26 ヒロインのうわさⅢ
すごく、すごく今更すぎるが、ペリーウィンクルは気付いてしまった。
「悪役令嬢たちの恋の手助けをするのに手一杯で、ヒロインをいじめるのを忘れてた!」
とんだ失態である。
この国へ来た時、不安がるローズマリーへ高らかに宣言した自分を殴ってやりたい。
(なにが、“いざとなったら私がやりますし”だよぉぉぉぉ!)
いざどころか、すっかり頭から抜けていたペリーウィンクルである。
今更だけどやらないよりはマシか? と慌てていじめる方法を考え始めたペリーウィンクルの背後で、呆れ混じりのため息が吐き出された。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって……そんなことじゃ済まされない失態だよ? 作戦失敗じゃない!……あ」
とんでもない失言に、ペリーウィンクルは泥まみれの軍手をしたまま口を押さえた。
唇と顎に若干土が付いたが、それにかまっている余裕はない。
なぜなら──、
「ほぅ……作戦、とな?」
ヴィアベルの不機嫌そうな声が、ペリーウィンクルの耳に届く。
怖いもの見たさの精神で後ろを振り向けば、人の姿になったヴィアベルが、それはもう壮絶なまでに艶やかな笑みを浮かべて立っていらっしゃった。
「それはどういった作戦なのだろう? 今回こそは、私にも教えてくれるのだろうな?」
視界の端で、妖精たちがキーキーと悲鳴を上げながら逃げていくのが見える。
一緒に逃げてしまいたいと現実逃避しながらも、ペリーウィンクルはヴィアベルから目を離すことができなかった。
(……こっわ!)
反射的にゾクンと背筋を何かが這い上がっていったが、それに構っている余裕なんてペリーウィンクルにはない。
それよりも、底冷えするような冷気が彼から漂ってきている方が問題だった。
今更ながらに、ヴィアベルが月明かりの妖精なのだと理解する。
彼は、雪深い森の奥にある、湖へ降り注ぐ月明かりから生まれた妖精なのだ。
冬の国にあるというその湖の氷がすべて溶けるのは、数えるほどしかないらしい。
ヴィアベルは、その奇跡的な日に生まれたのだと言っていた。
ゆらゆらとヘビのように地を這う冷気は、ペリーウィンクルの方へと迫ってくる。
このままいけば箱庭の植物たちにも影響が出そうで、気が気じゃない。
「こわいなぁ。そんなに怒らないでよ、ヴィアベル」
ペリーウィンクルは少しだけ顎を引いて上目遣いを心掛けながら、できる限りいつも通りの声で話しかけた。
こんなしぐさ、本当はしたくない。柄じゃないから。
でも、ローズマリーがすると破壊的にかわいらしいので、ペリーウィンクルに甘いヴィアベルなら、多少の効果はあると思ったのだ。
目論見は当たり、冷気が少しだけ後退する。
ペリーウィンクルの上目遣いは、功を奏したらしい。
「怒る? そうではない。私は、悲しいのだ。他でもないおまえが、私を頼らなかったからな」
いや、怒ってるじゃん。
ペリーウィンクルはその言葉を飲み込んだ。
もう何度目だろう、このやりとりは。
いい加減、ペリーウィンクルだって嫌になってくる。
それでも、これ以上ヘソを曲げられては困ったことにしかならないので、付き合うしかないのだが。
ヴィアベルは、サントリナとニゲラの恋が自分の助力なしに成就したことが面白くないらしい。
というか、ペリーウィンクルが彼を頼らなかったことに腹を立てていた。
親離れを目標にしているペリーウィンクルには迷惑──というのは少々語弊がある。本当は甘えたいところを将来のために涙を飲んで頑張っているのだから──でしかないのだが、どこまでも過保護な妖精は、彼女に頼られることを生きがいとしているらしい。
そんなヴィアベルが、サントリナとニゲラの仲が急接近しているといううわさを聞きつけて真っ先にしたことは、ペリーウィンクルを壁に追い詰め、逃げられないように腕で囲い込みながら「私を殺す気か!」と責めることだった。
殺す気とは穏やかではない。
怯えるペリーウィンクルがなんとか気を奮い立たせて聞き出したところ、
