32 悪夢と夜の秘め事
ペリーウィンクルは夢を見た。昔の夢だ。
両親の棺が並ぶ教会に祖父母がやってきて、ペリーウィンクルにひどい言葉を投げつける。
それから父の元婚約者だという女の人がやってきて、ペリーウィンクルの頰をたたいた。
たたかれたペリーウィンクルは、そのまま床へ倒れ込む。
棺越しに見えた教会のステンドグラスの、なんと美しいことか!
妖精と人との友好を表現したというその窓は、燦々と光を浴びて輝いていた。
今思えば、現実逃避していたのだろう。
痛いと思うより前にステンドグラスの感想が浮かぶなんて、どうかしている。
倒れ込んだペリーウィンクルを助ける人なんて、誰もいなかった。
ごめんねと痛ましげに顔を歪ませながら、遠巻きに見ているだけ。
祖父母と元婚約者がペリーウィンクルを助けることなど、もちろんない。
床に転がったままの彼女を、虫でも見るかのように見下しながら、彼女の母がどんな悪女なのか、彼女がどれだけ汚れた存在なのか言い続けた──。
「……ふぅ」
ペリーウィンクルは顔をしかめ、ゆっくりと起き上がる。
久しぶりだった。この悪夢を──いや、つらい過去を思い出すのは。
「嫌な夢……」
この夢を嫌だと思えるようになったのは、いつからだっただろう。
見るたびに「ごめんなさい」と叫びながら飛び起きるペリーウィンクルを何も言わずに抱きしめてくれたのは、身内である祖父ではなくヴィアベルだった。
ふと、ペリーウィンクルは隣を見る。
人化したヴィアベルが、むにゃむにゃと無防備に寝ていた。
壁とペリーウィンクルの間に器用に体をねじ込んで眠る姿は、猫のように見えなくもない。
「……いつ来たのかしら」
呆れ混じりに言いながら、ペリーウィンクルの顔に自然と笑みが浮かぶ。
いてくれて、嬉しい。
どんな時も、彼が隣に居てくれたら安心できる。
これはたぶん、あれだ。
孵化した雛が初めて見たものを親だと思う、刷り込み。
怖いと思う時はヴィアベルが必ずそばにいてくれるから、安心するようになってしまっただけ。
それだけに過ぎないのだと、ペリーウィンクルは言い聞かせるように心の内でつぶやいた。
「こんなんじゃ、親離れなんて夢のまた夢になっちゃう」
胸が早鐘を打つのは嫌な夢を見たからで、ヴィアベルの無防備な寝顔を見たからじゃない。
(思いのほかかわいいだなんて、思ってないんだからねっ!)
誰に聞かせるでもなく言い訳を並べ立て、ペリーウィンクルは疲れ切ったため息を吐いた。
「ああ、もう。バカみたい。ちょっと、夜風にでも当たって落ち着いてこよう」
ベッドからそろりと抜け出す。
途端、悩ましげな色っぽい声が背後から聞こえてきて、ペリーウィンクルは「ひゃぁ」と小さく声を上げた。
ペリーウィンクルを探して、ヴィアベルの手がベッドの上をさまよう。
代わりの枕を与えてみたら満足げに抱きかかえていて、危うくペリーウィンクルはときめくところだった。
(あぶない! これは危なかった。かわいすぎるでしょ、もう!)
あー! と叫ぶのを我慢しながら、額に手を当てて天井を仰ぐ。
ペリーウィンクルは葛藤するように、しばし停止した。
それから諦めたように息を吐いて、部屋を出た。
***
春の夜気は肌にやわらかい。
水蒸気を含んでいるからだと教えてくれたのは、確か亡き祖父だったか。
そんなことを思いながらペリーウィンクルが外に立っていると、不意に空気が動いたような気がした。
なんだろうと暗闇に目を凝らすと、白いものがスーッと歩いていくのが見える。
「ヒッ……」
(ま、まさかゴーストッッ⁉︎)
たまらず悲鳴をあげそうになるペリーウィンクルの口を、大きな手のひらが覆う。
突然背後を取られたペリーウィンクルは、パニックを起こしそうになった。
(助けて、神様! いや、この国に神様はいないから、妖精王に助けを求めるべき⁈ ああでも、それはそれで不敬なような気もしちゃう!)
