12 セントジョンズワートのお茶
真っ黒な夜空に、笑う猫の目のような三日月が浮かぶ。
今夜の星々は三日月に遠慮でもしているのか、瞬きが少ない。
そのせいでやけに三日月がポツンと孤立して見えて、幻想的とも不気味とも取れる不思議な空になっていた。
『半月後の三日月の夜、学校の南にあるガゼボへセリを連れておいで。月見と洒落込もうではないか』
ヴィアベルに言われるがままに茶会の用意をしてみたが、果たしてどうなるのだろうか。
暗いガゼボの中を照らすために置いたキャンドルに火を灯しながら、ペリーウィンクルは夜空を見上げた。
「月見のお茶会を開くくらいで、セリ様とシナモン様がどうにかなるなんて思えないのだけれど」
キャンドルの最後の一つに点火すると、あたりはほんのり明るくなっていた。
ポツポツと小さな明かりが照らすガゼボは、異世界に迷い込んだような非現実味がある。
「こういうロマンチックな場所でお茶をするのも、気分転換になる……のかなぁ?」
どうせだったら満月の夜に茶会をしてくれたら楽だったのにと愚痴りながら、ペリーウィンクルはお茶の準備に取り掛かった。
今宵の茶会で出すお茶は、ヴィアベルにリクエストされたセントジョンズワートだ。
セントジョンズワートは、暗く落ち込んだ心に明るさを取り戻すハーブだと言われている。
妖精の女王の誕生日である夏至の日に収穫すると、最も治癒力が強くなるらしい。
別名、サンシャインサプリメント。
前世では、抗うつ、消炎、鎮痛の作用があったとペリーウィンクルは記憶していた。
「セリ様のためかなぁ。わざわざ用意しろって言うくらいだから、きっと何か意味があるんだろうけど」
ローズマリーがセリを拾ってきてから、そろそろひと月がたとうとしている。
淡い初恋というものはなかなか厄介なもので、セリは未だ失恋から立ち直る様子が見受けられない。
遠目でもシナモンを見ようものなら、ローズマリーやペリーウィンクルの背にサッと隠れてしまうのだ。
ペリーウィンクルはセリよりも少しだけ背が高かったから、三人一緒にいることが多い放課後は、よく盾にされていた。
「まぁ、セリ様もセリ様でかわいいから役得ではあるんだけど……」
臆病な野生動物に懐かれたようで、なかなか悪くない気分だった。
しかし、逃げ込まれるたびにシナモンから発せられる、針先で刺すようなチクチクとした視線には困らされた。
まるで「僕の場所だったのに」と責めるような視線に、ほんの少し、ざまあみろとも思ってしまったのだが。
そのシナモンも、ローズマリーが言うには、様子がおかしいらしい。
今まで大事に守ってきた幼なじみを切り捨ててまでリコリスを選んだ彼は、さぞ愛に満ちた日々を送っているのだろうと思いきや。
なぜか、テディベアのように愛らしかった顔にくっきりと濃い隈を浮かべて、目に見えて憔悴していっているのだとか。
ローズマリーの背に隠れてしまうセリは気付いていないようだが、どうやらシナモンは彼女へ接触しようと試みているようだ。
今更になって後悔しているのか、それとも他に理由があるのか。
どちらにせよ油断ならないとローズマリーが怒っていたのは、つい先日のことである。
「でも、お嬢様はセリ様の初恋を応援すると決めたのでしょう? それならばどうして、二人が接触できないようにするのですか?」
セリとシナモンをくっつけると息巻いていたローズマリーだが、なぜか彼女は二人を裂くようなまねをしている。
シナモンが接触しようとしているなら、さっさとセリを差し出せば良いものを。
どうしてだと聞いたペリーウィンクルに、ローズマリーは言った。
「セリ様はまだ、失恋の傷が癒えていないのよ? 自分から捨てておいて、どうして近づいてくるのかしら。本当に、男の人ってデリカシーがないわ」
どうやら彼女は彼女なりに、初めての友人を大切にしているらしい。
もしかしたら、同じ悪役令嬢であるセリに、未来の自分を重ねているのかもしれない。
容赦なくシッシッとジェスチャーするローズマリーに、シナモンはションボリと肩を落として去っていく。
そんな光景を、何度見たことか。
怯えるセリを「大丈夫よ」と励まして抱きしめているのは、もしかしたら自分がそうなった時にどうしてもらいたいのかと考えた結果なのかもしれない。
そう思うと強く否定することもできず、ペリーウィンクルは見守ることしかできなかった。
ローズマリーの気持ちはなんとなくわかる。
だが、こちらを見るシナモンの目に、少しずつ鬱憤がたまっていくのを感じていたペリーウィンクルは、どうにかしなければと焦っていた。
このままでは、ローズマリーかセリ、どちらかに害が及ぶのではないか。
剣呑さを増して鋭くなっていく視線に、危機感を覚えた。
ヴィアベルから月見の茶会を提案されたのは、そんな時だった。
ローズマリーのダイエットに手を貸してくれた時のように、なんとかしてくれるんじゃないか。
そんな淡い期待を抱いて、ペリーウィンクルは今日の茶会を準備するに至る。
「ふむ。そろそろか」
いつの間に来ていたのか、人の姿をしたヴィアベルがのそりとペリーウィンクルの頭に顎を乗せてくる。
「うっ、重い……」
背伸びをして跳ね除けると、ヴィアベルは上機嫌でクスクスと笑い声を漏らした。
「相変わらず小さいな。頭を置くのにちょうど良い高さだが、キスをするには少々面倒だ」
「おやすみのキスはもう卒業しました」
「ああ、そうだな」
二人の会話を遮るように、ガゼボへ通じる道の向こうから、二人分の足音が聞こえてくる。
ペリーウィンクルは慌てて身だしなみを整えると、今夜の招待客を出迎えるためにガゼボの前へ立った。
一人目は、セリ。二人目はシナモンだ。どちらも気まずそうな顔をしてガゼボの前で立ち竦む。
そんな二人へ、ペリーウィンクルはいかにもできるメイドといった風情でニッコリと微笑みかけた。
「ようこそ、月見の茶会へ。どうぞ、おかけくださいませ」




