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25 ヤンデレ担当尽くし系令嬢

 紺色の夜空に、ぽっかりとまん丸の月が浮かぶ。

 ランタンの灯りもいらないくらい、辺りは明るい。

 隠すものが何もないのを心許なく思いながら、トゥルシーは足早に目的地へと急ぐ。


 そんな彼女の手には、切れ味の悪そうな古びたハサミが握り締められている。

 花を切ってそのままにしていたような、錆びついたハサミだ。

 トゥルシーがそれを大事に持っているのには、わけがあった。


 使命感に満ちているような、それでいて思い詰めているような顔をしながらトゥルシーが思い出すのは、親友のリコリスのことである。


『トゥルシー……わたし、やられっぱなしはもういやなの』


 薔薇石英(ローズクォーツ)のような目を涙で曇らせて、トゥルシーの親友は言った。


『わたし、ずっと我慢してきたわ。わたしなりに歩み寄ろうと努力もしてみた。それでもダメだったから、距離を置こうとしたの。でも、それも無駄だった。わたしがなにを言ったって、なにをしたって、あの方は気に入らないのよ。スルスにいるのは一年だけ。それだけ我慢すればいいって思っていたけれど……もう、我慢できなかった。限界だったの』


 そう言った彼女が握りしめていたのが、今トゥルシーが握りしめているハサミだった。


『まさか、あなたが……?』


『ええ。わたしが、ローズマリー様の箱庭から花を盗んだ、花泥棒なの』


 親友のリコリスがローズマリーにいじめられていることは、彼女の口から何度も聞かされて知っていた。

 意地が悪いローズマリーは、リコリスが一人きりの時にしかいじめない。

 虫も殺せないような顔をしておいて、とんでもない人なのだ。


 リコリスが大切にしている母の形見であるハンカチを、ゴミだと言って捨ててしまったり。「優秀なあなたはもう頭に入っているでしょう?」と教科書をズタズタに引き裂いたり。ある時なんて、机に()()()()()『学校ヤメロ』と書かれていて、彼女は泣きながら消したのだとか。


 リコリスはいつも明るくて元気で、トゥルシーに優しい。

 陰気で本の虫みたいな自分とは、まるで違う。

 彼女のそばにいると、太陽に照らされた月みたいに、穏やかな気持ちになれた。

 まるで自分が、普通の女の子になれたような気がしたのだ。


 だからトゥルシーは、ちっとも気付かなかった。

 学校内に花泥棒が現れたといううわさが流れた時も、ひとごとのように思っていた。

 シナモンが花泥棒を探しているという話を聞いた時も、そのうち見つかるだろうと思っていたのだ。


 親友だからと告白してくれた彼女に、トゥルシーは報いなければならないと思った。


 今、リコリスが動くことは危険だ。

 なぜなら、今もっともローズマリーと仲が悪いのは、リコリスだから。


 でも、トゥルシーなら?

 リコリスが見張られている間に、花泥棒が現れたら?

 だけど、そんな大それたことができる?


