18 妖精の勘違い
サントリナは女性だ。
それはわかっている。わかってはいるが、目から入ってくる情報はどうやっても美青年で、手を握られてつい胸が高鳴った。
冬の国の姫が恋に落ちるのも、わかる気がする。面食いであるペリーウィンクルもまた、彼女の魅力に屈しそうになっていたから。
浮ついた気持ちを落ち着けるべく、着替えてからお茶を出すまでの行動を考えながら自室へと急ぐ。
パタンと扉を閉めたペリーウィンクルは、安心したように息を吐いた。
「……サントリナが好きなのか?」
「ぴゃあっ!」
突然、脇から影が落ちる。
見上げるよりも早く耳元でささやかれて、ペリーウィンクルは心臓が止まるかと思った。
そうでなくとも、サントリナからの過剰な接触のせいで胸が騒いだままだったというのに、不意打ちで吐息混じりの艶っぽい声を出されてはたまったものじゃない。
(いつも淡々とした声しか出さないくせに。こんな時ばっかり、もう!)
耳に当たった吐息のせいで不本意にもゾクゾクと体を震わせてしまい、ペリーウィンクルはいたたまれなさについ、逆切れするように睨みつけた。
親のようにも、兄のようにも思っていた人物が、大人の雰囲気を持ち出してきたのだ。強制的に意識させられて、恥ずかしさのあまり彼女が八つ当たりするのは、仕方のないことだろう。
「なにするのよ、ヴィアベル!」
「なに、とはこちらが聞きたい。さきほどのあれは何だ」
「は? あれってなに」
「手を握って見つめ合っていたではないか」
睨みつけた先に無表情の顔を認めて、ペリーウィンクルは眉を寄せた。
相変わらずの人外じみた美貌だ。整っているからこそ、無表情だと現実味がなくて恐ろしさを覚える。
(人の姿をした妖精が綺麗なのって、整った顔が一番楽だからって言っていたっけ)
味のある顔を作るのは、コストがかかるらしい。
不細工を作るのは難しいことなのだと、ずっと昔にヴィアベルが言っていたのを聞いたことがある。
(いや、今はそれよりも……)
あまりの怖さについ、頭が現実逃避をしてしまったらしい。
ただ静かに様子を窺っているらしいヴィアベルに、ペリーウィンクルはどうしたものかと思案する。
あるかなしかの笑みを浮かべて、目に揶揄うような色を滲ませているのが、通常のヴィアベルだ。
だというのに、今日の彼はらしくもなく苛ついてるらしい。
たちの悪いいたずらを仕掛けてきたのも、そのせいに違いない。
(そうじゃなきゃ、ヴィアベルがあんな声を出すわけがないもの)
あんな声、とうっかり思い出してしまい、ペリーウィンクルの頬が赤らむ。
だが、ガラス玉のような目に映っていた、情けない自分の表情が目に入り、すぐさま冷静さを取り戻した。
(一体、なにに対して怒っているのだか)
耳に当たる吐息に焦ってしまったが、彼は「サントリナが好きなのか」と言っていなかったか。
(まさか、ねぇ?)
ヴィアベルは、サントリナに大事な娘を取られると思ってやしないか。
娘から彼氏を紹介された男親のような気持ちで、怒っているのかもしれない。
ペリーウィンクルのことをずっと見てきたヴィアベルだ。
そう思ってしまっても、おかしくはない気がしてくる。
「あの、ヴィアベル?」
「なんだ。私は、ぽっと出の娘におまえを取られるなど、到底許せない」
おずおずと声をかけると、少しだけ柔らかさが戻った声が返ってくる。
その声音は、どことなく拗ねているようにも聞こえた。
(大丈夫よ、ヴィアベル。あなたが思っている以上に、私はまだまだ子どもだから)
前世ではまあまあ数えるくらいは恋愛をしたが、社畜になってからは浮いた話の一つもなく。
今世ではまったりスローライフに重きを置くあまり、庭師の資格を得ることに夢中で、恋なんて頭になかった。
世間的には大人の年齢で、ヴィアベルから親離れしようとしているが、恋愛においては子ども以下かもしれない。
そういえば「ヴィアベルのお嫁さんになる」なんて言っていた頃もあったが、まさか本気にはしていないだろう。
いくら彼が妖精だろうと、人間の子どもの発言がどれほど有効なのかくらいはわかるはずだ。
無事に親離れできたとしても、しばらくはヴィアベルが恋しくなるだろう。
その穴埋めに、恋をするのも良いかもしれない。
とはいえ、今はヴィアベルの誤解を解くことが先である。
うっかりペリーウィンクルがサントリナに恋をしているなどと誤解されたままでいたら、ヴィアベルは何をするかわかったものではない。
ペリーウィンクルの恋を応援するとなったら、妖精魔法でペリーウィンクルを好きになるよう誘導したり、サントリナの婚約者であるニゲラが婚約破棄をするよう画策したりするだろう。
恋を応援したくないとなれば、心配のあまりペリーウィンクルを攫って隠してしまうかもしれない。
ヴィアベルは、八百屋がおまけしてくれないくらいで自分のテリトリーに住めと言ってくるような、過保護な妖精なのだ。
大事なペリーウィンクルのためならば、それくらいしかねない。
(たぶんこの予想は、自惚れなんかじゃないはず)
ヴィアベルには聞こえないようこっそりと心の中で「面倒な……」と呟きながら、ペリーウィンクルは小さく小さくため息を吐いた。
ローズマリーの次のターゲットがサントリナである以上、接触は避けられないだろう。
シナモンとセリの時のように妖精王の茶会を利用するならば、ヴィアベルと距離を置くわけにもいかない。
そもそも、誤解するようなことは何もないのだ。
ペリーウィンクルに好きな人なんていないし、好きだと言ってくれるような人もいない。
サントリナに動揺したのは、経験値の問題だ。気持ちの問題ではない、はず。
「サントリナ様は女性よ?」
「知っている。だが、人間の女は女を好きになることもあるだろう」
「まぁ、そうだけど。少なくとも私は、サントリナ様をそういう目で見ていないわ」
「本当か?」
「うそをつく意味がないでしょ。サントリナ様はさ、見た目がちょっと男の人っぽいから動揺しちゃっただけだよ。ほら、私ってば男の人とお付き合いをしたこともないでしょう? 言っていて情けなくなるけど、慣れていないからサントリナ様相手でもどうしていいのかわからなくなるのよ。だから、その……好きとか嫌いとか、それ以前の問題なの」
恥ずかしそうに告げるペリーウィンクルに、ヴィアベルはほんの少しだけ溜飲が下がったらしい。
ガラス玉のような目に、いつものあたたかさが戻ってくる。
「そうか」
ただ一言、ヴィアベルは言った。
いつものように、慈愛に満ちた目でペリーウィンクルを見つめ、彼女のまろやかな頰を撫でる。
異性に撫でられているというのに、ペリーウィンクルは子猫のように無防備な顔をして身を預けていた。
甘えられているのか、それとも無神経なだけなのか。
ヴィアベルはどちらでも良いと思った。
どうせ行き着く先は同じなのだから、と。