前にはゴースト、後ろには不審者。混乱しない方がおかしい。
ペリーウィンクルが必死になって体をバタつかせていると、背後の人物が顔を近づける気配がした。
(ぎゃぁぁぁぁ!)
「落ち着け。私だ」
耳の後ろにキスをされそうな距離から声をかけられて、ペリーウィンクルの体が震え上がる。
ゾワゾワゾワ! と体を震わせたペリーウィンクルに、ヴィアベルは彼女が寒さを感じてそうなったと思ったらしい。
甲斐甲斐しく魔法でカーディガンを召喚すると、前ボタンを外してペリーウィンクルに羽織らせる。
そんな彼に、ペリーウィンクルは気づかれていなくて良かったと心から思った。
(だって、恥ずかしすぎる! キスされるかもしれないと思っただなんて!)
恥ずかしさのあまり心の中で「破廉恥!」「スケベ!」「痴女!」と自身を罵倒しながら、ペリーウィンクルは唇を覆う手をペチペチと軽くたたいた。
至近距離で、ヴィアベルと視線が絡む。
頰が赤らんでいませんようにと祈りながら見つめていると、ヴィアベルが「そんな薄着でいるからだ」とつぶやいた。祈りの甲斐もなく、頰は赤らんでいたらしい。
「手を離しても叫ぶなよ?」
わかったから、お願いだから、耳元でささやくのをやめてほしい。
コクコクと必死になって頷けば、「いい子だ」と笑ってヴィアベルの手がゆっくり離れていった。
手が離れていくのと同時に耳元から気配が遠のいていく。
ペリーウィンクルは助かったと安堵の息を吐き、脱力したようにその場へしゃがみ込んだ。
そんな彼女と視線を合わせるようにしゃがみ込んだヴィアベルは、ゴーストがいた方向へ視線を向けながら訝しげな表情を浮かべた。
「ヴィアベル? まさか本当にゴーストがいるとか……?」
やわらかいと思っていた夜気が急に生あたたかく感じて、ペリーウィンクルはすがるようにヴィアベルの服をギュッと握る。
不安いっぱいの顔で力一杯服を握りしめてくる彼女を、ヴィアベルはチラリと見た。
服ではなく手を繋げば良いのに。
そんな考えが過ぎり、ヴィアベルは無意識に手を伸ばす。
「中央の国にゴーストがいないわけでもないが……あれはゴーストではないな」
ゴーストではない。
そう断言した途端にパッと離れてしまった手を残念に思いながら、ヴィアベルはペリーウィンクルから闇にうごめく人影へ視線を移した。
「え、じゃあ何?」
「人だ。後ろめたいことをしているのだろう」
「後ろめたいこと?」
うっすらと煙るような闇の中でも、妖精であるヴィアベルの目はよく見えた。
彼の視線の先では、一人の少女が人目を気にしながら何かを作っている。
液体が入った容器に数種類の何かを入れて混ぜ、小瓶からエキスのようなものを垂らす。
夜風に吹かれて漂ってきた香りに、ヴィアベルは「ふむ」と思案した。
「匂いから察するに……蜂蜜、シナモン、クローブ、カルダモン……ナツメグに松の実、オレンジに麝香……媚薬のレシピか。相手に飲ませることで、夢中にさせることができる」
「びやくぅ⁉︎」
素っ頓狂な声を上げるペリーウィンクルの口を、ヴィアベルは慌ててふさぐ。
念のために気配を消す魔法を自身とペリーウィンクルの周囲へ展開しながら、彼は眉をひょいと上げて呆れたような表情を浮かべた。
「静かにしろ。気づかれるではないか」
「え、でもだって、媚薬って……」
モゴモゴとペリーウィンクルが反論する。
そんな彼女にヴィアベルは「静かに」と注意したが、遅かったらしい。
こんな夜更けに人目を憚るようなことをしている人物だ。物音に敏感になっているのは当然である。
案の定、少女はペリーウィンクルの声にピクリと肩を揺らし、完成した媚薬をギュッと胸に抱いて周囲を警戒し始めた。
「ああ、ほら。気づかれた。気配を消す魔法をかけておくから、とりあえず黙っていろ」
ペリーウィンクルが頷いたのを見て、ヴィアベルは展開していた魔法の効果をさらに強めた。
程なく、足音が近づいてくる。
パタパタと走る足音が遠のいていくのを聞きながら、二人はしばしじっと身を寄せ合っていた。