 悩んだのは、一瞬だった。

 トゥルシーは、決めた。リコリスの代わりに、花泥棒をすると。

 彼女がシナモンに疑われていることを、トゥルシーは知っていた。


『リコリス。あなたが動くと疑われてしまうわ。だって今、最もローズマリー様に不満を抱いているのはあなただもの。だから……私が代わりにやってあげる』


 今まさに箱庭へ赴いて花を切ろうとしていたリコリスを引き留め、彼女からハサミを奪う。

 錆び付いたハサミがやけに重たく感じて(ひる)みそうになったが、トゥルシーは唇を噛んで耐えた。

 そんなトゥルシーに、リコリスは「やっぱりダメよ」と悲しく笑う。


『親友にこんなこと、させられないわ。もしも見つかったら、あなたが退学処分になってしまうもの』


『大丈夫。絶対に見つからないようにするから』


『でも……』


『こんなことであなたの気持ちが落ち着くのなら、願ってもないことだわ。だから、ね? 私にやらせて』


『トゥルシー……大好きよ』


『ええ、私も大好きよ』


 トゥルシーが花泥棒を代わることで、リコリスは疑われなくなるし、ローズマリーは苦い思いをする。

 これは、素晴らしい案に思えた。

 なにより、覚えるのが得意なトゥルシーの頭には、この学校のあらゆる地図が入っている。

 巡回が強化されたとしても、関係ない。回り道はいくらだってあるのだから。


 寮から箱庭への道のりは、途方もなく遠く感じた。

 いつもならば数分で行ける距離を、探り探り歩いていく。

 ようやくローズマリーの箱庭へ着いた時、トゥルシーの息は上がっていた。


 ローズマリーの箱庭は、性悪女が造ったとは思えない可憐(かれん)な雰囲気だった。


 大輪の白バラと薄紫色のミニバラが咲き誇り、月明かりに照らされたアルケミラ・モリスの黄緑色の花が、バラの魅力をさらに引き立てる。

 他の花々もしっかりと手が行き届いていて、文句のつけようもない。


「さすが、春の国第一王子の婚約者というところでしょうか」


 ウッドフェンスのハニーサックルがやや殺風景なのは、リコリスが切ったからだろう。


「あれくらい切れば、リコリスの疑いは晴れるはず」


 よし、と気合いを入れて、トゥルシーは箱庭へ足を踏み入れた。

 リコリスに頼まれたのは、バラの株元にあるアルケミラ・モリス。

 小さな星形の花が、ふんわりと群れて咲いている。黄緑色のカスミソウのようにも見えるが、さらに繊細でソフトな印象を受けた。


 リコリス曰く、ローズマリーはソレルが好む白バラと自らが好むミニバラを大事にしているらしい。

 バラではなくバラを引き立てる花を切ってと言ってくるあたり、リコリスは非情になりきれていないとトゥルシーは思う。


「そんな子だから、好きになったのだけれど」


 アルケミラ・モリスの花を茎ごと掴み、トゥルシーはハサミを向ける。

 バッサリと切るつもりでハサミの刃を広げた、その時だった。


「トゥルシー嬢」


 すぐ後ろから声がして、トゥルシーは慌てて体を翻す。

 持っていたハサミを隠すように胸に抱き、彼女は声の主と対峙(たいじ)した。


 今宵の夜空を溶かしたような色をした、柔らかそうな髪。神経質そうな緑色の目が、眼鏡の奥でスッと眇められる。


「ディル様」


 トゥルシーが名前を呼ぶと、男は薄い唇を不満そうにぎゅっと引き結んだ。


「やめるんだ」


 鋭い眼光が、トゥルシーに突き刺さる。


「あなたには関係のないことです」


 トゥルシーが冷たく言い返すと、ギリリという音が聞こえてきた。

 なんだろうと思って視線を落とすと、革手袋をした彼の手が、何かを堪えるようにきつく握られている。


 怒っている、とトゥルシーは思った。

 どうして怒る必要があるのだろう。

 だってディルは、トゥルシーにとってただの知り合いに過ぎない。

 放課後、図書館で過ごす間に二、三言言葉を交わす程度でしかないのだ。


「花泥棒は、退学処分になる」


 正義感から、ディルは言っているのだろうか。

 交わした言葉は少ないものの、それでも彼にそんなものがあったことに驚きを隠せない。


「あなたは、リコリス嬢のために退学するつもりなのか?」


 バレている。

 トゥルシーはディルの言葉に動揺しそうになったが、なんとか平静を装う。


「リコリスは花泥棒なんてしていないわ。あなたの勘違いよ」


 トゥルシーは精一杯平静を装っているようだったが、ちっともできていなかった。

 声は震えているし、視線も泳いでいる。

 これ以上刺激しては、大事そうに胸に抱くハサミで何をしでかすかわからず、ディルは諦めるように息を吐いた。


「わかった。そういうことにしよう」


 とりあえず今夜は、という言葉は飲み込んで、ディルはトゥルシーを逃す。


「まだ彼女を止める手立てはあるはずだ」


 ディルの祈りにも似た言葉は、誰に聞かれることもなく夜風にかき消された。


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