第5話:冒険者
燦燦と輝き、大地を赤く照らす太陽が沈み、乾いた大地に夜の帳がおりる頃。
アストルコの広場ではいくつもの煌々と焚かれた篝火のもと、人々の笑い声が辺りに響き渡っていた。
篝火の中央には昼間に戦士達によって駆られたシパクトリが並べられ、それらは順々に皮を剥がされ、肉を切り取られていく。
解体されたシパクトリの肉は広場に持ち寄られた土鍋で調理され、辺りにえも言えぬ臭いを漂わせる。
昼間の狩りで多くのシパクトリが狩られたため、その肉を腐らすのも勿体ないということで、急遽として民の間で大規模な宴が開かれたのだ。
しかし皆が笑い合い、ある者は煙草に火を点け、ある者は溺れるように酒を飲む中、険しい表情を浮かべた男が早足で人々の合間をくぐり抜けていた。
「全く……我が妹ながら危ない真似を……イツァストル!どこだ!」
「おっ、王様!?王様も宴ですか?」
宴に似合わぬ厳しい顔で声を上げる男は国王、アカテカトルだ。
どうやら妹であるイツァストルを探しているらしく、王を見つけた民の声に、はあと疲れたような溜息を吐きながら答える。
「馬鹿を言うな、全く……イツァストルを知らぬか?どこを探しても見つからぬのだ」
「私は見かけておりませぬな……小言を察してどこかに隠れてしまったのでは?」
「有り得そうですなあ、であれば、名を呼んだところで自分から出てはこないかと」
と、民の声を聞くと、アカテカトルはやはりかと天を仰ぎ、手で顔を覆う。
「はあ……王族とはいえ妹がまさかシパクトリ退治の指揮を執ることになるとは……全く……万が一のことがあったらどうするつもりだったのか……」
「まあまあ、王様、姫様も民を思ってのことですし、何より我らも姫様の元で戦えるのは嬉しくありましたぞ!」
「うむ、中身はともかく見目麗しい巫女姫様にあの澄んだ声で激を飛ばされるのは悪くありませぬ」
口々にイツァストルを持ち上げる民だったが、しかし、アカテカトルは納得がいかぬというように憮然とした表情でその声を聞いている。
「そなたらがそう言ってくれるのは有難い、しかしなあ……兄としては妹に危険な真似をしてほしくはあるまい」
「まあ気持ちはわからんでもありませんが……」
「しかしながら我らアストルコの民は勇敢なる戦士でもありますぞ。その民の上に立つ姫を過保護に育てすぎるのもどうかと」
「わかってはいる……わかってはいるのだがなあ……」
はあ、と、一際大きな溜息を突いたアカテカトルだったが、民に窘められるうち、仕方あるまいとイツァストルを探すことを諦めると、どかっとその場に腰を降ろし、人々と共に酒を胃に流し込むのであった。
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宴の喧騒がかすかに届く街の外れ、ゆらゆらと優しく灯るランプの灯を頼りに、エルナンド・オリバは手に持った本に筆を走らせていた。
「今日は色々あったな……竜種シパクトリに身体強化の呪術……と、宴の様子も見てきたいところだけど……」
先にこちらかな、と、筆を止めると、傍らに置かれていた火縄銃へと手を伸ばし、カチャカチャと音を立てて部品を取り外し、丁寧に布で煤を拭っていく。
エルナンドの持つそれは、こちらの世界で言うサーペンタイン・ロック式の火縄銃だ。まだ引き金はついておらず、銃身に取り付けられたS字型の金具の先に火縄が取り付けてある。発射の際にはその金具を引き、火口に火縄を落とすことで発射する。
極めて原始的な初期の銃だが、それでもエルナンドにとっては精巧で芸術的な素晴らしい武器だった。
「久しぶりに使うからどうかなと思ったけど、壊れてなくて良かった……壊れてたら万が一の時に困るものな……」
「万が一の時、な、今日みたいな日か」
ブツブツと独り言を呟きながら銃の手入れをするエルナンドの背後から、鈴の音のように澄んだ声が響いた。
驚いて後ろを振り向いたエルナンドの前に立っていたのは、美しく煌めく銀髪をなびかせ、月明かりの元に妖しく、しかし堂々と佇む女性だった。
「これは……王女様……!?どうして一人でこんなところに……」
「ああ、エルナンド……実はお前に……そう、特別に話があるんだ」
イツァストルは月に照らされ、輝く銀髪をさらりと掻き分けると、にこりと愛らしい笑みを受けべながら膝を突き、困惑するエルナンドに顔を近づける。
「ちょっ……お……皇女様……!?ち……近いのでは……!?」
突如としてほのかに漂う女性の香りと、妖しい雰囲気に、エルナンドは慌てて銃を脇に置き、イツァストルを遠ざけるべく両手を前に出す。
が、イツァストルは優しく微笑みながら、その突き出した手を握り返す。
