41 親離れは唐突に
「どうしてこうなっちゃったのかな……」
自室のベッドへ寝転がり、ペリーウィンクルは枕を抱きしめた。
ローズマリーとチャービルのことは、たしかに驚いた。
秘密にされていたことは悲しいが、ペリーウィンクルの背景を配慮してのことだとわかっているから、責めるつもりもない。
ローズマリーは気にしていたようだが、ペリーウィンクルが両親と彼女を同じに考えたことは一度だってなかった。
むしろ、両親と違ってローズマリーは立派だと思っているくらいだ。
(だって、お嬢様はちゃんと筋を通しているもの)
しかし、ペリーウィンクルの言葉は聞いてもらえないまま。
一晩たったら少しは落ち着くかと希望を持って朝起きてみたら、早起きのペリーウィンクルより先に起きて、学校へ行ってしまった後だった。
「もう丸一日顔を見ていない」
専属庭師になってから、こんなことは初めてだ。
どうしてこんなことになったのか。
答えは簡単だ。妖精王の茶会の招待状──つまり、ヴィアベルが原因である。
「私に確認もしないで、お嬢様とソレル殿下を妖精王の茶会に招待なんかして。もう、もう、もう!」
ばすん、ばすん、ぼすん!
持っていた枕をベッドへたたきつけ、ペリーウィンクルは怒る。
ばすん、ばすん、ぼひゅん!
何度かたたいていたら枕は手からすっぽ抜け、そのままポーンと部屋の隅へ飛んでいってしまった。
ストレス発散の道具を失って、ペリーウィンクルの苛立ちがさらに増す。
彼女はイライラと舌打ちでもしそうな凶悪な顔をしながら、「ヴィアベル!」と叫んだ。
「いないの⁉︎ いなくてもどうせ聞こえているんでしょ? 出てきてよ!」
らしくもなくヒステリックに叫ぶ。
彼女の怒声に、あからさまに嫌な顔をした妖精姿のヴィアベルが姿を現した。
しれっとした顔が小憎たらしい。
わかっていてそんな顔をしているのか、それとも本当に何もわかっていないのか。
フヨフヨと宙に浮かぶ生き物を、ペリーウィンクルは片手でぐわしっと掴んだ。
遠慮なく掴まれて、ヴィアベルが「ぐえ」とカエルのような声を漏らす。
「一体、どうしたと、いうのだ」
モニュモニュとうごめいて、なんとか上半身だけ脱出したヴィアベルが、苦しそうに言った。
「一体、どうした、ですって⁈ こっちが聞きたいわよ、ばか!」
ぎゅむ! とペリーウィンクルの手の内でヴィアベルの丸々した体が握り込まれる。
「ぐぇ。と、とりあえず、離せ。これでは、話もできん」
鹿の角付きの緑色の実みたいな頭を振り回しながら、ヴィアベルはぷっくりした手で彼女の手をペチペチたたいた。
「ちょっと!」
フニャフニャと綿毛で触れられるようなくすぐったさを感じて、ペリーウィンクルの手が緩む。
その隙をついてヴィアベルは素早く脱出すると、慌てて人の姿に変化した。
ポンと煙を立てて現れた、腹が立つほど綺麗な人を、ペリーウィンクルは忌々しげに睨む。
「ヴィアベル! あなたのせいでローズマリーお嬢様に嫌われちゃったじゃない! どうしてくれるのよ。もうあんな姿も、こんな姿も見せてもらえないわ。神絵師による美麗スチルよりも素晴らしい光景を、もう拝むことができないなんて……ひどすぎる!」
ギャンギャンと文句を言いながら、ペリーウィンクルはヴィアベルの胸をたたいた。
どこにでもいる女の子だが、ペリーウィンクルは庭師である。
傍目からはポカポカとたたいているように見えても、実際はかなりのダメージがあった。
だからヴィアベルはこっそり妖精魔法で衝撃を和らげたのだが、それに気付いたペリーウィンクルは、ますます憤った。
「素直に殴られろ、ばか!」
「先ほどから馬鹿馬鹿と。どうして私が馬鹿だと言うのだ。私にはさっぱりわからないのだが」
煩わしげに眉を寄せるヴィアベルは、ペリーウィンクルの目には白々しく見えて仕方がない。
もともとそういう顔だとわかっているが、怒りに身を任せているせいか、やけに鼻についた。
「ローズマリーお嬢様に、妖精王の茶会の招待状を出したでしょ!」
「ああ、出したな」
「しれっと言うな! よりにもよってソレル殿下と一緒に招待するなんて……あり得ない!」
「あり得なくはないだろう。ソレルとローズマリーは婚約しているのだから」
「そうだけど、違うの!」
「何が違う? もたもたしていたら、尻軽女にソレルを取られてしまうぞ? いや、もう遅いかもしれん……どうしてこうなるまで放っておいた。私を頼れば、もっとうまくやれたのに」
