出立
ミスリル鉱山に住まうドラゴンの討伐が決定したその日の夜。
マリーは久しぶりに、自室の窓から領都ヨハネスブルグを眺めていた。
「ふぅ……」
「お疲れさまです」
ロンドが紅茶を入れ、ことりとテーブルの上に置く。
コップから立ち上る匂いにくるりと振り返った彼女は、そのままカップに口をつける。
少し猫舌であるマリーに合わせたぬるめの温度にたっぷりと入った砂糖。
その心遣いに、思わず笑みがこぼれた。
「ええ、本当に疲れました……でもこんなに笑ったのは、久しぶりです」
マリーの帰還に対するタッデンの喜び用は普通ではなく、以前快気祝いをした時に勝るとも劣らない規模のパーティーが開かれた。
今回は事件自体を公にできないこともあり参加したのはアナスタジア家の人間だけではあったが、久しぶりのパーティーにかなりお疲れのご様子だった。
「どうかされましたか?」
パーティー中マリーの顔色が優れないことには気付いていた。
この領都にやってくるまでの間に彼女はずいぶんと元気を取り戻していたはずなのだが、ロンドからすると今の彼女はかなり無理をして空元気を振り絞っているように見えている。
「アマンダのことです」
「ああ、なるほど」
「ロンドは思っていたよりも、動転していないのですね」
「自分は既に聞いていましたから」
「……そうだったんですね」
アマンダがタッデンに切り出した提案は、あの瞬間に咄嗟に出たものではない。
一度身一つで武者修行の旅に出るという話自体、ロンドは先日アマンダ本人から直接打ち明けられている。
「どうやらアマンダは、アルブレヒトとの戦いが大分しこりになっているみたいで」
アマンダはアルブレヒトの一撃でそのまま意識を失った。
そして次に目が覚めた時には、既に戦いは終わっていたのだ。
騎士として己の強さを頼りに道を切り開いてきたアマンダからすれば、自分を許せなくなるのも当然のことと言える。
ちなみに相談をされた時、ロンドはアナスタジア家にいても強くなることはできると説得しようとしたのだが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。
今までアナスタジア家にいてもダメだったのだから、より強くなるためには外に出るしかない。
彼女の考え方は合理的で、それ故にロンドは説得するのをやめたのだ。
「アマンダも色々と思うところがあるんでしょう。俺には騎士としての誇りや忠誠みたいな難しいことはわかりませんが、きっと彼女なら大丈夫でしょう」
「ふぅん……随分と信頼しているんですね、彼女のことを」
マリーの言い方には、かなりの含みがあった。
そして驚いたことに、その声音には少し棘がある。
驚きから顔を上げてみると、マリーは笑っていた。
けれど思わずロンドの喉から、ひゅっという音が鳴った。
彼女は笑っている。けれど間違いなく、怒っていた。
本当に怒っている時には、人は笑うのかもしれない。
そんな益体もないことを考えながら、呆然とする。
「ねぇロンド……長いことみていないうちに随分とアマンダと仲良くなったんですね?」
「えっ!? いや、そんなことはない……と、思いますが……」
言葉が尻すぼみになっていくロンド。
たしかに言われてみると、彼とアマンダが仲良くなっているのは間違いない。
ロンドから見て、アマンダは一緒に職を辞してまでマリーを助けにいった戦友だ。
だからマリーが懸念しているような関係にはまったくなっていないのだが……仲が良くなっているのは間違いないし、そこを否定するのは違った気がしたのだ。
「私が一人で心細い思いをしている間に、ロンドはアマンダと仲良くなっていたんですね!?」
「そ、その言い方には語弊が! 仲良くといってもそういう意味では! 同じ釜の飯を食った戦友といいますか……」
マリーから初めて向けられた怒りの表情に、泡を食った様子で弁明するロンド。
彼は額に汗を掻き、しどろもどろになりながらもなんとかして誤解を解こうと身振り手振りを交えて説明を続けようとし……
「ぷっ……」
「……マリー?」
マリーが噴き出したのを見て、ロンドの動きが止まる。
そしてこらえきれずにお腹を抱えて笑い出したマリーを見て、彼は自分がからかわれていたことを悟る。
「大丈夫、疑ってません。私がロンドのこと、疑うはずがないじゃないですか」
彼女が窓を開けると、冷たい夜風が部屋の中へ入ってくる。
火照った頬と頭が冷やされ、ロンドはホッと安堵のため息を吐く。
「私は行けませんが……皆で帰ってくるのを、首を長くして待っています。頑張ってきてくださいね、ロンド」
「ああ……といっても、そんなにすぐに向かうわけでもないけど」
今回のドラゴン討伐では、マリーは屋敷でお留守番だ。
誘拐されて間もないということもあるが、アナスタジアとグリニッジ両家でのドラゴン討伐ということもあり、今回は当主であるタッデンが直々に出陣するためである。
ロンドも護衛だが、ドラゴン討伐においては彼の毒魔法は恐らく必要不可欠。
ロンドとしてもタッデンが戦う姿を間近で見るのは実は初めての経験だったりするので、共闘ができるのを密かに楽しみにしていたりする。
