47 妖精女王が求める対価
【注意】
ウサギの耳を持つ持ち方は狩りの行為です。
生きているウサギには絶対にしないでください。死んでしまうこともあります。
場の空気を乱すように、「ほぅ」と陶酔するような吐息が聞こえる。
途端に二人の間に流れていた甘い空気が散り、ペリーウィンクルはパチリと目を開けた。
立ち上がったヴィアベルが、ズンズンと歩いていく。
それからうっとりと蜂蜜色の目を細めていたウサギの耳をぎゅむ、と掴み上げた。
耳を掴まれたスヴェートは、びょんびょんと跳ねるように後ろ足をバタつかせる。
「イタタタ! やめてくださいよぅ。わたし、邪魔しないでお利口にしていたでしょう? あなたたちがちゃぁんとキスできるように、結界まではってあげていたのに。ウサギは耳を掴んじゃいけないのですよ! いーけないんだ、いけないんだ! 妖精王に言っちゃおう!」
ジタバタ暴れるスヴェートの耳を容赦なく掴みながら、ヴィアベルは不機嫌そうだ。
眉間の間には深いシワが刻まれ、目が怒りで爛々としている。
「その妖精王が私を呼んだのだ。スヴェートを連れて来い、とな。初めての契約者に浮かれ、挙げ句に名もなき生き物を生むとは何事か。しかもよりにもよって私の番を危険に晒すなど、言語道断。妖精王は、おまえとリコリスを名もなき生き物への生贄にせよと仰せだ」
「そ、そんなぁ!」
耳を掴まれたまま、スヴェートはぐったりと体を弛緩させた。
その様はいかにも狩られたばかりのウサギといった風で、ペリーウィンクルはかわいそうに思えてならない。
「あの、ヴィアベル? 妖精王は本当にスヴェートとリコリス様を生贄にしろって仰せなの?」
「ああ、そうだ。元凶に責任を取らせるのが道理である、と妖精王は言っている」
ペリーウィンクルは困ってしまった。
このままリコリスが生贄として名もなき生き物に食べられてしまったら、ローズマリーはソレルに婚約破棄してもらえなくなる。
じっくり計画を実行してきたチャービルとローズマリーのためにも、ここは回避したかった。
「あの、さ……この後に及んで申し訳ないのだけれど……もちろん、私のわがままでしかないのはわかっているんだけど……リコリスを生贄にされるのは困るかな、って」
「なぜ?」
ヴィアベルは苛立たしげに目をつり上げた。
「あんな女、こいつと一緒に食われてしまえば良い」
助ける価値などどこにある、とヴィアベルは冷たく言い放った。
氷のような声に、スヴェートの耳が萎れていく。
それと同時に、パンッと風船が割れるような音がした。
──ドゴォォォン!
すぐ隣の部屋が、破壊される。
ビリビリと伝わってくる音に、ペリーウィンクルは恐怖を感じて身を竦ませた。
「スヴェートとリコリス様のせいでこんなことになっちゃっているのはわかるよ? でもね、リコリス様が死んじゃうと、ローズマリーお嬢様が婚約破棄されなくなっちゃう。私、ローズマリーお嬢様には好きな人と一緒になってもらいたいの。だから……ヴィアベル、お願い。なんとか、ならないの?」
「本当に、この後に及んで……」
ヴィアベルは険しい顔をペリーウィンクルへ向けてきた。
妖精王の命令を背くことが何を意味するのか、ペリーウィンクルにはわからない。
だが、それは決して軽いものでないことは確かだろう。
ヴィアベルはわずかに逡巡したようだったが、諦めるようにため息を吐いた。
それからいつもの、ペリーウィンクルを許す時の苦い笑みを浮かべる。
「仕方のないやつだな」
「できる、の?」
「おまえが中央の国へ留まること。そして、毎週木曜日に行われる女王の茶会で茶と菓子を提供すること。それが条件だそうだ。王はゴネたが、女王が許可を出した」
無邪気に「リコリスとスヴェートを生贄にしよう!」と言い放った妖精王に、しかし妖精の女王は待ったをかけたらしい。
女王は恋をする妖精に寛容だ。そして、うわさ話が大好きでもある。
ペリーウィンクルがローズマリーの恋を応援していることも、ヴィアベルがペリーウィンクルと仲たがいしたことも承知の上で、それを提案したのだろう。
「四季の国へは行けなくなるが、望みは叶う。さぁ、おまえはどうする?」
これは対価だ、とペリーウィンクルは思った。
妖精の願いを叶える時に対価をもらうように、妖精に願いを叶えてもらうには対価が必要である。
ペリーウィンクルの望みは、リコリスを生贄にすることなくこの事態を収束させること。
そんな彼女の望みに対して提示された対価は、中央の国へ留まること、そして女王の茶会で茶と菓子を提供することだ。
現在進行形で中央の国をめちゃくちゃにしていることを鑑みれば、この対価は破格と言える。
ペリーウィンクルの脳裏にふと、祖父と両親の墓が思い起こされた。
だけど、それだけだ。それ以外に未練なんてない。
ローズマリー、セリ、サントリナと会えなくなるのは少し寂しい気もするが、どのみち卒業後はおいそれと会えるような人たちではない。
それに、妖精と契約している彼女たちは、中央の国へ来ることも可能だろう。
ペリーウィンクルはそっと目を閉じて、祖父と両親が眠る墓を思い浮かべた。
彼らが眠る墓地は、ペリーウィンクルしか守れない。
彼女が手を入れなければ、あっという間に草で埋もれてしまうだろう。
ペリーウィンクルはそっと手を握り、心の中で謝った。
(おじいちゃん、おかあさん、おとうさん、ごめんなさい)
もういない彼らがほほえんだような気がしたのは、彼女がそうあってほしいと思ったからでしかなかったが、ペリーウィンクルはそれで良いと思った。
ペリーウィンクルの決断を、人は笑うかもしれない。馬鹿にするかもしれない。
(でも、ヒロインが暴走しちゃったのは私が一因とも言えなくもないわけですし?)
ペリーウィンクルがもっとうまくやっていれば、こんなことにならなかったかもしれない。
だって彼女は、この世界の未来を知っていたのだから。
目を開けて、ヴィアベルを見据える。
睨むように見つめてからフッと表情を和らげた彼女は、穏やかな笑みを浮かべてヴィアベルへ宣言した。
「ヴィアベルはずっと一緒にいてくれるんでしょ? それなら、いいよ」
朗らかに笑う彼女に、迷いは見えない。
ヴィアベルは「そうか」と安心したように微笑み返した。




