38 ヒロインのうわさⅣ
【注意】
ネトルのトゲは非常に危険ですので、決して真似しないでください。
触る時はゴム手袋必須です。軍手は危ないのでゴム手袋で!
このところ、ペリーウィンクルには気にかかることがある。
それは、ソレルの周囲だ。
現在、彼の周りは『リコリスを支援して馬鹿王子を傀儡にしよう』派と『ローズマリーを支援して馬鹿王子の代わりに執政してもらう』派に分かれている。
ということは、ローズマリーが願うままにソレルが彼女との婚約を破棄した場合、『リコリスを支援して馬鹿王子を傀儡にしよう』派が春の国の政権を握るということだ。
(ローズマリーお嬢様がソレル殿下に婚約破棄されることは、私が思っている以上にまずいことなのでは……?)
今更ながらに事の重大さに気がついて、ペリーウィンクルは顔を真っ青にした。
(媚薬があるのだから、愚王を賢王にする薬もあったりしない?……よねぇ)
そんなおかしなことを考えてしまうくらい、ペリーウィンクルは焦っていた。
ローズマリーには幸せになってもらいたい。
前世社畜仲間として、彼女の友人として、そう願っている。
だけどペリーウィンクルは、春の国を荒れさせてまで、ローズマリーを助ける勇気は持ち合わせていない。
春の国のことなんて知らないとそっぽを向いて、ローズマリーと遠くへ逃げることも可能ではある。
だがそうなれば、一生の間を罪人のような気持ちで生きていくことになるだろう。
薄情かもしれないが、しがない一般人でしかない彼女には、そこまでの覚悟なんてなかった。
「ねぇ、ペリー! やっとよ、やっとうわさが流れるようになったの!」
そんなペリーウィンクルの心も知らず、学校ではうわさが流れ始めていた。
ローズマリーが待ちに待っていた、彼女の悪評である。
『ローズマリー嬢は、婚約者であるソレル様と親しくするリコリス嬢に嫉妬するあまり、ネトルのトゲで刺した』
ネトルは、利尿作用と浄血作用などの効果で知られるハーブだ。
ポピュラーなハーブだが、ネトルには葉や茎にトゲがある。
トゲにはアレルギーの元になるヒスタミンと神経伝達物質であるアセチルコリンが含まれていて、皮膚に刺さってしまうと、ヒリヒリする痛みが一日中続く。
ルジャではネトルを蕁麻といい、蕁麻疹という病気はネトルに触れて腫れた状態に似ているところからきているのだとか。
とはいえ、ひだまりの妖精と契約しているヒロインならば、すぐに治療してもらえるはず。
最初は痛いかもしれないが、それくらいしないとセンセーショナルなうわさにはならない。
そう踏んだ上で、ペリーウィンクルはこの案をローズマリーに進言した。
(考えなしな自分をぶっ飛ばしたいぃぃぃぃ!)
ちょっとやりすぎかなと出し渋ったその案を、ローズマリーは実行してしまったらしい。
ペリーウィンクルの読みはあたり、学校ではうわさが流れてしまった。
『ローズマリー嬢はリコリス嬢を目の敵にしている』と。
当初の予定通りだと笑えれば良かった。
これでローズマリーは『未来の王妃をいじめた悪女』になり、ソレルに婚約破棄される。
そして学校を追放され、新天地で幸せに暮らすのだ。
(だけど、そのあとは?)
どう軽く見積もっても春の国が荒廃する未来しか思い描けず、ペリーウィンクルはガックリと膝をつく。
そんな彼女の心の内も知らず、ローズマリーはスキップでもしそうなくらい嬉しそうだ。
それがどうにもペリーウィンクルには腹立たしく思えて、つい大声をあげてしまった。
「ローズマリーお嬢様は知らないのですか⁉︎ あなたが婚約破棄されたら、春の国はぐちゃぐちゃになっちゃうんですよ!」
ペリーウィンクルの突然の大声に、ローズマリーはピタリと止まる。
きょとんとした顔でペリーウィンクルを見ながら、彼女は「どういうこと?」と眉を寄せた。
その顔はいつも通りかわいくて、ますます腹立たしい。
ペリーウィンクルはすっくと立ち上がると、「いいですか!」と吠えた。
「今、ソレル殿下の周囲は『リコリスを支援して馬鹿王子を傀儡にしよう』派と『ローズマリーを支援して馬鹿王子の代わりに執政してもらう』派に分かれています。ソレル殿下がヒロインを選び、お嬢様が婚約破棄されたら……春の国はおしまいです! ソレル殿下は傀儡にされ、自分勝手な大臣たちによって政治は荒れ、王妃となったヒロインは……一度は逆ハーレムを狙っていたような女ですから、たぶん貞操観念はガバガバ! そうなれば、昼メロも真っ青な愛憎渦巻く王宮が完成してしまいます!」
言い切ったペリーウィンクルは、ゼーハーと荒い息を吐きながらローズマリーを睨んだ。
ペリーウィンクルの鋭い視線を受けながら、ローズマリーはポカンとしたままだ。
それから何を思ったのかプッと吹き出し、コロコロと笑い出した。
「なんで、笑うんですか⁉︎ 私、真剣に悩んでいるんですよ⁉︎」
「ご、ごめんなさい……あの、馬鹿にしているわけではなくて……あなた、コイバナのファンなのに、よくもまぁそこまでヒロインのことを嫌えるなぁって思ったら、可笑しくなってしまって」
ローズマリーはひとしきり笑ったあと、「でも、そうね……」と言いながら目尻に浮かぶ涙を拭った。
それから自嘲するような苦い笑みを浮かべて、ペリーウィンクルを見つめる。
「ペリーウィンクル、あなたがリコリス様を嫌うのは、仕方がないことだと思うわ」
ローズマリーは知っている。ペリーウィンクルの過去を。
両親は駆け落ち婚、彼らの死後は祖父母に罵られ、挙句に元婚約者から平手打ち。
ペリーウィンクルを専属庭師にするにあたって、素性を調べるのは仕方のないことだった。
知ってしまった時はすごく驚いたが、今の彼女があまりにも普通すぎて、掘り返すべきではないとローズマリーは判断した。
前世の記憶を持っているといっても、彼女はペリーウィンクルだ。前世の彼女じゃない。
例え前世でコイバナがどれほど好きだったとしても、ヒロインを嫌悪するのは当然だと思う。両親のことがあるから、なおさらに。
ローズマリーは、そんな彼女だから言えなかったことがある。
だけど、黙っているのもそろそろ限界だろう。
黙っていたから、こうしてペリーウィンクルは癇癪を起こしているのだから。
「ペリーウィンクル、話があります。そこへ、座りなさい」
主人の顔をして、ローズマリーは命じる。
ペリーウィンクルはそんな彼女に訝しげな表情を浮かべながら、のっそりと椅子へ腰掛けた。




