16 ヒロインのうわさⅡ
いつものように、ローズマリーの箱庭でせっせと水やりをしていたペリーウィンクルは、淡い橙色の花を咲かせているハニーサックルがいくつか切り取られているのを見つけて、目を見開いた。
持っていたジョウロを脇へ置き、切られた蔦を手に取ってしげしげと見る。
千切ったようには見えない。しかし、ハサミにしては雑な切り口。
きちんと手入れのされていないハサミで切られたのかもしれない、そんな切り口だ。
「まただ……!」
みるみる顔を怒りに染めたペリーウィンクルは、ガーデニングエプロンのポケットへ手を伸ばした。
しまっていたハサミを取り出し、「エイヤッ!」と虚空を切り裂く。
ジャキンジャキンとハサミを振るう姿は、庭師というより狩人のようである。
うっかり見てしまった彼女の庭師仲間は、「ぴゃっ」と小さく跳ねて見ないフリを決め込んだ。
シュッシュッと素振りのように数回繰り返したあと、ようやく気持ちが落ち着いたペリーウィンクルは「大事に育てたのに……」とションボリ肩を落とした。
綺麗とは言えない切り口をハサミで整え、カウボーイが銃を仕舞うように、ハサミを回しながらポケットへ収める。
「一体、誰がこんなことをしているんだろう?」
切り取られるのはいつも、ハニーサックルばかりだ。
「ハニーサックルの蜜は、妖精たちのお気に入りなのに。どうしてくれるのよ、もう」
一輪二輪ならまだ我慢できる。良くはないけれど。
しかし、ウッドフェンスの一角がポッカリ空くほどはやりすぎである。
ここ最近は花の蜜が少なくなったせいか、お茶会に来る妖精たちの数が減り気味だ。
せっかく用意した妖精用の小さなティーセットが使われないのを見ると、悲しい気持ちになってくる。
そんなペリーウィンクルの脳裏にふと、先日聞いたうわさ話が過ぎった。
『虹色の髪の娘だがな、今度はニゲラを追いかけ回しているそうだぞ。手に入れたシナモンを早々に放って次の男とは、随分な尻軽のようだ。まさか、おまえはそんなことをしないだろうな?』
とは、なんだかんだうわさ好きなヴィアベルの言葉である。
次のターゲットはニゲラかとゲンナリするペリーウィンクルに、ヴィアベルはしつこく「違うよな⁈」と聞いてきたが、考え事に夢中になっている彼女は適当に答えたので、何と言ったのか覚えていない。
(そもそも、何人もの男を手玉に取るような暇はないっていうね。というか、ここ最近のヴィアベルは過保護なお父さんみたいになってきていない? 前はそんなことなかったのに。どうしたんだろう?)
とはいえ、その後もヴィアベルはうわさ話を語って聞かせてくれたから、ペリーウィンクルの答えに満足したのだろう。
彼曰く、リコリスはそこかしこで筋肉トレーニングに励むニゲラの前へ現れては、タオルと一緒に花を贈っているらしい。
『ニゲラらしくもない甘い匂いのする花を贈るものだから、彼の妖精が閉口していた』
ニゲラの妖精は、黒スグリに猫耳がついたような姿をしている。
近くを通ると独特のスパイシーな香りが漂う、ブラックペッパーの妖精だった。
話を聞いたとき、それなら甘いものは苦手だよねと納得したものだ。
甘い匂いのする花。
ニゲラが好むのは、夏らしい橙色や赤い色をした花だったはずだ。
導き出された答えに、ペリーウィンクルは「まさか」と声を漏らす。
「ヒロインが……?」
「ペリーウィンクルさん? ハサミなんて振り回して、どうなさったのですか?」
呟いた途端に声をかけられて、ペリーウィンクルは弾かれたように振り返った。
視線の先に、鮮やかな赤紫色の朝顔の刺繍が施されたドレスを認め、彼女はほっと胸を撫で下ろしながら安堵の表情で相手の名前を呼ぶ。
「セリ様」
「そんなお顔をなさって。大丈夫ですか?」
急いで駆け寄ってきてくれたセリは、シナモンとの猛特訓の甲斐もあって、ヴィヴァルディ語が喋れるようになっていた。
ローズマリー抜きで会話出来るようになったことに感動しつつ、ペリーウィンクルはフゥと憂いに満ちたため息を吐く。
