02 悪役令嬢も転生者
この世界の妖精は、あらゆるものから生まれる。
植物に限らず、食べ物に道具に宝石と、本当になんでもありなのだ。
それはまるで前世の日本で言う八百万の神のようだ、とペリーウィンクルは思う。
今、彼女の目の前には、イチゴが乗った真っ白なホイップクリームが浮かんでいる。
よく見れば、ホイップクリームにはブタの耳と尻尾が生えていて、多肉植物のようなぷっくりとした手足がついていた。
(子ブタの……いや、イチゴのショートケーキの妖精かな)
ペリーウィンクルがチョンとつつくと、妖精は「ぴぎ!」と怒って、くるんとした尻尾を回した。
ピョコ、ピョコ、ピョコ。
妖精の尻尾が、船底に付けられた舵のように動く。
妖精はそのままフヨフヨと飛んでいったかと思えば、ベッドで眠る少女の肩に止まった。
枕の上に散らばるのは、薄紫色の髪。真っ白な肌はしっとりもちもち、小さな唇はベイビーピンク。
痩せていればきっと、お人形さんのようにかわいらしい。そう、痩せていれば。
残念ながら彼女の体はお世辞にもスリムとは言い難い。良くて子ブタちゃん、正直に言えばぽっちゃり、一般男性の厳しい目線から言えばデブである。
彼女の名前は、ローズマリー。春の国の貴族、デュパンセ公爵の娘だ。
乙女ゲーム『恋の花をあなたへ』において、春の国の第一王子であるソレルのルートの、ライバル令嬢である。
いわゆる、悪役令嬢。それが、彼女だ。
(ゲームではか弱い小動物みたいな見た目の女の子だったんだけどなぁ)
ゲームの中の彼女は、それはもう守りたくなるようなかわいらしい女の子だった。
どうして彼女がヒロインじゃないのだと思うプレイヤーがなきにしもあらず。
何を隠そう、前世のペリーウィンクルもソレルルートはヒロインよりローズマリー推しだった。
(それがなぜ! こんな子ブタに! ちっくしょう!)
ペリーウィンクルは思わず、目の前のティーテーブルに拳を叩きつけたくなった。
しかし、ここは公爵家。なんでもないティーテーブルであろうと、目ン玉をひん剥くようなお値段に違いない。
(危ない危ない。このテーブルだけで私のお給料が何カ月分も吹っ飛ぶんだから)
落ち着け。落ち着くんだ。
湧き上がる感情を落ち着かせるべく、ペリーウィンクルは冷めかけた紅茶を飲んだ。
「王子の幼少期、ありがとうございまぁす! でも、悪役令嬢だなんてイヤァァァ!」
とは、起きざまに叫んだローズマリーの言葉である。
絶叫とともに飛び起きた彼女は、頭を抱えていた。「嫌だ、嫌だ」と呟く姿は、錯乱した精神障害者のようにも見える。
助けてくれた恩人へのお礼に──とメイドに言われたが、おそらく「助けたからには最後まで面倒みてよね」というのが本音だ──と、ローズマリーの自室でお茶とケーキをごちそうになっていたペリーウィンクルは、そんな彼女の絶叫を聞く羽目になった。
つい数時間前までメイドに威張り散らし、勢い余って池に落ちた彼女は、その弾みで前世の記憶を取り戻したらしい。
発せられた第一声は、わかりすぎた。
無意識にペリーウィンクルは「わかるわぁ」と深く頷いていたらしい。
「え……」
「ん?」
「もしかして」
「もしかして?」
「あなたも同じなの?」
「ああ、はい。たぶん、そうです」
ローズマリーは、前世の記憶を取り戻したことによる混乱からか、見知らぬ女が部屋にいたにもかかわらず、警戒することなく歩み寄る。
対するペリーウィンクルも、まさか同じ転生者と出会えるとは思ってもみなくて、この奇跡に驚きつつ歩み寄った。
二人は無言でかたく握手を交わす。
そして次の瞬間にはもう、熱く語り合っていた。
それはまるで、マイナージャンルをさまようオタク同士が奇跡の出会いを果たしてしまったような独特の空気感であったと、のちに二人は語る。
