35 ミントとローズマリーのお茶
妖精王の茶会で出す目覚めのお茶を準備する数日の間、ペリーウィンクルは散々だった。
適切な温度に湯を沸かせない。大切なハーブを床にぶちまける。茶器を割る。
そんな調子だから、ブレンドするハーブについて熟考することもままならなかった。
あまりのひどさにローズマリーが心配するほどで、
「どうしたの? 風邪? お茶を淹れてあげるから、それを飲んで休んでいなさい」
と、免疫力を高めるエキナセアのお茶を飲まされ、ベッドへ押し込まれる日もあった。
失敗してしまう理由はわかっている。
ペリーウィンクルは、あの悪夢を見た夜から忘れられないものがあるのだ。
それは、気づくとスッと頭の片隅にやってきて、無遠慮に座り込んでいる。
考え事をしているあいだのちょっとした間とか、湯を沸かそうとしている時、ハーブを出している時、茶葉を蒸らしている時といった無の時間にひょいと顔を覗かせては、ペリーウィンクルの心を乱していく。
ペリーウィンクルの心を乱すもの。
それは、ヴィアベルである。
彼自身が何かをしているわけではない。
それでも、ペリーウィンクルからしてみれば彼が原因であることは間違いなく、かといってそれを彼に言ったところで解決しないこともわかっているので、悶々とすることしかできなかった。
(ああ、なんてこと……)
何度も何度も繰り返してペリーウィンクルが思うのは、あの時『綱渡りのよう』と思ったのは正解だったということだ。
あの時、二人の間に流れていた空気は、もう長らく体感していなかったものだった。
一度バランスを崩せばもう元には戻れない、友情と恋情をわける境目。
ペリーウィンクルがヴィアベルに八つ当たりしたくなったのは、彼がバランスを崩そうとしていると思ったからだ。
友情から恋情へ持っていこうと、しているように感じた。
(いや、違う。ヴィアベルが、じゃない)
あの時、ペリーウィンクルは考えていたではないか。
ヴィアベルの唇に触れたらどんな味がするのだろう、と。
バランスを崩そうとしていたのは、ヴィアベルではなくペリーウィンクルの方だ。
彼はペリーウィンクルの体調を気遣っていただけで、その気なんてなかった。
(まさか、初恋の人に二度も恋をするとは……)
一度目を諦めた覚えはないから、もしかしたらずっと恋をしていたのかもしれない。
大人だと言っていたのも、女性として見てもらいたくて背伸びをしていただけかもしれないと、思い至ったらもう恥ずかしくて仕方がなくなった。
(次に会った時、どんな顔をすれば良いのよ……)
まともに目を合わせることができるのだろうか。
神出鬼没な彼がいつ現れるか知れず、ペリーウィンクルは今日こそ来るか⁉︎ と毎日ドキドキする羽目になった。
結局、妖精王の茶会にふさわしい茶をブレンドし終えたのは、茶会当日の夕方のことだった。
悩みに悩んで作り上げたのは、ミントとローズマリー、それにコーンフラワーを加えたお茶である。
ガラス製のポットでお茶を淹れると、コーンフラワーの鮮やかな青の花びらが彩りを添えてくれる。
もう一つの候補だったレモングラスは、数種類のハーブと混ぜてマフィンを焼いた。
あれだけ次に会ったらどうしようと悩んでいたペリーウィンクルだったが、意外にも会ってみたら普通に接することができた。
おかげで、自身が二度目の恋をしたわけではなく、心の奥底で初恋をずっと大切にしまっていただけなのだと理解した。
しかし、実らないと言われている初恋をこの歳になってまで大事にしていることは、妙に気恥ずかしいものだ。
赤く染まる頰を夕日が隠してくれたことに、ペリーウィンクルは安堵した。
セリとシナモンを招待した時と同じように、ガゼボの上に三日月がのぼる。
薄暗いガゼボの中に点々と置かれたキャンドルへ火を灯しながら、ペリーウィンクルは招待客を待った。
最初にやって来たのは、ディルだった。
「ご招待に深謝いたします」
彼はペリーウィンクルの肩にとまっていた妖精姿のヴィアベルを見つけると、帽子を取って紳士らしく礼をする。
そんなディルに、ヴィアベルも礼儀正しく緑色の実に鹿の角が生えたような頭を下げた。
それぞれあいさつをし終えたところで、ペリーウィンクルはディルをガゼボへ案内する。
キャンドルに照らされた幻想的な景色に、思わずディルは「ほぅ」と感心したように声を漏らした。
「トゥルシー様は、いらっしゃるでしょうか……」
ガゼボの外を見ながらペリーウィンクルが不安そうに言うと、ディルが不敵にニヤリと笑む。
「来るさ」
今回、トゥルシーを連れてくるのはシナモンの役目になっている。
花泥棒についての事情聴取をするという名目で、連れてくる手筈になっているのだ。
「来ないわけがない。大事なリコリス嬢のためなら、退学だって受け入れるつもりなのだから」
そう言うディルは、先ほどまでの不敵な笑みがうそのような、自虐めいた表情を浮かべていた。面白くない、とその顔に書いてあるようである。
その表情を見て、ペリーウィンクルは違和感を覚えた。
少し前はトゥルシーのことを観察対象としてしか見ていないように思えたのだが、何か変化があったらしい。
独占欲のようなものを感じて、ペリーウィンクルは「おやおや」と笑いそうになった。
そして、変化はもう一つ。
彼は、トゥルシーの紺色の目によく似た、スイートピーの花束を持参していた。
少し前に、ローズマリーから「花は愛する人へ贈るもの」と言われたばかりである。
ということは、この花束はトゥルシーへの贈り物ということなのだろう。まさか、ペリーウィンクルの青紫色の髪に合わせたわけではあるまい。
(花言葉はいろいろあるけれど……私を忘れないで、という意味かしら)
そう考えると自虐めいた顔も拗ねているように見えて、微笑ましく思えてくる。
ペリーウィンクルはわかりきったことだとわかっていたが、聞かずにはいられなかった。
「ディル様は……トゥルシー様が元に戻ったらどうするおつもりなのですか?」
「観察するだけ」
「それだけなのですか?」
ペリーウィンクルは、ローズマリーが以前ディルへ問いかけた時のように、彼を見た。
キャンドルの灯りで変幻する不思議な色をした目に見つめられ、ディルは居心地悪そうに身動ぎする。
「……はぁ。さすが、ローズマリー嬢の専属庭師。彼女によく似ている」
「お褒めいただき、光栄ですわ」
ペリーウィンクルはメイド服をちょんと持ち上げ、貴族令嬢のまねをするようにあいさつをした。
そんな彼女へ「褒めていない」と文句を言いながら、ディルは観念したように言う。
「お察しの通りだよ。僕は彼女の恋人に立候補するつもりだ」
不満そうに顔を歪ませているが、トゥルシーへの恋情は隠しもしない。
きっとその耳は、彼女の足音が近づいてくるのを今か今かと待っているのだろう。
ゲームでは見られなかった彼の素晴らしい一面を見られて、ペリーウィンクルは心の中で拳を突き上げて喜んだ。