「実は……ローズマリーお嬢様の箱庭から、花が盗まれたようでして」
「まぁ! 校則違反ではありませんか」
自分のことのように憤るセリに、ペリーウィンクルは「変わったな」と感想を抱いた。
以前だったら、オドオドするだけで、声に出して怒ることなんてなかった。なんでも自分が悪いんですというような顔をして悲劇のヒロインぶって──とそこまで考えて、やはりローズマリーの選択が正しかったのだと思う。
三日月夜の茶会以降、ただの幼なじみでしかなかったセリとシナモンは、恋人同士になったらしい。
恥ずかしげに「実は……」と報告してきてくれたセリを、ローズマリーと二人で祝ったのは先月のことである。
茶会で出したセントジョンズワートは、シナモンのための茶だった。
恋人だと思っていたリコリスに相手にされなくなり、疑心暗鬼になるあまりに不眠症を発症。
あの晩、早々に寝てしまったペリーウィンクルは知らなかったのだが、シナモンは茶を飲むなりセリの肩にもたれて眠ってしまったのだとか。
『あんまり無防備な顔で眠るものですから、裏切られたという気持ちもすっかりなくなってしまって。殿方をかわいいと思う日がくるなんて、思いもしませんでした』
そう言って笑うセリは聖母のようだったと、興奮気味に語るローズマリーは新鮮だったと思い出す。
セリと恋人になってからのシナモンは、以前にはなかった自信に満ち溢れていた。
以前の彼は、甘えっ子を演じることで自信のなさを覆い隠していたのだろう。
セリという恋人を得て、頼り頼られる関係になり、最近は男らしさに磨きがかかっている。
図書室で仲睦まじく勉強する二人の姿はたびたび目撃され、「やはり妖精王の茶会のうわさは本当だった」と信憑性が増しているようだ。
「ペリーウィンクルさん? どうかなさいました?」
感慨深く思っていたところで声をかけられ、ペリーウィンクルははたと我に返った。
「あ、ああ、ごめんなさい。ちょっと、考え事をしていました。この花なんですけど……実は、盗まれるのは今日がはじめてではないんです。もう何度も盗られていて……ローズマリーお嬢様からは気にしないようにと言われて今まで見ないフリをしてきましたが、そろそろ限界ですね」
「そうでしたの。ローズマリー様はきっと、大ごとにしたくなかったのでしょうね」
「はい……」
ただの花泥棒と侮るなかれ。
植物を愛する妖精の国である中央の国において、植物を盗むという行為は大罪である。
特に、中央の国で人間が育てた植物には特別な力が付加されるため、口酸っぱく言われるらしい。花を盗んではいけません、と。
ゲーム上ではただのシステムでしかなかったことにも、現実になってみればきちんと意味がある。
箱庭で育てた花を贈ると攻略キャラクターの好感度が上がるのは、その特別な力のおかげなのだ。
箱庭で育てられた植物は、大事にされればされた分だけ恩返しをしようとする。
その恩返しの方法というのが、植物を贈った人を好きになるように暗示をかけるというものなのだ。
その効果は、摘んだ人物に与えられる。
例えるならば、ペリーウィンクルが育てた花をローズマリーが切り、それをソレルへ贈った場合、ローズマリーがソレルに好かれるといった具合だ。
妖精魔法のような魅了の効果はないものの、ささやかなおまじない程度の効果はある。
数をこなせば、それなりの効果は得られるだろう。
そう、ニゲラのような女性に慣れていない筋肉馬鹿には、特に効果的なはずだ。
(ああ、嫌な予感しかしない〜〜)
ニゲラルートの悪役令嬢は、男装の麗人、サントリナ。
婚約者が男のような身なりをしているため、ニゲラは女性らしいヒロインに恋をしていく──と、そんな流れだったはずだ。
「もう黙っているわけにはいきませんわ。とりあえず、ローズマリー様にお話しましょう」
行きましょうと手を引くセリに、ペリーウィンクルは「行きたくない」という言葉を飲み込んで、渋々歩き出した。




