金髪を流す彼は、その端正な顔立ちが歪めながら神経質ぎみに机を指で規則的に叩きながら、目を瞑っていた。
その豹変ぶりにびくりと身体を震わせつつも、使用人はそのまま報告を続ける。
話を耳にする度に機嫌が悪くなっていくフィリックスの様子に額から汗を流しながらも、なんとか報告を終えた。
「……もういい、下がれ」
「はっ! こちらが報告書になります」
使用人は明らかにホッとした様子で、その場を後にする。
そして部屋の中には一人、フィリックスだけが残されていた。
彼の視線は、机の上に置かれた報告書に釘付けになっている。
「あの汚れた血が……ロンドが、生きていただと? にわかには信じがたい話だが……」
彼がされた報告の内容は、ロンドの生存と、彼が今まで為してきた諸々に関する事柄であった。
そこにはロンドが公爵家で行った襲撃者の撃退やアナスタジア公爵令嬢であるマリーの数度に渡る救出、そしてドラゴンを撃退に至るまでの各種事柄が、時系列ごとに詳細に記されている。
たしかにそのロンドという人物が活躍し始めた時期と、ロンドが死に埋葬された時期は被っている。黒髪黒目という人相も一致している。
だが報告書から見えてくるその人物の姿は、自分が数度だけ視界の端に映したことがあるロンドとはまったく違う。
フィリックスの中で二人の像が上手くつながらないのだ。
「それも――系統外魔法とは」
そのロンドを名乗る人物は、系統外魔法である毒魔法の使い手であることが判明している。
系統外魔法の使い手は、王国内でも片手で数えられるほどしかいない。
かくいうフィリックスも系統外魔法の使い手と一度やり合ったことがある。
その時は勝負が決まらずに痛み分けで終わったのだが……あれだけの力を持っている人物とフィリックスの知っているロンドが、やはりイコールで繫がらない。
自ら死亡を確認したロンドが生きているというのも納得ができない。
あのロンドは間違いなく死んでいたはずだ。
仮死状態という可能性もゼロではないが……それが毒魔法の効果だとすれば、一応理屈は通る。
もし二人が同一人物だとしたら、エドゥアール家は系統外魔法の使い手をみすみす一人逃がしたことになる。
それはフィリックスが人生で初めて行う、明確な失点になりかねなかった。
ロンドにはエドゥアール家の人間を名乗る資格はない。
母親の正当な血統を持たぬ彼が貴族として認められることは、ユグディア王国の貴族社会ではありえないからだ。
だが恐らく父である辺境伯の考え方は違う。
彼ならばいくら血統がない、貴族としては許されがたい庶子なのだとしても、その力が有用なのであれば取り込んでみせるのがエドゥアールの度量だとでも言うはずだ。
潔癖であるフィリックスや妹達からすれば度し難いが、父はそのような常識から外れた思考法をする人間だ。
「一応、調べてみるか」
フィリックスは使用人に命じ、ロンドの死体を共同墓地から探させた。
けれど既に合同の火葬も終えており、当然ながら証拠は何一つ残ってはいなかった。
墓守の人間に説明を聞いてみたが、ロンドが火葬されたという証拠も出てはこなかった。
だが情報を集めているうちに、一つ気になる情報が耳に入ってきた。
それはさる筋から聞こえてきた、ロンドに関する情報である。
信憑性に関しては疑うべくもない。
定期的にエドゥアール家に常駐しているプリースト……つまりは聖王国の僧侶からもたらされた情報であれば、情報源としては確かである。
「では、系統外魔法の使い手のロンドとうちのロンドは、間違いなく同一人物だと?」
「ええ、間違いありませぬ。私は遠目に何度か確認しただけですが……以前お屋敷の中にいらっしゃった少年と瓜二つだったように思えます」
そう言って頭を下げるのは、青と白の法衣をその身に纏う僧侶服の男だった。
年齢も恐らくは六十は超えており、長く胸の辺りまで真っ白なひげを伸ばしているが、その動きは矍鑠としている。
手に錫杖を持つその老人の瞳は、知性による静かな輝きを宿していた。
彼の名はウリス・クラム。
王国内を巡る流れの僧侶であり、領内での布教を認められている数少ないクリステラ聖王国導師のうちの一人であった。
「情報の提供、感謝する」
クリステラ聖王国は使える者の少ない回復魔法の使い手を多数抱えることで力を伸ばしている、押しも押されぬ大国の一つだ。純粋な国力で言えば王国よりも高く、大陸を帝国と二分している。
そのため司祭、聖王国の中ではそれほどの地位にいないものであっても、ある程度の態度で接しておく必要があった。
聖王国は領土的な野心がないことが救いではあるが、宗教に狂う彼らは王国の人間からすると考えられないような動きをすることも多い。
決して頭から信頼できる相手ではないが、少なくとも今回の情報に関しては信頼して良いだろう。
(あの不肖の弟が、生きていた……)
情報が手に入ったのなら、今すぐにでも動き出す必要がある。
フィリックスの失点に、そしてエドゥアール家の汚点になりかけないロンドを消すために。
(生かすか殺すかなど、考えるまでもない)
フィリックスはロンドも、更に言えばロンドの母である妾のラブナも大嫌いだった。
有力な王国貴族家であるエドゥアール家、その嫡男として、彼はロンドの存在を許すことができない。
彼の脳裏に、ある光景がフラッシュバックする。
それはフィリックスの母であるマディラと父の冷え切った関係。
その日の夜に見た、父の笑顔と、ラブナの――。
「――ちっ、嫌なことを思い出した」
頭を振り、フィリックスは急ぎ今後のことに頭を巡らせる。
ロンドは殺さねばならない。
父が何かを言い出すよりも早く、可及的速やかに。
同じ気持ちを抱えているであろうエドゥアール家の人間達を、フィリックスは急ぎ招集することにした。
いかに系統外魔法の使い手とはいえ、あの落ちこぼれのロンドを殺す程度、わけもないことだろう。
戦い方を叩き込まれその才を受け継ぐエドゥアール家の人間は、皆豪傑揃い。
それにいかに現在の魔法の系統から外れているというだけで、あくまでも魔法の範疇の中のこと。
少し戦い方に工夫をすれば、系統外魔法の使い手とやりあうことは不可能ごとではない。
何せ系統外魔法の使い手は決して完全無欠な最強の魔法の使い手ではなく、こちらと同じただの人間なのだから。
「ふっ、待っていろロンド……今度こそ貴様を、必ず――」