『できることなら、そばにいてくれ。そばにいてくれないと、なにをしでかすかとヒヤヒヤしてなにも手につかん』
と、またしても言われてしまった。
『そばにいるじゃない。今、私は中央の国にいるでしょう? 前よりずっと近いわ』
『そうだな。前よりは近くなった。だが、まだ足りないのだ』
なにが足りないのだろうか。
まるで飢えた獣みたいだ。何をあげたら、彼は満足するのだろう。
中央の国へ来てからというもの、ヴィアベルのことを知っているはずなのに、知らない人のように感じることが増えてきた。
ただの過保護な妖精だと思っていたが、そうではないような──とそこまで考えて、いつも思考が止まる。
今回もよくわからなくなってきて、結局ペリーウィンクルは考えることを放棄した。
だって今は、ヴィアベルのことよりひっ迫した問題がある。
「わかった。ごめん。もうのけ者にしたりしないから。今度は、ちゃんとお願いするから。だから、機嫌直してよ」
「絶対だな? この約束、違えるなよ?」
「わーかったってば。それよりさ。ヴィアベルはさっき、‘’そんなことか”って言ったよね。どうして?」
「ああ、そうだ。ローズマリーはしっかりとリコリスをいじめていた。つい先日など、妖精の茶会の作法もろくに出来なかったのを、彼女が成敗していたぞ」
妖精たちは茶会が大好きだ。
実は、人間と契約する妖精は、人間がひらく茶会が目当てだったりもする。
妖精の世界には存在しない、おいしいお菓子やお茶。それらは、契約しないと手に入らないものなのだ。
そのため、契約者はおいしいお菓子の作り方とお茶の入れ方も学ぶらしい。
「茶会で成敗? お茶をぶっかけたりしていたの?」
「いや……あの女、妖精を殺そうとでも思っているのか、それとも授業をよくよく聞いていないのか、よりにもよってアコナイトで茶を淹れようとしていてな。一体、どこから手に入れたのか……ローズマリーが気付いて、手からたたき落としたのだ。それをあの女は暴力反対だと喚いて……む。これではいじめにならないではないか」
「うん、そうだね。なんなら、命の恩人じゃない」
アコナイトは、根はもちろん葉や花びらにも毒がある、全株有毒の植物である。
花粉にさえ毒性があり、お茶なんて言語道断なのだ。
だが、鮮やかな色の花を咲かせるので園芸用に栽培されることも多く、手に入れるのは難しいことではない。
現に、ローズマリーの箱庭にあるジギタリスだって、毒性がある植物である。
まさかローズマリーがそれを茶にすることはないだろうが、無知とは恐ろしいものだと戦慄するばかりだ。
「それでな、茶を飲む予定だった妖精たちが怒り狂ってな。あることないことうわさしているらしい。例えば……ローズマリーの箱庭を襲った花泥棒は彼女である、とかな」
「え。それ、本当なの?」
「あることないことと言っただろう」
「……本当は?」
「あの女が犯人だろうな。ついでに言うと、今、あの女はトゥルシーという女を手下にして、ローズマリーの箱庭からアルケミラ・モリスを取ってくるつもりだぞ。次のターゲット、ディルのためにな」
ペリーウィンクルは、少し前から感じていた違和感がするすると解けていくような思いだった。
ローズマリーが花泥棒を見逃し続けた理由、それはヒロインが犯人だと知っていたから。
最終的には白バラを盗らせて、ソレルに贈らせるつもりだったのだろう。
「なんというか……さすがお嬢様」
「お嬢様の気持ちも汲めないとは……メイド失格ではないか」
ククッと意地悪く笑うヴィアベルに、ペリーウィンクルは「庭師だからね」と苦々しく答える。
「やはり、私がいると便利だろう?」
「便利じゃなくても、ヴィアベルと会えるのは嬉しいよ」
「口説いているのか? 私を?」
ひょいと眉を上げておどけた顔をするヴィアベルに、ペリーウィンクルは肩を竦めた。
「まさか。本心だよ」
ペリーウィンクルの男前すぎるセリフに、ヴィアベルの耳の後ろが赤く染まったのは、内緒の話である。




