33 オレンジの媚薬
足音が聞こえなくなってしばらくして、ヴィアベルは立ち上がった。
それからペリーウィンクルの脇に手を差し入れて、幼子にするように起こしてやる。
いつもならば「子ども扱いしないで」と跳ね除けるはずのペリーウィンクルは、何か考え事をしているらしく、おとなしくされるがままだ。
羽織らせたカーディガンのボタンをヴィアベルがとめてやっていると、ようやく考え事から戻ってきたらしいペリーウィンクルが彼の名前を呼んだ。
「ヴィアベル」
ペリーウィンクルの呼びかけに、ヴィアベルはすぐに答えない。
きっちり下のボタンまでとめきってからようやく、「なんだ?」と返した。
「見た?」
「見たな」
「媚薬を作っていたの、リコリス様よね?」
「ああ。実に尻軽女らしい行動だ。おおかた、あの媚薬で男を落としていたのだろう」
「あー……やっぱり?」
「そうでなければ、説明がつかん。あんな軽々しい女、普通の男なら願い下げだろう」
(普通の男って……いや、あんた妖精じゃん)
ペリーウィンクルは突っ込みたくなったが、言葉を飲み込んだ。
どうせ言ったところで「一般論だ」とかなんとか言われるに違いない。
そもそも妖精に性別なんてあってないものだろう。
ペリーウィンクルは妖精姿の彼の裸しか知らないが、どう見たって中性的だった。
(まぁ、今は男の人って感じだけど……)
うっかり彼の胸と下腹部を見比べそうになって、ペリーウィンクルは慌てて頭を振った。
(って、今はちがぁう!)
恥ずかしさに、頰がまた赤らむ。
そんな彼女を見て、まだ寒いのかと心配したヴィアベルがストールも召喚しようとしたのを、ペリーウィンクルは慌てて「要らないし、魔法がもったいないから」と止めた。
対価と言われたらどうしようとワクワクしていたヴィアベルは、引き止められて少々不満げである。
「おそらくだが……尻軽女はあの媚薬をトゥルシーにも使っているのではないか? ディルはトゥルシーの様子がおかしいと言っていたのだろう?」
「そうなんだよ。だからディル様は妖精王の茶会を手配してほしいって言ってきたわけで……ねぇ、ヴィアベル。あの媚薬って、どれくらい効果があるものなの? 妖精王の茶会で無効化できたりする?」
ペリーウィンクルの言葉に、ヴィアベルは難しい顔をした。
言いにくそうにうなりながら顎を撫で、困ったようにペリーウィンクルをチラリと見る。
話を促すようにペリーウィンクルがじっと見上げると、諦めたようにため息を吐いて、彼は言った。
「そもそもな、妖精王の茶会に人が言うような不思議な力などないのだ。南のガゼボに妖精の力を強化する魔法がかけられてはいるが、特別な力なんてものは存在しない」
「そうなの⁉︎」
「ああ。不思議な力があるとか、男女で招待されたら恋人関係になるとか、いろいろうわさになっているようだがな。実際は招待した妖精が気まぐれに妖精魔法を使ったとか、そういうオチなのだ。シナモンの時だって、おまえが用意したセントジョンズワートの茶に付加魔法をかけて、鬱の症状を和らげただけに過ぎん。まぁ多少、雰囲気が良くなる魔法も使っておいたが……」
そうは言っても、人からしてみれば妖精魔法そのものが不思議な力なのである。
庭師であるペリーウィンクルが使うのはハーブであって、医者が処方する薬とは違う。
含まれる成分の量も薬に比べて格段に少ないため、副作用などの心配がない代わりに、作用は穏やか。
だというのに、付加魔法をかけたたった一杯のお茶で症状を和らげてしまうのは、やはり奇跡としか言いようがない。
ヴィアベルの言い分だと、媚薬の効果を消すのは難しそうである。
しょんぼりと項垂れるペリーウィンクルの頭を、ヴィアベルの大きな手がくしゃりと撫でた。
「媚薬の効果を消せないと言っているわけではない。だが、条件をそろえる必要はあるだろう」
「条件?」
「まず、あの女が作った媚薬だが……あれで完成したとは思えない」
「あれで完成じゃないってどういうこと?」
「あの女には、ひだまりの妖精がいるだろう」
ヴィアベルがペリーウィンクルのハーブティーの力を高めたように、ひだまりの妖精が媚薬の効果を高めたとしたら。
おまじないにも似た効果の薄い媚薬も、本物になってしまう。
ひだまりの妖精の力は強い。
果たしてヴィアベルに、ひだまりの妖精の力を無効化するほどの力があるのかどうか。
「ヴィアベル……」
すがるような視線を受けて、ヴィアベルが「うっ」と声を漏らす。
ペリーウィンクルに頼られることが生きがいといっても過言ではない彼は、そんな場合ではないと自身を叱咤した。
それからつとめていつも通りのしれっとした表情を貼り付けて、ペリーウィンクルの頬を撫でる。
「安心しろ。私とひだまりの妖精の力は五分五分、さらに三日月の夜は私の力が強くなるから、勝算はある」
「五分五分……って、五分五分⁉︎ ヴィアベルってば、ひだまりの妖精と同じくらいなわけ⁉︎ 聞いてないんですけど!」
ゲーム上では明かされていないが、設定資料集によれば、ひだまりの妖精は一国を滅することができるくらいの力を秘めているらしい、と書いてあったことを思い出す。
五分五分ということは、ヴィアベルにも同じだけの力があるっていうことで──とそこまで考えて、ペリーウィンクルは改めてヴィアベルのすごさを感じた。
「ヴィアベルってすごいんだね」
ペリーウィンクルのブラックオパールのような目が、星のようにキラキラ輝く。
愛してやまないその目で見つめられて、ヴィアベルはらしくもなく顔を赤らめた。
真正面から見つめられて、ヴィアベルの息が上がる。
引っ込めたはずのやましい気持ちが、再び彼を襲った。
見つめ返すことさえ難しくなって、ヴィアベルは口元を隠すように手で覆いながら顔を背けた。
「ヴィアベル?」
「なんだ」
「もしかして、照れていたりする?」
「そんなわけ……あるだろうが」
うっかりではない。これは、わざとだ。
こう言ったらペリーウィンクルはどんな反応をするのだろうと、そう思ったら見てみたくて仕方がなくなった。
ちょっとした仕返しの意味もある。だって自分はこんなにもペリーウィンクルに振り回されているというのに、彼女はちっとも動じていないのだから。
「うぇっ⁉︎ あるの⁉︎」
ヴィアベルの答えに、ペリーウィンクルは後退りながら驚いた。
そこまで驚くことか、とヴィアベルは不機嫌そうに唇を歪ませ、彼女を睨む。
「おまえ、私をなんだと思っている?」
「え、ヴィアベルはヴィアベルでしょ」
ケロリと言われては、毒気も抜ける。
一世一代の大勝負とはいかないが、それなりに覚悟を決めて言ったセリフだっただけに、ヴィアベルは少なからず落胆した。