すっかり話し終えてみると、二人の境遇はよく似ていることがわかった。
違うのは、今世での立場。
ペリーウィンクルがなんのしがらみもないモブであることに対し、ローズマリーはしがらみだらけの悪役令嬢なのだ。
「あぁぁぁ……なんてこと……ああ、ローズマリー。どうしてあなたはローズマリーなの……本当に、どうしてよ。どうして私が悪役令嬢なわけ? 私、めっちゃ頑張ったよ⁈ 前世は社畜としてあんなにも頑張ったっていうのに、まだ頑張れって言うの⁉︎ せめて今世はゆっくり生きたかった。ローズマリーじゃ、幸せになれないじゃない!」
その通り、とペリーウィンクルは頷いた。
ローズマリーは幼い頃から、ソレルとの結婚を約束されている。
子供らしい遊びをする暇があったら妃教育を受けろと、前世と同じように多忙な日々を送ってきたのだろう。
(今の彼女がゲームと違って子ブタちゃんなのは、転生者だからなのかもなぁ)
無意識下に、ストレスの吐け口を食欲に求めていたに違いない。
社畜として前世を終えて、今世でなお多忙を極めるなんてどんな地獄だと、ペリーウィンクルは哀れみに満ちた目でローズマリーを見た。
ローズマリーはふくよかな体を揺らし、ドスドスと足を踏み鳴らしていた。
やおらポケットからビスケットを取り出すと、ムシャムシャと食べ出す。
三枚ほどぺろりと完食すると、大仰なため息を吐いてベッドへ横になってしまった。
(ひえぇぇぇ……公爵令嬢としてどうなの、これ……)
わからなくもないが、ペリーウィンクルは残念で仕方がない。
(だって、本当はすごくかわいいのに)
ゲームでのローズマリーは性格が悪いが、見た目は本当に小動物のように愛らしかった。
だからこそ、前世のペリーウィンクルはローズマリー派だったというのに。
「ヒロインが王子ルート、もしくは逆ハーレムルートを狙う場合、わたくしは婚約破棄の上、学校を追放されるのよね?」
「ええ。それ以外のルートの場合、あなたは王子と結ばれるわけですが……」
「王妃になんてなったら、心休まる時間なんてないじゃないの!」
「ですよね」
どのルートでも、心休まる人生は送れそうにない。
(ああ、でも)
「わたくしは、今世こそまったりしたいの! あぁぁぁ……モブのあなたが羨ましい。どうしてわたくしは悪役令嬢になんて転生してしまったのかしら。このままでは追放、もしくは王妃。どちらにしても最悪じゃないの!」
ふてくされるローズマリーに、ペリーウィンクルはふと思う。
ゲームでは、彼女の追放後のエピソードはなかった。つまり、追放後ならばいかようにもできるのではないか、と。
「あの……」
「なによ」
「追放された後にまったりすれば良いのでは?」
「……え?」
「ですから、ヒロインには王子ルートか逆ハーレムを狙ってもらって、あなたは王子から婚約破棄してもらうんです。そして、婚約破棄された後に、まったりすれば良いんですよ」
確かそんな小説があったはずだと言えば、ローズマリーは途端に目を輝かせた。
「なにそれ。最高じゃない!」
ローズマリーは走り寄り、ペリーウィンクルをガシッと抱き締める。
「こうなったら、一蓮托生よ。わたくしが無事に婚約破棄されて新しい人生を送れるようになるまで、付き合ってよね!」
「んえぇ⁉︎」
「なによ、文句なんて言わせないわ。だってあなたが言ったのよ? 言い出しっぺが逃げるなんて許されないわ!」
ズビシ、とローズマリーは仁王立ちでペリーウィンクルを指さした。
ふくよかな彼女の頰がポヨンと揺れる。
ペリーウィンクルはたまらず、
「ローズマリー様。ゲームスタートである入学までに、まずはダイエット、しましょうか」
このままでは、第二の人生を送る前に糖尿病になってしまう。
健やかな隠居生活に、健康な体は必要不可欠なのだ。