49 幕は上がり、
ペリーウィンクルは、用意されたとっておきの席へ腰掛けて、落ち着かなげに着慣れないドレスのひだを弄りながら、隣の席へ座る紳士を盗み見た。
いつもはラフな格好が多いヴィアベルだが、今宵は特別な夜ということもあって着飾っている。
ミッドナイトネイビーのジャケットにスラックス。ベストだけ違う色になっているのが、お洒落だ。
藍緑色をした髪はサイドが編み込まれ、いつもの黄色い蝶がちょこんととまっている。
(私の恋人が綺麗すぎる……)
知らず、ペリーウィンクルの口からため息が漏れる。それはもう、うっとりと。
もう何度も恋をしているというのに、ペリーウィンクルは今夜もまた、飽くことなく彼への気持ちを塗り重ねる。
そんな彼女の手を取って唇を押し当てながら、ヴィアベルは「まもなくだな」とささやいた。
──茶番が、はじまる。
今宵上演されるのは、愚かな王子の恋物語。
妖精魔法で煌びやかに彩られた大講堂で、幕は上がった。
「みんな、聞いてほしい!」
ソレルの声が、大講堂に響き渡る。
ある者は「あーあ」と天井を仰ぎ、ある者は「うわぁ」と呆れた顔を向け、ある者は気にも留めなかった。
時は七月。卒業シーズンである。
無事に卒業を迎えた新米妖精使いたちは、卒業パーティーのために大講堂へ集っていた。
「私は今日、デュパンセ公爵家のローズマリーと婚約破棄することをここに宣言する!」
会場中にざわめきが起きる。
そこかしこから、「なんて愚かな王子だろう」というささやきが聞こえた。
会場の端で勝手に茶会を始めていた妖精たちも、彼の言葉を馬鹿にするようにクスクス笑う。
当然だ。
ソレルとローズマリーの婚約は春の国の王が決めたこと。
たとえ王子であっても、勝手に婚約破棄などできない。
こんな場所──各国の上流階級が集うような場で宣言をすること自体、反逆罪と思われても仕方のないことである。
「考えなし」
会場のどこかから聞こえてきた声に、ペリーウィンクルは「ごもっとも」と静かに頷いた。
春の国の制裁を恐れてか、それともとばっちりはごめんだったのか。
ソレルの周りに妙な空間が開く。
おかしな空気が流れていると、彼は気づかないのだろうか。
(いいえ。たとえ気づいていたとしても、止めるなんて彼のプライドが許さないでしょうね)
ペリーウィンクルの予感は当たり、ソレルは止まらない。
よく通る美声で、彼は続けた。
「そして! ここにいる女性、リコリス嬢と新たに婚約を交わし、妻として受け入れることを宣言する!」
堂々とした宣言だ。
だが、ペリーウィンクルの目にはソレルが自棄っぱちになっているようにしか見えない。
愚かな王子を揶揄するささやきが、いっそう大きくなる。
彼が衆目に慣れた王族で幸いだった。
そうでなければ、この空気の中でこんなまねはできなかっただろう。
(私だったら、逃げ出しているところよ……)
求めていた結果ではあるけれど、大団円とは言い難い。
あらかじめローズマリーから聞かされていたことではあったが、前世では多少好意を抱いていた相手なだけに、ほんの少し良心が痛む。
だが、現実なんてそんなものだ。仕方がない。
(私はランプの魔人でもなければ万能の神でもない。ほんの少し先の未来を知っていただけのただのモブ。だから、たくさんの人は幸せにできない)
あまりに多くを望むことは、何も望まないのと同じだ。
だからこそペリーウィンクルは、せめて手が届く範囲──それは彼女を友人と言ってくれる人たちや隣にいる妖精を指す──が幸せになれるよう願い、行動しようと思っている。
残念ながら、ソレルはその範囲には入らなかった。それだけだ。
どこまでも愚かな王子様は、リコリスが名もなき生き物の事件に関与していることを知りながら、最後まで庇い続けた。
そしてそれは、今も続いている。
(これがソレル殿下なりの愛、というものなのでしょうか)
この気持ちが媚薬による偽物だと知ったとき、彼はどうするのだろう。
(知ったところで、手遅れか)
いちずと言えば聞こえは良いが、春の国の王族としては最低最悪。
こんなのが王位継承権を持っているかと思うと心配になってしまうが、そこはローズマリーとチャービルの腕の見せ所に違いない。
なんとか頑張ってもらいたいと祈るばかりである。
カツン、と大講堂の床を蹴る音がする。
再びペリーウィンクルが階下を見ると、ローズマリーがソレルの前へ出ようとしていた。
波が引くように、人々が左右に避ける。
膝を折り、深々と令嬢らしい優雅な立ち居振る舞いであいさつをしたローズマリー。ソレルはそんな彼女に、わずかにたじろいだ。
ソレルを鼓舞するように、リコリスがピタリと寄り添う。
これ見よがしに腕に絡んで胸を押し当てているのが、なんともあざとい。
仲睦まじい様子を見せつけて、牽制しているつもりなのだろう。
(でも、そうはいかないんですよ)