45 迫り来る危機
スヴェートがすべてを告白し終えた時、ペリーウィンクルはぐったりとしていた。
愛らしいウサギが目の前でちょこんと立っているにも関わらず、抱きしめる気も起きない。
かわいいものがすぐそこにあってもときめかない時があるのだと、ペリーウィンクルはひとごとのように思った。
「うそぉ……夢だと思ってた……いや、そもそも今の今まで忘れてたんですけど……」
「ええ、そうでしょうとも。わたしがそう思うように仕向けたのですから、当然です。でも、ご安心ください! あの時のお約束は、きっちり守りましたよ!」
エッヘンと胸を張って言われて、どう反応しろというのか。
(ああ、ぶん殴りたい)
あの時の約束──ヒロインがソレルとくっつくように誘導すること──は確かに守られたが、その代償はあまりにも大きすぎる。
(だって、だって、だって! 私とヴィアベルの命だなんて、そんなのアリ⁉︎ そもそも、ヒロインとソレル殿下をくっつけるのは、栄養剤の見返りのはずだったでしょおぉぉぉ!)
栄養剤の対価にするには過ぎたお願いだったのだろうか。
それならそうと先に言ってほしかったと、ペリーウィンクルは拳を床にたたきつけた。
悔しげに唇を噛む彼女は目が据わっていて、間近で目撃してしまったスヴェートがもふもふのおててでバンザイをしながら「ヒッ」と声を上げる。
「というか! どうして私とヴィアベルが食べられなくちゃいけないの? リコリス様がソレル殿下とくっつくのに、命張らないといけないほど好感度低かったわけ? それとも、栄養剤に何か不備でもあって、その仕返しってこと?」
もはや遠慮もなにもない。
怒鳴りつけるように問いかけてきたペリーウィンクルに、スヴェートは堪えることなくしれっと答えた。
「いえいえ、とんでもない。リコリスとソレルの好感度なんて、媚薬でちょちょいのちょいでした。栄養剤も、すばらしいものでしたよ。ええ、すばらしいからこそ、あの名もなき生き物はあなたたちを食べようとしているのです」
栄養剤がすばらしい出来だったから、名もなき生き物は二人を食べようとしている。
そう聞かされて、「ああ、そうなんだ!」と納得する者は何人いるのだろう。
少なくともペリーウィンクルはなに一つ納得できないし、理解できていない。
「いや、だからどうしてそうなるのよ。こういう場合はさ、栄養剤を作った私たちじゃなくて、育てていたあなたが真っ先に狙われるのが定番ってもんでしょ」
例えるなら、スヴェートはワンオペ育児に疲れ切った母親で、家庭を顧みないダメ夫がリコリス、二人の子どもが名もなき生き物、といったところだろうか。
(だとすれば、栄養剤はミルクで、私とヴィアベルはミルクを作った人ってことになるわけで……いや、どう考えても食べられる理由にならないな⁉︎)
それでも、ワンオペ育児に疲れた母親の末路は決して明るくないことを理解しているペリーウィンクルは、目の前のウサギを気の毒そうに眺めた。
黄色い毛が前よりくすんで見えるのは気のせいだろうか。
ペリーウィンクルの気遣うような視線を受け、スヴェートは目をわずかに伏せた。
「あのすばらしい栄養剤の作り手ならば、足りないものを補ってくれる。名もなき生き物はそう思っているのです。あなたやヴィアベルを食べることで、人や妖精のような存在になれるのだと……彼は信じているのです」
名もなき生き物は、およそ人とも妖精とも似つかない見た目だった。
グニャグニャと動く姿は軟体動物のようであり、ドロドロとした表面はヘドロをまとっているよう。
「信じてって……あなたがそう教えたの?」
「いいえ、誰も教えていません。わたしは、彼がそう言っているのを聞いただけです」
「……で? これからどうするつもり?」
「えーっと……」
「なにも考えていないってわけね?」
「その通りです……」
スヴェートは長い耳をヘンニャリと伏せ、蜂蜜色の目を潤ませた。
ペリーウィンクルは目を閉じ、深々と息を吐く。
そうしていると、部屋の外の音がよく聞こえた。
外からは、まるで戦争が勃発したような大きな音がしている。
おそらく、名もなき生き物がペリーウィンクルとヴィアベルを探しているのだろう。
飛び交う怒号を漏れ聞くに、力の強い妖精たちは押し留めようとしてくれているらしい。
──ドゴォォォン!
ペリーウィンクルたちがいる部屋からいくつか離れた部屋が、大きな衝撃を受けて崩れた。
右、左、そしてまた右、左。
音は、少しずつペリーウィンクルたちがいる部屋へ近づいてきている。
いつまでもここで隠れているわけにもいかないようだ。
しかし、迂闊に動けば見つかってパクリ、となりかねない。
「私をアレから助けてくれたってことは、食べさせるつもりはないっていう解釈でいいの?」
「ええ、それはもちろん!」
「まさか、ヴィアベルを食べさせるつもりじゃないでしょうね? そんなの嫌よ、私。彼を食べさせるくらいなら、私を食べてもらうわ。痛いのは嫌だから、せめて痛くない魔法とかかけてくれない?」
「……あなたは、食べられても良いというのですか?」
「食べられても良いとは言ってない。だって、死にたくないし、怖いもの。でも、私かヴィアベルかって選択を迫られたら、迷わずヴィアベルって答えるくらいには、彼のことが好きだから……仕方がないのよ」
惚れた弱みってやつね、とペリーウィンクルは清々しく笑った。
扉の向こうでは荒々しい音が響いているというのに、そこだけ春がきたかのようにあたたかい。
「人とか妖精になりたいっていうなら、どちらかを食べれば事足りるのでしょう? だったら、私を食べればヴィアベルは食べられなくて済むってことよね?」
「それは、そう、なん、です、けど……」
言いながら、スヴェートの視線がペリーウィンクルを飛び越えてさらに上へと移動する。
もしやもう見つかったのかと身構えるペリーウィンクルの上に、ぬ、と影が落ちた。




