51 懐かしきわが家
妖精使い養成学校・スルスが浮かぶ湖の水面を、色とりどりの花が埋め尽くす。
これらは全て、箱庭で育てられた花たちだ。
次にやってくる生徒たちに明け渡すため、箱庭で育てられた全ての花は摘まれることになっている。
夜が明けたばかりの時刻、中央の国総出と言っても過言ではない大勢の妖精たちが箱庭に集結し、せっせと花を摘む姿は壮観だった。
ペリーウィンクルはこんもりと膨らんだエプロンの端を持ち、渡し舟が出る桟橋の近くである人が来るのを待っていた。
すでにセリとサントリナとは別れを済ませ、今後も友人であることを確かめ合って、見送ったあとである。
エプロンの端から、ふわりと一輪の花が舞い落ちる。
小さくて、やわらかで、甘やかな香りを放つ、薄紫色のミニバラ。
ローズマリーが大好きな花だ。
彼女を見送るには、これが一番ふさわしい。
「落としましたわよ」
落ちた花を、華奢な手が拾い上げる。
渡された花をエプロンで受け止めながら、ペリーウィンクルはにっこりと微笑んだ。
「ご卒業おめでとうございます、ローズマリーお嬢様。婚約破棄も無事に終わって、何よりですね」
のんきに笑っているペリーウィンクルに、ローズマリーはわなわなと震えた。
「一緒に帰らないなんて……聞いていませんわよ、ペリー!」
「ははは。まぁ、言ってませんからね」
「どうして……なんて愚問でしたわね」
ローズマリーの視線が、ペリーウィンクルの背後に向けられる。
ペリーウィンクルはそこになにがあるのか重々承知していたので、あえて見ることはしなかった。
人の姿をしたヴィアベルが、恥ずかしくなるような甘ったるい目で自分を見ているだなんて、ローズマリーを待つ間に通り過ぎて行った人たちの反応を見ればわかるというものだ。
「春の国へ来るようなことがあったら、連絡してちょうだい。わたくしが全力でもてなしますわ」
「春の国の宰相夫人の歓待を受けるなんて、私も出世したものですねぇ」
ペリーウィンクルが一緒に帰らない──いや、帰れない理由など、ローズマリーは知らなくて良い。
勝手に勘違いしてくれて良かった、とペリーウィンクルは思った。
そうでなかったらどうごまかそうかと、今の今になっても思いついていなかったから。
「そうね。今はまだ婚約者だけれど、すぐに宰相夫人になるわ」
「チャービル様と幸せになってくださいね」
「ええ。もちろん、あなたもよ?」
ローズマリーはそう言うと、背伸びをしてペリーウィンクルの頰にキスをした。
ペリーウィンクルも彼女の頰へお返しのキスを贈る。
「大好きよ、ペリー」
「私も大好きです、ローズマリーお嬢様」
「……ローズって呼んで。だってわたくしたち、それだけの仲でしょう?」
「ふふ。そうだね、ローズ」
親愛のキスだというのに、ヴィアベルから不満げな空気をひしひしと感じる。
ペリーウィンクルは手を離せなかったので、唯一動かせる足で彼を蹴った。
「じゃあね、ペリー」
「ローズもお元気で」
ローズマリーが船に乗り込む。
ペリーウィンクルは桟橋から、湖に向かってエプロンを広げた。
花が、舞う。
その瞬間を狙ったようにヴィアベルがふわりと風を起こし、花吹雪を作った。
バラの香りに包まれながら、ローズマリーが乗る船が漕ぎ出される。
ペリーウィンクルは彼女の姿が見えなくなるまで、桟橋で手を振り続けた。
***
「今日からここがおまえの家だ」
そう言って連れてこられたのは、驚くくらい実家に──祖父とヴィアベルの三人で過ごしたあの家にそっくりな家だった。
恐る恐る食器棚を開けてみると、並んでいる食器も見覚えがあるもので、ペリーウィンクルは目を見張る。
「あの、ヴィアベル? 気のせいでなければ、ここは私の家じゃない?」
「ああ、そうだ。どうせなら慣れた家が良いだろうと思って、移築したのだ」
「移築って……そこまでする?」
「嫌だったか? それなら、今すぐにでも新しい家を手配するが」
どんな家がいいのかと、まるで野菜を買うような感覚で言われて、ペリーウィンクルはクラクラしそうだ。
「いやいやいや、そこまでしなくていい。もう移築しちゃったのなら、このままここに住もう? ね? 幸い、部屋数は足りているわけだし」
勝手知ったるわが家だ。
ペリーウィンクルの記憶通りなら、一番手前にある扉は、ヴィアベルの部屋だったはず。
「ここはヴィアベルの部屋だったよね?」
扉を開けると、記憶にあるよりもだいぶ大きなベッドが、部屋を占拠していた。
ペリーウィンクルは思わず、
「間違えちゃったみたい」
と空笑いしながら扉を閉めた。
ドアノブを持って固まるペリーウィンクルに、ヴィアベルは背後から覆いかぶさるように耳元へ唇を寄せる。
「間違いではない。ここは主寝室。私とおまえが寝る部屋だ」
したたるほどに甘ったるい声音に、ペリーウィンクルが「ぴゃっ」と跳ねる。
ヴィアベルはそんな彼女をひょいと抱えると、さっさと部屋へ入ってしまった。
大きなベッドの上へ、まるで壊れ物を扱うように優しく下ろされる。
ベッドの上にペタリと座りながら、ペリーウィンクルは乗り上げてくるヴィアベルを見つめた。
「ねぇ、ヴィアベル」
「なんだ?」
「今、幸せ?」
ペリーウィンクルの問いに、ヴィアベルはふざけるようにニヤッと笑った。
「そうだな……幸せには、あと……」
ヴィアベルの顔が近づいてくる。
「キスひとつ、というところだ」
唇にやわらかな感触を覚える。
初めて知った熱に、ペリーウィンクルはとろりと甘く溶けるような気がした。
これにて完結です。
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時系列の都合上、書き切れない部分もあったため、落ち着いた頃に後日談として明かしていければと思います。