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30 妖精と不幸な女の子①

 今の彼女からは想像もできないが、六歳のペリーウィンクル・ルーは、不幸な女の子だった。

 馬車の事故で両親をいっぺんに(うしな)い、その両親の葬儀の場で父方の祖父母から「おまえの母のせいで息子は死んだ!」と(ののし)られ、父の元婚約者だという女性から平手打ちされたのだ。


 ペリーウィンクルの両親は、駆け落ち婚だった。

 春の国の貴族の家に生まれた父は、婚約者がいる身でありながら庭師であった母と恋に落ち、望まない結婚から逃げた。

 その結果生まれたのが、ペリーウィンクルというわけである。


 ペリーウィンクルは、何も知らなかった。

 仲睦まじい両親が世間から後ろ指をさされるような間柄であることも、祖父母がいることも、父に婚約者がいたことも。


 罵られ、ぶたれ、そうして彼女が学んだことは、すべての諸悪の根源は自分である、ということだった。


 両親を喪っただけでも不幸なのに、その両親の罪まで負うことになるとは。

 六歳の身には、あまりにもひどい仕打ちである。


 とはいえ、妖精であるヴィアベルが知ったことではない。

 左頰を真っ赤に腫らし、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした子どもを見ても、「ふぅん」と眺めただけだった。


 数日経って頰の腫れが引くと、契約者の孫だというその子どもは、少しだけマシに見えるようになった。

 青紫色の髪は人にしては少々珍しく、角度によって色を変える目はブラックオパールのようにも見えて、眺めているだけでおもしろい。

 子ども特有のふわふわとした頰はマシュマロのようにやわらかく、たまに突つくと涙が止まるのがオモチャみたいで可笑(おか)しかった。


 けれど、毎日毎日飽きもせず「パパ……ママ……」と泣いてばかりいられるのは気が滅入る。

 数週間もたてば、頰をつついて泣き止ませるのも飽きてきた。

 その上、契約者はペリーウィンクルのことで手一杯で、茶会どころかお茶の時間に菓子を出すこともない。

 だから当然、ヴィアベルは怒った。契約と違うじゃないか、と。


「おい。茶会はどうした」


「すまないな、ヴィアベル。おまえの好きなハーブとチーズのクッキーを焼くと、あの子が泣くんだよ。あれはわしが娘に教えたレシピだから……」


 ヴィアベルが好んで食べるハーブとチーズのクッキーは、ペリーウィンクルの母もよく作っていたお菓子らしい。

 作ると母を思い出してペリーウィンクルが泣くから作れないのだと言われた時、ヴィアベルはそろそろ潮時かもしれないと思った。


 契約者は高齢である。

 あと数年もすれば寿命を終えることを、ヴィアベルは知っていた。

 最期まで見届けてから帰るつもりだったが、ちょっと早めるのも悪くないかもしれない。


 そんなことを考えながら、ダラダラと帰国する日を決めかねていた時だった。


「ん、しょ……ん、しょ……」


 それは、誰もが寝静まった夜のこと。

 ヴィアベルが散歩から戻ってみると、キッチンから小さな音が聞こえてきた。


 はじめは、ネズミでもいるのかと思った。

 吊るしているハーブを齧られてはたまらないと、ヴィアベルは渋々キッチンへ向かう。


「む?」


 そっと近づいて戸を少しだけ開けてみると、ハーブとチーズの香りが漂ってきて驚いた。


(まさか、ハーブとチーズのクッキーか⁉︎今クッキーをくれるなら、国へ帰るのは延期してやっても良いぞ)


 鼻をくすぐる香りは懐かしさを覚えるほどで、もしやと期待しながらヴィアベルはキッチンをのぞく。

 だが、予想に反して、キッチンに居たのは契約者ではなくペリーウィンクルだった。

 彼女は作業用の椅子の上に立ち、濃紺色のワンピースを小麦粉で真っ白にしながら、オーブンの中をのぞき込んでいるところだった。


「なにをしている」


 ヴィアベルがそうっと近づいて声をかけると、ペリーウィンクルは震え上がって椅子の上でしゃがみ込んだ。

 危うく椅子ごと倒れ込みそうになるのを、ヴィアベルはとっさに魔法で押しとどめる。


「危ないではないか」


「ごめんなさい……!」


「怒っているわけではない。私は、なにをしているのかと聞いただけだろう?」


 小さな椅子の上で丸まるペリーウィンクルを見て、ヴィアベルは器用なことだと思った。

 いくら彼女が小さいといっても、そんなところで丸まっていたら危ないだろう。

 だって目の前にはオーブンがあって、下手をすればお伽噺(とぎばなし)の魔女のように焼かれてしまうかもしれない。

 そうでなくとも、火傷をしそうなものである。


「クッキーを、作ろうと思って……」


 自分が泣くから、祖父はクッキーを作れない。

 このままだとヴィアベルはいなくなってしまう。

 だから、自分でクッキーを作ろうとしていたらしい。


 ぽつりぽつりと話すペリーウィンクルに、意外と勘が良い娘なのだなとヴィアベルは感心した。


(泣いてばかりの愚図(ぐず)かと思っていたが……まぁ、器用でないのは確かだな)


 仕様がないやつだと嘆息し、ヴィアベルは小さな手でくるりと円を描いた。

 すると小さな風が起こり、ペリーウィンクルの周りを駆け回って消える。


「わ、あ……!」


 黒い瞳が、星のように瞬く。

 いつだって下を向いて泣いたばかりいた女の子が、ヴィアベルのことをキラキラした目で見ていた。


「な、なんだ」


 見慣れない表情に、ヴィアベルは身構えた。


「今の……洋服をきれいにしてくれたの、妖精さんの魔法?」


「そうだが」


「妖精さんの魔法ってタイカが必要なんでしょう? おじいちゃんが言ってたよ。今の魔法に必要なタイカ、私でも払えるかなぁ? 私、なんにも持っていないの。おじいちゃんやあなたがとても良くしてくれるのに、なんにも返せない」


 言いながら、ペリーウィンクルの目の輝きが失われていくのが見えた。

 ヴィアベルはそれを、もったいないと思った。

 だって、キラキラしている彼女の目は、とても気持ちが良いものだったから。


(月明かりの妖精である自分のそばにこそ、あるべきものだ)


 いつまででも見ていたくなって、ヴィアベルはどうしたらそれができるのだろうと考えた。

 つらいことをすべて取り除いて、甘くてやさしい世界で守ってやれば良いのだろうか。

 そうだ、お伽噺に出てくる姫のように、塔に閉じ込めてしまうのはどうだろう。


(だが、閉じ込めた姫は王子に取られると決まっているではないか)


 返事をしないヴィアベルに、ペリーウィンクルが心配そうに「妖精さん?」と声をかける。

 あどけない声に、ヴィアベルの意識は唐突に引き戻された。


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