驚いたのはエルナンドだ。一国の王女が異国の旅人である自分の手を握り、美しく愛らしい笑みを自分に向けてくれている。
自分の手には少女の細く、柔らかい手の感触がこれでもかというほど伝わり、耳にはイツァストルがわずかに発する吐息の音が響き渡る。
まさか、と、甘い期待に胸を躍らせるエルナンドが息を呑むと、イツァストルはくすりと笑い、そのままエルナンドに体重をかけ、そして、エルナンドの体は大地の上にごろんと押し倒される。
「お……王女様、その……わ、私は…………っ!?」
はっと我に返ったエルナンドが流石にこの状況はマズいのではと思考を巡らせ、起き上がろうとした時、異変に気付いた。
――体が動かせない。
力は入れているのだが、それ以上の力で上から押さえつけられている。抵抗しようにもせいぜい脚をばたつかせてもがく程度で、腕が全く動かせない。
エルナンドが状況を理解し、しまったと思うが早いか、イツァストルの右手がエルナンドの手を離れ、代わりに足で腕を押さえつけられる。
「うっ……ぐ……この力強さは……」
「戦神の呪術だよ、昼間に見ただろ、さて……」
先程の愛らしい笑みとは打って変わり、イツァストルがその金色の瞳をぎらりと輝かせ、エルナンドを睨みつけると、右手を腰に回し、腰紐に下げていた黒曜石のナイフを取り出す。
石器とはいえ、鋭利に削られたその刃先で肉体を突かれればどうなるかは想像に難くない。
イツァストルは流れるような動きでそのナイフをエルナンドの首元に押しやると、鋭く冷える刀身が肌にわずかに触れ、エルナンドの全身が恐怖にすくむ。
「っ……!」
「騒ぐなよ、騒いだら殺す。大人しく、正直に俺の質問に答えろ、いいな」
恐怖で思わずヒッと短い悲鳴をあげるエルナンドに、イツァストルは念押しをするように淡々と告げると、エルナンドが刃に当たらないようにわずかに頷く。
それを確認したイツァストルも頷くと、美しく透き通った――しかし恐ろしく冷ややかな声で、問いかけた。
「――お前は、何者だ?」
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エルナンド・オリバはアストルコより遥か北東にある大陸に位置する大国――サン・ティグレ王国の貴族の六男として生まれた。
貴族の家に生まれたが故、何一つ不自由なく成長はしたものの、同時に六男として生まれたが故に、親にも親族にも特に期待されず、まるで空気のように扱われていた。
生まれた時からそのように扱われ、何も言わず、何も求めず、空っぽの毎日を過ごしていたエルナンド少年だったが、そんな彼がある日、家の倉庫で見つけた書物が彼の人生を変える。
それは、荒唐無稽な御伽噺だった。
神の血を引く王国の王子が老夫婦に拾われ、修行を重ねて立派な勇者として成長し、旅の中で数々の仲間と出会い、敵を打ち倒し、そして最後は英雄になり、国を導く王として末永く平穏に暮らしたという。
そんなよくある、子供騙しな英雄譚は、しかし、空虚であった子供の心を満たし、英雄への憧れを心底に抱かせるには十分だった。
それから過去の歴史の英雄伝説や叙事詩や神話、果ては民話に至るまで調べ、読み込んでいくうち、エルナンドは一つの夢に心を燃やすようになっていく。
冒険者になりたい。
まだ誰も見たことのない未開の地へ赴き、仲間と出会い、果ては竜まで倒す叙事詩の英雄。エルナンドはそういうものになりたかった。
夢に燃えるエルナンドは冒険者ギルドに登録し、各地で依頼をこなしはしたものの、そこにあったものはエルナンドの理想とは全く違う冒険者の姿だった。
冒険者とは名ばかりで、大半の冒険者は夢も希望も憧れも何も持たず、その日限りの金の為に依頼をこなし、そこかしこで暴れ回り、酒場で駄弁り、力を盾に依頼者を強請る盗賊まがいの荒くれでしかなかったのだ。
そうしてサン・ティグレの冒険者達に絶望したエルナンドだったが、夢はまだ捨ててはいなかった。
いつか、ここではないどこか、かつて見た英雄譚のように未知の地へと漕ぎ出すのだと、父の仕事の手伝いをしながら待ち続けていたエルナンドの元に、ある時、一つの報せが届く。
『遥かなる海の彼方、まだ見ぬ大地への航路開拓、栄誉と希望を求めし人々よ、来たれ』
サン・ティグレの遥か西方に別の大地があるのではないか、という伝説は昔からまことしやかに囁かれていた。
あるいは――これも荒唐無稽な話だが、この地上は球体であり、ひたすら西に船を進めれば大陸の東の果てに着くのでは、とも。
どちらにせよ、途方もなく予算がかかり、かつ、危険極まりない冒険の誘いだ。最も、国はそれ故に家から予算を引き出すことが出来、かつ帰還しなくとも然程問題の無い貴族の四男以降の穀潰しに募集をかけたのだが。
