01 この世界は乙女ゲーム
「ふぁっ⁉︎」
貴族街へと続く坂道の途中に、薄紅色のわたあめが浮いている。
近づいてみてはじめて、それが空飛ぶわたあめではなく、花をつけた木なのだとわかった。
「サクラだ……」
薄紅色のわたあめのような木を見た瞬間、ペリーウィンクルの脳裏にさまざまな映像が流れる。
そして、彼女は理解した。
「あ、これって乙女ゲーだ」
恋の花をあなたへ。通称、コイバナ。
この世界は女性向け恋愛ゲーム、つまり乙女ゲームの世界だった。
舞台は、島国・ヴィヴァルディ。
その中には小さな国が五つ。春の国、夏の国、秋の国、冬の国、そして中央の国。
四季の国には人間が、中央の国には妖精が暮らしている。
春の国の田舎娘であるヒロインは、ひょんなことからひだまりの妖精──黄色の実にウサギ耳が生えたみたいな頭、多肉植物みたいなぷっくりとした体を持つ生き物──に気に入られて、契約を結んでしまう。
妖精との契約。
それは、妖精の頼みを聞く代わりに、契約者は頼みを聞いてもらえるようになるというものである。
ゆるキャラのようなかわいい見た目に騙されるが、妖精の力は人の手に余るものだ。
契約した妖精の力次第ではあるが、大昔には一国を消滅させたこともあるのだとか。
それ故に、妖精と契約した者は、中央の国にある妖精使い養成学校・スルスへ通うことが義務付けられている。
そこでヒロインは妖精使いになるための勉強をしつつ、同じ境遇のすてきな男性と出会い、恋に落ちるのだ。
箱庭系乙女ゲームと銘打ったコイバナは、メインパートと箱庭パートに分かれている。
メインパートではストーリーを楽しみ、箱庭パートでは与えられた小さな庭で草花を育て、育った草花を意中の相手へ贈り、好感度を上げる。
好感度が上がれば、ストーリーの糖度が上がる、というわけだ。
攻略キャラクターへ贈る花はもちろん、なんでも良いわけじゃない。
それぞれの好みに合わせて、そして高品質のものを育てないといけないのだ。
攻略キャラクターは皆、良家のお坊ちゃん。見る目は持っている、ということなのだろう。
うっかり低品質なものを渡してしまうと、ヒロインへの好感度が下がり、それぞれの攻略キャラクターに用意されているライバルキャラクターならぬ悪役令嬢の好感度が上がってしまう。
プレイヤーの中には、すべてのイベントを堪能するため、攻略キャラクターと悪役令嬢のスチル見たさに、わざと好感度を下げるガチ勢もいた。
さらに、庭をコーディネートして攻略キャラクター好みにすると、たまに遊びに来てくれるようになる。
そしてもっと仲良くなると、庭に飾るための可愛らしいインテリアをプレゼントしてくれたり、特別なイベントが発生したりする。
箱庭パートの三頭身のイケメンたちは、スチルとはまた違った趣があって、とてもかわいらしかった、とペリーウィンクルは回想を締めくくった。
「なるほどね」
流れ込んできた前世の記憶を、ペリーウィンクルはさして驚きもせずに受け入れた。
その顔がどこか満足げなのは、今世が彼女の希望通りのものだったからだろう。
『来世こそはゆとりのある生活を送りたい』
とは、前世の彼女の想いである。
前世の彼女は、いわゆる社畜というものだった。
朝早く起きて職場へ行き、くたくたになるまで仕事をして、夜遅くに帰宅する。
次第にぼんやりすることが増えてきて、めまいに襲われることもあった。
見かねた両親に退職を勧められたが、上司が怖すぎて申し出ることもできない。
そんな中、唯一の楽しみがスマートフォンで気軽に遊べるアプリゲームだった。
社畜である彼女には、まとまった自由な時間などない。通勤の時間や眠る前のわずかな時間を縫うように、イケメンと植物に癒やしを求めてコイバナをプレイしていた。
幸い、時間はないがお金だけはあったから、欲望のままに課金しまくった。
すてきなスチルに、耳に優しいイケボ。そして、目に優しいグリーン。
コイバナだけが、生きる糧だった。
『そこそこお金はあるし、田舎暮らしもいいかもなぁ』
都会生まれの都会育ち。
田舎がどんなものかテレビでしか見たことがないから、なかなか踏ん切りがつかなかったけれど、そろそろ重い腰をあげる時なのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えていたら、いつものめまいに襲われた。
視界が白く塗りつぶされていく。
意識が遠ざかる中、これは初めての救急車が体験できるかな、なんてのんきなことを考えた。
結局意識は戻らず、こうして生まれ変わってしまったらしい。
とはいえ、こうして前世の記憶が戻っても、前世に対する未練はないようだ。
田舎に生まれ、田舎で育ち、庭師の資格を得て、王都にあるとある男爵家の屋敷でゆったりガーデニング生活。
最後に願ったゆとりのある暮らしが、今世で叶ったからかもしれない。
今世での彼女の名前は、ペリーウィンクル。
青紫色の花を咲かせる、蔓性常緑低木と同じ名前だ。
昔から頭痛やめまい、物忘れに薬効があると考えられている植物で、春の国では『小さな魔法使いの草』と呼ばれ、秋の国では『不死の象徴』と呼ばれている。
人々の苦しみを和らげてきた歴史ある植物。そんなペリーウィンクルのような優しい女の子になりますように、と両親は願いを込めて贈ってくれた。
四季の国では、子どもに植物の名前をつけるのが一般的だ。
あらゆる妖精は、植物を愛する。
そんな彼らと契約するためのきっかけに、という理由かららしい。
少々長い名前ではあるけれど、ペリーウィンクルという名前を彼女は気に入っている。
仲が良い友人なんかは「ペリー」と呼んだりするけれど。
「ペリーウィンクルなんて名前、ゲームにはなかったよね。つまり、私はモブか」
なるほどなるほど、とペリーウィンクルは納得したように頷いた。
きっと前世で徳を積んだから、今世はまったりモブ生活でも送るが良いと神様は言っているに違いない。
(ありがとう、神様! よくがんばった、前世の私! そして、モブ生活バンザイ!)
道ゆく人に怪しまれるのも構わず、ペリーウィンクルは桜の木を拝んだ。と、その時である。
「クッキーがなければケーキを食べれば良いわ! さぁ早く、持ってきなさい!」
少女の金切り声が聞こえたかと思えば、今度は激しい水しぶきの音。そしてメイドと思しき女性たちの「お嬢様が池に落ちた!」という悲鳴。
ペリーウィンクルは走り出していた。
貴族の屋敷の柵を悠々飛び越え、持っていたトランクをその辺に投げ出し、慌てふためくメイドたちを押しのけて池に飛び込む。
膝ほどまでしか水位はないのに、誰も彼も少女を助けない。
ドレスが水を吸って重いのだろう。少女は起き上がれないらしく、バチャバチャともがいていた。
「大丈夫ですか?」
ペリーウィンクルが手を差し出すと、少女はすがるように腕にしがみついてきた。
だが、ぽっちゃりとした体形の彼女は、ペリーウィンクルが引き上げるには重すぎる。
支えきれず、二人は抱き合うように池へ倒れ込んだ。
(どうりで、誰も助けないわけだ)
丸々太った子ブタのような彼女は、ペリーウィンクルの腕の中で震えている。
「そんな……わ、わたくしが悪役令嬢だなんて……」
彼女はそれだけ言い残して意識を失い、ペリーウィンクルの胸に飛び込んできた。