紋章と神獣
「背に乗れ、童」
「は、はい」
ロンドは少し緊張しながらもクリスタルドラゴンの背に乗る。
もっと無機質なものだと思っていたが、不思議と鱗の一枚一枚はわずかにぬくもりと弾力がある。
想像していたよりも柔らかい背に乗ると、クリスタルドラゴンはそのままばさりと翼をはためかせる。
彼は一瞬のうちに空を翔ると、そのままぐるりと山の側面へ回り横穴の一つへ入っていった。
中は薄暗いながらも灯りがあり、あちこちにきらびやかな宝飾品が置かれている。
恐らくはここも、クリスタルドラゴンのねぐらの一つなのだろう。
「まあくつろぐといい、あいつの宿主ともなれば無下にもできんからな」
「それは……ありがとう、ございます?」
「数百年ぶりにもなるか、随分と久しいのぉ……」
「はぁ……」
ロンドからすると何が何やらわからないうちに話が進んでいるのだが、なんにせよ話もできているし、前進しているのは間違いない。
本来であればミスリル鉱山を出ていってもらうための話をしなければいけないのだが……あまりにも気になるところがありすぎる。
そちらの話をするのは、もう少し後のことになりそうだ。
「いくつか、聞いてもいいでしょうか?」
「ああ、わしに知っていることであれば答えよう」
「ヴァナルガンド……とはなんでしょうか?」
「なんじゃ。童は自分に宿っておる者の正体すら知らんのか。邪龍ヴァナルガンド――かつて龍災の一角を為していた、わしの盟友よ」
どこか遠い目をしながらそう答えるクリスタルドラゴン。
そこに宿る高い知性は、人となんら変わらぬものであるように思えた。
「それを象った紋章……ということではないのですよね?」
「ああ、おぬしの中には確かにヴァナルガンドが宿っておる。人が魔力紋などと呼ばれているそれの中にな」
「魔力紋に、龍が……?」
然り、と言いながら説明をするクリスタルドラゴンの話は、ロンドが知らぬはるか古の話。
ロンドはおろか王国に居る誰も知らないであろう、葬られた過去の歴史であった。
「そもそも今より数千年ほど前、神代の世が終わり暗黒時代に入ってからの話じゃ。人は愚かにもこの世界を司る存在である神獣へと挑むようになった」
「神獣、ですか?」
「ああ、神によって生み出された神世の魔物のことじゃ。わしらのような龍やグリフォンなどがそうじゃな。平和と維持を司るナルロディア様に頼まれた使命を果たし世界を見守る、観察者達じゃよ」
今よりはるか昔、歴史が残らぬほどの古の世界において、人間は今をはるかに凌駕するほどの文化・文明を誇っていた。
神達が作り出した神具や、それを模して生み出された高性能な魔道具などを使い、人間は繁栄を謳歌したのだという。
だがある時、神達が立て続けに消える謎の現象が起こり、それ以降神が俗世に干渉することはなくなった。
その後も人間達はその数を増やし、この大陸中に満ちていき、そして当然の結果として土地が足りなくなった。
そうなると人間達は、神が生み出した世界を維持するための機構である神獣達が邪魔になった。
人間達は神獣へと挑み、神獣達は己の存在を災いへと転じてでも神の作り上げた世界の維持を望んだ。
そして起きたのが神獣と人間達の争いである、人災大戦である。
目の前に居るクリスタルドラゴンも龍災として恐れられた、神獣のうちの一体だったという。
「そしてヴァナルガンドもそうだったと……?」
「いかにも。ヴァナルガンドの神獣としての格はかなり高かったんじゃが、いかんせんあやつは暴れすぎた。大陸を一つ沈めてみせたのは見事じゃったが、その分人間達にも警戒されてしまっての。最終的には英雄達に削られて死に体になってしもうた。そこでヴァナルガンドが目を付けたのが、当時人間が決戦用に開発していた魔力紋じゃ」
「大陸を、沈める……」
ロンドはユグディア王国に関する歴史は学んでいたが、それ以前の歴史に関してはほとんど知らないと言っていい。
彼は読書好きで本をよく読む方だったが、そもそもそれほど昔の話はほとんど本にすらなっていなかったはずだ。
話の規模も、少しばかり大きすぎる。
大陸を一つ沈めた龍が自身に宿っていると言われても、正直イマイチピンとこない説明だ。
だがクリスタルドラゴンの話す魔力紋に関する説明は、非常に興味深いものだった。
ロンドにとっても馴染みの深い魔力紋。
才能がある人間にしか宿らないとされているこの紋章は、かつては神獣と戦っていた人類が開発したものだったらしい。
そしてそれが長い時間をかけて人間の血の中に馴染んでいき、今では優れた魔法使いの血統に現れるようになったんだとか。
今と比べてもはるかに優れているという古代文明は、兵士達全員が紋章つきの一流の魔導師だったという。更に言えば使える魔法の練度も、今とは比べものにならなかったらしい。
神獣を除いてほぼ全ての魔物を駆逐しきっており、彼らを除いて人類の敵がほとんどいないような状態だったと聞けば、その実力もうかがい知れるというもの。
そんな今より強力な魔法文明を持っていた人間を相手に、ヴァナルガンドは追い込まれた。
そして手負いとなりいよいよ進退が窮まったときにその龍が目を付けたのが、人間の魔力紋だったらしい。
「魔力紋は、術式を身体の、より正確に言えばその人間の存在に刻印という形で彫り込むことで効果を発現させる。あやつは己の存在そのものを術式とし、魔法として人の中に宿ることを選んだのよ」
「人間と戦っていた龍が、人間と共に歩むことを選んだということでしょうか?」
「そうさな……どのような心境の変化があったのかはわからんが、あやつは最期には神獣として人を見守ることを選んだ。結果としてそのおかげで死を免れることができたし、賢い選択じゃったよ」
話を聞いても、今のロンドにはわからないことばかりであった。
ただ一つ確かなことは、今自分の背にはかつて世界を震撼させたという龍が宿っているということだ。
そっと背を撫でると、まるでロンドに感応するように、紋章がドクンと脈打った気がした。
「ちなみにじゃが、ヴァナルガンドのやり方を真似て、他の神獣達の中にも魔力紋として転生した者も多い。もっとも、かなり術式に関する理解が必要だった故、それほど数は多くはないがな」
「宿っている神獣達は……今も生きて、意識を保っているのでしょうか?」
「ああ、恐らくより身体に馴染んでいけば、いずれ会話を交わす機会もあるじゃろう。共生を選んだ者達じゃから、身体を乗っ取られるといった心配は無用じゃよ」
気になっては居たのだが、どうやら龍に身体を乗っ取られるような心配をする必要はないらしい。
内心でホッと安堵しながら、ロンドはふと思い出したことがある。
自分が知っている紋章で、生き物の形をしたものといえば、マリーが持つ鷲型紋章だ。
もしかすると彼女の身にもまた、神獣が宿っているのかもしれない。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、ロンドはきっかけを待つことにした。
色々な事実を知らされて頭がパンクしそうになっているものの、彼がここにやってきたそもそもの理由はミスリル鉱山の再稼働のためだ。
ロンドはタイミングを見計らい、クリスタルドラゴンへと本題を切り出すのであった。