36 リンデンのお茶
割れ鍋に綴じ蓋。
ヤンデレにメンヘラ。
うまいことを考えたなぁと思いながら、ペリーウィンクルは乾いた声で笑った。
(うーん、カオス!)
ペリーウィンクルにつられるように窓から箱庭を見下ろしたローズマリーは、室内にペリーウィンクルしかいないのを良いことに、引き攣った顔を隠しもしないで「うわぁ」と呻く。
久しぶりに前世の彼女の人柄が滲む顔を見て、ペリーウィンクルは親近感を覚えた。
「ゲームでもトゥルシー様はヤンデレの気がありましたけれど……わたくし、まさかディル様までメンヘラだったとは思いもしませんでしたわ」
ゲンナリとした様子のローズマリーの気持ちが少しでも休まるようにと、ペリーウィンクルはリンデンのお茶を用意しながら「私もです」と答えた。
リンデンは、鎮静作用と利尿作用を持つハーブだ。
風邪のひき始めに飲むのが効果的だが、甘い香りにはリラックス効果もある。
今日くらいは良いだろうと、ローズマリーお気に入りのビスケットも出してやりながら、ペリーウィンクルは再び外を見た。
二人の視線の先には、仲睦まじく身を寄せ合うディルとトゥルシーの姿がある。
今はディルの箱庭を世話しているらしく、花を摘んだ彼をトゥルシーが褒め称えているようだった。そんな彼女にディルはまんざらでもない顔で笑って、摘んだばかりの花をプレゼントしている。
遠くから見ているだけなら微笑ましい。
だが、トゥルシーが少しでもディルから目を離せば彼は怒り狂い、そんな彼さえ愛しくて仕方がないという顔で笑うトゥルシーは正直なところ普通じゃない。
「うーん……私、思うんですけど……ディル様がメンヘラ化したのって、ヒロインのせいではないでしょうか。ゲームでのトゥルシー様は、ヒロインエンドでも悪役令嬢エンドでもディル様を想っていましたよね。それなのに今回、ディル様そっちのけでヒロインに懐いていたから……ディル様、拗らせちゃったのかなぁって……」
メンヘラは、もっと自分を見てほしいという気持ちが強い。
今回、トゥルシーがディルを一切気にかけなかったことが、彼の眠れる一面を引き出してしまった原因なのではないか、というのがペリーウィンクルの考えだ。
あの夜、ペリーウィンクルは妖精王の茶会で見てしまった。
シナモンに連れてこられたトゥルシーがリコリスのことばかり気にかけていることに、ディルはひどく苛立っている様子だった。
これから告白しようとしている相手が他の人ばかり気にかけているのだ。
ディルが苛立つのも当然だろう。
そう思ってペリーウィンクルは傍観に徹していたのだが、ディルはいつまでたっても茶を飲もうとしない彼女に痺れを切らし、こともあろうに口移しで飲ませた。
ヴィアベルが付加魔法をかけたペリーウィンクルお手製のハーブティーを飲んだトゥルシーは、長い眠りから目を覚ました姫のようにゆっくりとまぶたを開き、まっすぐにディルを見た。
『ようやく僕を見たな?』
そう言ったディルは、口元こそ笑っていたが、目が据わっていた。
ペリーウィンクルはそんな彼を怖いと思ったが、トゥルシーは違ったらしい。
魅入られたように見つめる彼女に、ペリーウィンクルは心の中で「え、あれにときめくの?」と引いた。
(とはいえ、あれはあれで幸せそうだし、ディルルートのヒロインエンドは回避できた。ローズマリーお嬢様からしてみたら、思惑通りってところなのかな)
最近は悪役令嬢の恋を応援することに重きが置かれていて忘れそうになるが、ローズマリーの目標はソレルに婚約破棄されることなのだ。
セリ、サントリナ、トゥルシーとそれぞれがエンディングを迎えた今、ラストに残るはローズマリーである。
当の本人は、久しぶりのビスケットを前に目をキラキラさせていた。
ビスケットを一枚、恭しく手にとって口へ運ぶ。
「ペリーは、やっぱりちょっとおまぬけさんなのかしらね」
「なんです、藪から棒に」
いきなり悪口を言われて、ペリーウィンクルはムッと唇を尖らせた。
