07 ヒロインのうわさⅠ
入寮も入学も滞りなく終わり、今日からローズマリーたちは学校生活が始まる。
庭師兼メイドとしてついてきたペリーウィンクルは、主人であるローズマリーが学校へ行っている間、庭師としての仕事に取り掛かっていた。
「ローズマリーお嬢様の好みは八重咲きのミニバラだけど……ソレル様の好みに合わせるなら、大輪の白バラは欠かせないし……」
妖精使い養成学校・スルスでは、生徒一人一人に箱庭が与えられる。
妖精使いたる者、妖精が好む環境を整えよ、ということらしい。
箱庭とは小さな箱の中に庭を作ることを言うが、実際には花壇と同じだ。
公爵家の令嬢として、そして春の国第一王子の婚約者として、ローズマリーの箱庭は誰に見せても恥ずかしくないものを造らなくてはならない。
最終目的は婚約破棄ではあるけれど、彼女が今まで築き上げてきた貴族令嬢としての矜持を、つぶすわけにはいかないからだ。
「うーん……責任重大だわ」
ペリーウィンクルがうんうんうなりながらローズマリーの箱庭をいじっていると、ふと影が落ちる。
なんだと思って顔を上げてみると、ヴィアベルの長身が、ペリーウィンクルに当たる日光を遮っているところだった。
ぬ、と背を屈めながら、ヴィアベルはやや不機嫌そうな顔をしている。
「おまえは女の子なのだから、帽子くらい被れ」
そう言って、ヴィアベルは持ってきていた帽子をペリーウィンクルに被せた。
ついでとばかりに、帽子ごと頭を撫でられる。
(いつまで子ども扱いするのかしら……もう)
目深に被らされた長いつばのある麦わら帽子を斜めにしながら、ペリーウィンクルは不満げにヴィアベルを見上げた。
そんな彼女の白い肌に日焼け止めすら塗られていないと気づいたヴィアベルは、呆れたようにため息を吐く。
「日焼け止めも塗っていないのか」
ペリーウィンクルの無言の圧力に気づいているのか、それともあえて無視しているのか。
ヴィアベルは構わず、指をくるりと回して妖精魔法で日焼け止めを塗ってやった。
「おまえは昔から肌が弱いのだから、気をつけねば駄目ではないか」
彼の魔法はいつだって間違いなく完璧なのに、頰を触ってちゃんと塗れたか確認する始末である。
(あぁ……なんて過保護なのかしら)
ペリーウィンクルは、もともと構われるのが好きなたちだから、ヴィアベルに構われるのは心地良く感じてしまう。
世話を焼かれるのだってもちろん嬉しいのだが、いつまでも子ども扱いされるのはいただけない。
とはいえ、もう何年もこの調子できてしまったから、全然これっぽっちも親離れできる気がしない。
すると決めた以上、頑張るつもりではあるのだが。
「それで? 必要なのはパステルカラーのミニバラと大輪の白バラ……これだけで良かったのか?」
差し出された苗を、ペリーウィンクルは反射的に受け取った。
どれもこれも、文句のつけようもない綺麗な苗ばかり。
種や苗を選ぶことだって庭師の仕事だというのに、ヴィアベルは今日もペリーウィンクルを甘やかしてくる。
(これじゃあ、ちっとも親離れできない! ここはガツンと親離れ宣言しないと駄目だわ!)
「ヴィアベル、話が──」
決意に満ちた目で、ヴィアベルを睨むように見る。
そうして開いた口から発した声は、彼から被せるように「ところで」と言われてしまい、最後まで言いきることができなかった。
「こんなうわさは知っているか?」
「……うわさ?」
「うわさ好きの妖精どもが騒いでいたのだ。虹色の髪を持つ娘のうわさをな」
「虹色……」
それはつまり、ヒロインのことではないか。
ペリーウィンクルが先を促すように興味津々の顔で見つめると、ヴィアベルはまるで寝物語を語るように「では話してやろうか」と滔々と話し出した。
虹色の髪を持つ娘の名前は、リコリス。
彼女は、妖精の中でもとびきり力が強いとされている、ひだまりの妖精と契約している。
そのため、中央の国に来る前からうわさ好きの妖精たちは彼女のことが気になって仕方がなかった。
この島に来た時も、妖精たちはあらゆるところからひっそりと、彼女を見ていた。
一体どんな娘が、ひだまりの妖精と契約を結んだのだろうか、と。
妖精たちの注目の中、リコリスは校門前で盛大に転んでしまったようだ。
居合わせた学校長の息子であるシナモンが助け起こすと、彼女は涙ながらに訴えた。「わたし、誰かに足を引っ掛けられて転んじゃったんです!」と。
妖精たちは首をかしげた。
だってリコリスは、一人で勝手に転んだのだ。
リコリスの近くにいたのは三人の娘だけで、彼女たちは何もしていなかった。
三人中二人は、重いトランクを抱えていたし、残る一人は小さな体にゴテゴテしたドレスを身につけている。
だからどうしたって、リコリスに危害を加えられるはずがない。
リコリスがしていることは、故意なのか勘違いなのか定かではない。
だが彼女は、よりにもよってシナモンに、誰かに転ばされたとうそをついて、犯人を探させているようなのだ。
シナモンは、この学校の長の息子である。
父がこの場所をどんなに大切にしているか、誰よりも理解していた。
妖精である父は、シナモンにあまり関心がない。
番であり、シナモンの母である冬の国の姫だけが特別だった。
もともと息子に対して関心が薄かったが、番を喪ってからは皆無になってしまったらしい。
残されたシナモンはなんとか父に認められようと頑張っているが、あまり芳しくはないようだ。
そんな中、初めて誰かに頼られた。
シナモンは嬉しかったのだろう。
しかも、頼ってきたのは力の強い妖精と契約している、注目株のリコリス。
彼は舞い上がり、現在は躍起になって犯人探しをしているらしい。
「……えぇ? でも私、近くで見ていたけど、本当に勝手に転んでいたよ?」
「うむ。三人の娘の特徴を聞いてよもやと思っていたが……やはりおまえだったか。もう一人はローズマリーだな?」
「そうだよ。でも、あの場にもう一人いたかなぁ?」
「私が聞いたのは、烏の濡れ羽色の髪に射干玉のような目、持っていたトランクは薄い衣に包まれていた……ということくらいだな」
ヴィヴァルディにおいて、黒髪に黒目は珍しい特徴だ。
まるで日本人みたいだなと思ったところで、ペリーウィンクルは「あ」と声を漏らす。
遠い東の国、ルジャからやって来た異国の令嬢──セリ。
シナモンルートにおける悪役令嬢というポジションである彼女は、まさに日本人らしい容姿をしている。
(ヒロインはシナモン狙い? だとしたら、何か対策しないと……逆ハーレム狙いならひとまず様子見かな)
考え事に没頭しだしたペリーウィンクルを見つめ、ヴィアベルはホッと胸を撫で下ろした。
彼女が何を言おうとしていたのか知らないが、とにかく嫌な予感しかしなかった。
とっさにどうでもいい話を振ってしまったのだが、無事に回避できたようで一安心である。
しかし、彼女は張り詰めたような顔をして何を言おうとしていたのか。
気になるが聞くのも怖いと、ヴィアベルはらしくもなく気弱に思った。