マリーとロンドは以前と同じように、二人で夜空を見上げる。
そしてそれから一月ほどの時間が経ち……アナスタジア公爵率いる騎士団の出立の日がやってくる。
「では、行ってくる」
「侯爵様、どうかお気を付けて……」
頭を下げるアマンダの様子を、ロンドは少し離れたところで見つめていた。
タッデンがクリスタルドラゴンの討伐のためしばらく留守にする間、マリーを始めとする公爵家の人間を守る必要がある。
アマンダはその警護の責任者をすることになったのだ。
クリスタルドラゴン討伐に出向きたいという気持ちはあるのだろうが、どうやらアルブレヒトの戦いがまだ尾を引いているらしい。
「うーん、ドラゴン討伐ですか……腕が鳴るというよりも、ちょっと恐ろしいかもしれないですね」
ロンドの隣には、ブルブルと大げさに身を震わせているキュッテが立っている。
彼女は今回は、アナスタジア公爵家の食客という形で討伐戦に参加することになった。
ロンドとマリーが頼んだ形なのだが、どうやらキュッテはあまり気乗りしていないらしい。
「まあ考えれば当然か。どれだけ被害が出るかわかったもんじゃないしさ」
「ええ、もちろんそれもそうなのですけど……私達エルフには、決して龍を怒らせてはならないという言い伝えがあるのです。精霊の加護を得ているドラゴン相手に戦うのは、自殺行為だと」
人間と比べてはるかに長い寿命を持つエルフは、それ故太古の伝承などを今でも語り継ぐことができている。
どうやらドラゴンに対しても、ロンド達が持っていない情報を色々と知っているようだ。
「なるほどな……あれ、でもそれだと以前一緒に戦ったラースドラゴンは大丈夫だったのか?」
「ええ、あれは紛い物の龍ですから……」
「紛い物?」
「ええ……龍は太古の昔に神が生み出した龍と、それより後に大精霊達が生み出した紛い物の龍の二種類に分かれています。当然ながら前者の方が強力で……多分今から倒しにいくのも前者の方です」
「神が生み出した龍か……キュッテは今回の戦い、どう思う? 忖度無しに正直に答えてくれていいからさ」
今回ドラゴン討伐に当たって、アナスタジア公爵であるタッデンはかなりの戦力を供出している。
リベット侯爵領とエドゥアール辺境伯領へ睨みを利かせるための兵や予備戦力を除いた、実に公爵領の総兵力の三割もの人員を割いているという。
タッデンはそれだけ、この一戦に懸けているということになる。
「正直な話をすれば……私はこれだけの軍を揃えていても、負けると思います。多分ですけどクリスタルドラゴンは、前に戦ったグレッグベアよりはるかに強いと思いますから」
「といっても、今更討伐をやめるわけにはいかないしな……」
領地財政が火の車であるグリニッジ侯爵領が抱えていた借財はかなりの量に上る。
今はアナスタジア家が肩代わりをしているものの、返済するためには金のなる樹であるミスリル鉱山の稼働再開は不可欠ということらしい。
せっかく今まで悪くなっていたグリニッジ家とアナスタジア家の仲が良好になってきているのだ。
最近ではまともに文官を育成していないグリニッジ家のために、アナスタジア公爵家がある程度家臣団を貸し出す話まで進んでいると聞く。
(それに色々と話を聞いている感じ、ここ最近のユグディア王国の情勢は色々ときな臭い。ミスリルが確保できておくに越したことはないだろうし)
今後公爵家周りがどのような展開を見せるにしろ、領地の収益はどれだけ増加しても困ることはない。
それにミスリルは、それ自体がある種の戦略物資だ。加工するには特殊な技術が必要らしいが、もしミスリルの武具を生産することができるようになれば、それだけ兵に与えられる武具の質も上がる。
長年の懸念も解決し、二つの上級貴族同士が同盟を組むことができるようになる。
クリスタルドラゴンさえ倒すことができれば、全ては丸く収まるのだ。
「まあ俺達が頑張れば、なんとかなる……だろ?」
「そうですね……可能であればもう少し、戦力になりそうな人が増えるといいんですが」
「と、いってもなぁ。グリニッジ侯爵家は人手不足だって話だし、あっちはあんまり戦力としては期待できないと思うぞ」
「ですよねぇ、私達だけでなんとかできるといいんですが……」
ネガティブモードになっているキュッテに苦笑していると、どうやら出立の時が来たようだ。
ギリギリまでタッデンと話をしていたマリーが、こちら側に近寄ってくる。
「ロンド……帰ってきてくださいね」
「はい、マリー様に勝利を捧げます」
「キュッテも、無理はしないように」
「はい、いざとなったら全力で逃げ帰ります!」
「逃げ帰られてしまうと、私達が困るんですが……」
こうしてタッデン率いるアナスタジア公爵騎士団が領都ヨハネスブルグを後にする。
目指すは両家の領境付近にあるミスリル鉱山。
ロンドはマリーが見えなくなるまで、彼女に手を振り続けるのであった……。
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