そんな彼女を見てクスクスと笑いながら、ローズマリーは大きな口を開けてビスケットを詰め込む。
ローズマリーは洗練された貴族のお嬢様なのに、ペリーウィンクルの前ではたまに行儀が悪くなる。
前世を知るペリーウィンクルだからこそ見せられるのだと言われては、はしたないですよと注意する気も失せた。だって、頬にビスケットを詰め込む姿さえかわいかったから。
「わたくしには、ディル様があえてそうしているように見えるのよ。うふふ。まるで誘蛾灯みたいね……わたくしとしては、お二人が幸せならどちらでも構わないのだけれど」
ローズマリーの目には、どんな風に見えているのだろう。
彼女はかわいいだけのお嬢様じゃない。
公爵家令嬢として、次期王妃として教育されてきた特別な令嬢なのだ。
淡い黄緑色をしたペリドットのような目は、一体どこまで見透かしているのか。
ただの庭師でモブなペリーウィンクルが考えたところで、わかるはずもなかった。
「メンヘラの行動原点は相手にかまってほしいという気持ちで、ヤンデレの行動原点は相手のためにひたすら尽くすという気持ちと言われているわ。今のお二人は需要と供給が一致していて、まさに相思相愛。リコリス様の付け入る隙もないはずよ」
ヒロインがいなければ、あそこまで確固たる絆を育むには至らなかっただろう。
だから彼女には感謝しかないのだと、ローズマリーは淡く笑んだ。
「需要と供給が永遠に食い違わないことを祈るばかりですね」
メンヘラもヤンデレも基本的に心を病んでいる。
今は幸せいっぱいだが、バランスを崩せばどうなることか。
不穏な未来を想像してしまい、ペリーウィンクルはゾワリと肩を震わせた。
「食い違ったらどうなるか……考えるだけでも怖いですよ」
「あら。でも、この世界はゲームの世界だけれど、わたくしたちにとっては現実なのよ? めでたしめでたしで終わらないことなんて、いっぱいあるでしょう」
「……それは、お嬢様とソレル殿下のことを仰っているのですか?」
「さぁ、どうかしら」
意味深に笑うローズマリーは、それ以上言うつもりもないらしい。
ペリーウィンクルから視線をそらし、スカートの上に落ちたビスケットのカスを払い落としながら、彼女は遠い目をして言った。
「それにしても……リコリス様は何がしたかったのかしらね」
それについてはわからないとしか言えない。
シナモンとニゲラを狙っていたあたりまでは逆ハーレムルートを狙っていると思っていたのに、今回はトゥルシーを狙って意表をついてきた。
「トゥルシー様を親友に仕立て上げて、親友ならディル様との恋を応援してくれるわよね、と先手を打つつもりだった……とか?」
「うーん。考えられなくもないわね。見事に失敗しているけれど」
「それはまぁ、私たちが全力で潰しましたし」
「そうね。でも、潰すのはここまでよ。ここからは、ヒロイン……いえ、リコリス様とソレル殿下の恋を応援して差し上げないといけないわ」
そう言うローズマリーの顔が、ほんの少し翳ったように見えたのは気のせいだろうか。
「さぁ。これから本気を出してリコリス様をいじめて差し上げないと。もちろん、ペリーも手伝ってもらうからね?」
茶目っ気たっぷりにウインクしてみせるローズマリーが、気丈に振る舞っているように見える。
(それは私が、ローズマリーお嬢様推しだから? それとも、お嬢様自身の気持ちに変化があった……?)
よくある話ならば、ローズマリーに何らかの変化が訪れて、婚約破棄を回避したいと思うようになった、となりそうなものだが。
「でも、お嬢様だからなぁ」
ペリーウィンクルには、彼女が計り知れない陰謀を持っていそうな気がしてならない。
それでも、どんな結末が待っていようと、推しの悪役令嬢が幸せになるためなら、ついて行く所存だった。
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