そうじゃないと言っているのに、責めるような物言いをされて、ペリーウィンクルの怒りが頂点を超えた。
普段ならこんなに容易く怒ったりしないのに、ヴィアベルが相手だと理性が働かない。
さんざん甘やかされた弊害なのか、彼に対して遠慮というものがなくなっている。
なにをしたってヴィアベルは受け入れてくれる。
それを試すかのように、ペリーウィンクルの口は止まらない。
頭のどこかで止まれと警鐘が鳴ったが、彼女が従うことはなかった。
「ローズマリーお嬢様は……お嬢様はねぇ、他に好きな人がいるの。だから、ソレル殿下から婚約破棄してもらって、その人と幸せになりたいのよ。このままじゃあ、お嬢様は私の両親みたいに駆け落ち婚しなくちゃならなくなるわね。ヴィアベルのせいで」
あのペリーウィンクルの口から吐き出されたとは思えない冷たい声に、ヴィアベルは反論も謝罪も忘れて黙った。
とびきり強く、とびきり冷ややかに言われた『ヴィアベルのせいで』は、生まれ故郷の湖の水より冷たく感じる。
ヴィアベルは、自身を構成する全てのものが、崩れていくような気がした。
全身が氷のように冷たくなっていくのを感じながら、ヴィアベルは「ああこれが」と納得する。
妖精は基本的に一人だ。
だが、番を見つけた妖精は一人では生きられない。
番から無視されたり、要らないと言われたりした日には死にそうになるのだ。
誇張ではなく本当に、死にそうだった。
人が死ぬ原因に凍死というものがあるらしいが、妖精にもあるのだろうか。聞いたこともないが。
そもそも、番を失っても妖精は死なない。
シナモンの父がそうであるように、番を失った妖精を待っているのは、緩やかな死である。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、ペリーウィンクルがイライラと「聞いているの? ヴィアベル」と聞いてきた。
もちろん聞いている。彼女の言葉を聞き逃すことは、番と決めた時から一度だってない。
「ああ、聞いている」
ヴィアベルはフッと笑んだ。
ペリーウィンクルは怒っているというのに、気にもしていない風を装って。
「悪かった。妖精王の茶会は中止にしよう」
普段の彼からは想像もできないぎこちない顔で微笑まれて、ペリーウィンクル黙った。
(なんで、そんな顔をしているの?)
まるで、笑い方を忘れてしまったみたいだ。
それとも、笑いたくないのに無理に笑っているのか。
どちらにしても、あまり良いようには思えない。
(傷つけてしまった?)
あるかなしかの笑みを浮かべて、何事も平然と受け流しているヴィアベルが、傷つくなんて思いもしなかった。
いや、違う。
ペリーウィンクルは彼が傷つけば良いと思っていなかったか。
だから、あえてひどい言葉を選んだのでは。
おそらく、ペリーウィンクルは知りたかったのだ。
どこまでなら、ヴィアベルが許してくれるのか。
(そうして試して安心して、絶対に大丈夫だとわかるまで告白しないって? 馬鹿みたい。その結果がこれよ。私は、踏み込んではいけないところまで踏み込んだ)
ヴィアベルのぎこちない笑みが、何よりの証拠だ。
その上、ペリーウィンクルは自分の非を認めることで「こんな失敗をするなんて……」と嫌われることを恐れ、謝ることもできない。
嫌悪感に頭が真っ白になる。
謝らなきゃ。
そう思えば思うほど、かたくなに謝れなくなっていく。
そんなペリーウィンクルなのに、ヴィアベルはどこまでも優しい。
傷ついているのに責めることもしない。
ペリーウィンクルはひどいと思った。
この期に及んで、まだヴィアベルに甘えている自分が情けない。
ヴィアベルは全てわかっていると言わんばかりに、許しを与える時に見せる苦笑いを浮かべた。
それから、意固地になっているペリーウィンクルの前髪を持ち上げて、現れた額へやわらかく唇を押し当てる。
「お節介が過ぎたな。近くにいれば、私はおまえに干渉してしまうだろう。だから……しばらく距離を置こう」
「なんで?」
「その方が、互いのためだ」
「それは、いつまで?」
ペリーウィンクルの問いに、ヴィアベルは答えない。
「ずっとなの? もう会わないつもり?」
彼は寂しげに笑うと、「いや、いつかは会うだろう」と曖昧に答えて消えてしまった。