国の思惑を知ってか知らずか、エルナンドはこの冒険の報せに飛びついた。必ずこの航海で仲間達と共に未知の大地を見つけ、栄えある冒険譚を書き記すのだと。
未知への憧れに目を輝かせながら。
そうして憧れに輝いていたエルナンドの目には今、月明かりに照らされ、獰猛に、冷たく煌めく金色の瞳が映し出されていた。
先程までの浮かれた気分が一気に凍てつき、ピリピリとした空気が肌を刺す。
今日の昼間に出会った、蛮族の国の王女。
いかにもお転婆娘といった様子で、好奇心が強く、悪戯っぽく笑う少女。
年若く、美しく、民に優しく触れ合うが故に偶像として民に好かれるだけの娘。
興味深くはあったが、エルナンドが彼女に抱いた印象はそれだけだ。
その彼女が今、恐るべき力でエルナンドの体を押さえつけ、首元に鋭いナイフを突きつけている。
エルナンドはこの恐るべき状況に、冷や汗を垂らし、ごくりと生唾を呑みこみながら、質問の意味を考える。
『私は何者か――』
単純ながら、恐ろしい質問だ。
もしエルナンドの答えがイツァストル、いや、アストルコに害のある者だということを示せば、すぐさま首に刃を突き立てられるであろうことがひしひしと伝わる。
かといって下手な嘘を突いたところで同様だろう。
エルナンドには目の前でじっと自分を見つめる少女の曇りなき瞳の前に嘘が通用するとは到底思えなかった。
ならば、答えは一つしか無いではないか。と、エルナンドが意を決して話し出す。
「……私の名はエルナンド・オリバ、遥か北東の大陸、サン・ティグレ王国の貴族の子です」
自分の生い立ちからこの大陸に来た理由まで、事細かに、淡々と愚直に話し続ける。
エルナンドは貴族として生まれたが故か、あるいは生来の生真面目さか、子供っぽさ故か、嘘を突くのが苦手だった。
事ここに至っては自分の全てを洗いざらいぶちまける。
そうしてどうするかは――目の前の少女に任せよう。
そう腹をくくって語るエルナンドの話に、首元に突きつけられたナイフはそのままながら、イツァストルの表情が少しずつ変わっていく。
最初は真剣に、鋭い目つきでエルナンドを睨みつけていたのが、冒険者のくだりで少し興味深げに身を乗り出し、そこから新航路の募集の話で納得がいったような表情をしたものの、エルナンドがこの大陸に辿り着くまで――そこまでの話を聞く頃には、ううんと唸り声を上げながら、何とも言えず渋い表情で話を聞いていた。
「……というのが、私がこの大陸に辿り着いた顛末です。あの、王女様……納得いただけました……?」
エルナンドがそこまで語り終え、恐る恐るイツァストルの顔色を窺うと、イツァストルは相変わらず、うう~ん、と唸り、何かを考えるように首を捻ると、口を開いた。
「正直めちゃくちゃ納得いかねえ……けど……しっくりは来るんだよなあ……」
と、イツァストルはどこか腑に落ちない顔ながらも、はあーっと一つ大きく息を吐きだし、ナイフを持っていない左手で髪を掻き上げた。
どうやら緊張していたのはイツァストルも同様だったようだ。
どこか和らいだ場の雰囲気に、エルナンドもほっと息をつき、問いかける。
「納得いかない……とは?」
「あのな、俺は正直お前が軍人か海賊か、良くても商人か何かだと思ってた。それがただの夢見がちで冒険馬鹿の貴族の坊ちゃんってお前……そんなんいてたまるか馬鹿!ってなるだろ!」
イツァストルは空を見上げて呆れたように答えた。なるほど、エルナンドのような純粋無垢な存在が来ることは予想外だったに違いない。
エルナンドは続けざまにもう一つの問いを投げかける。
「では、もう一つの……しっくり来る、というのは?」
「お前が命知らずの冒険馬鹿だって考えた方が全部しっくり収まるってことだよ」
チッと、その愛らしい表情からは想像がつかないような舌打ちを響かせながら、ポカンとした表情を浮かべるエルナンドに向かって、イツァストルが語りはじめる。
「いいか、お前が商人だったとしたら何かと爪が甘すぎるんだよ。商人ってのは稼げる相手からは何でも搾り取るし抜け目がない、海を越えてはるばる未知の国まで来るような奴なら猶更だ。こっちの土地には無いものをすぐに見抜いて売り込むだろうし、逆にこっちの土地にしか無いもんをしこたま持って帰ろうとするだろうさ」
なるほど、と、エルナンドが頷く。
確かにエルナンドはアストルコの民と話しはしたものの、それで商売をしようなどとは考えていなかった。
「んでもう一つの方、お前が軍人なり海賊なりだとしたら、一人で略奪先の様子を探りに来た斥候だ。だけど、仮にそうだったとしたら……俺の前でそれをぶっ放したりしない」
イツァストルはそう言いながら、エルナンドの傍らに転がる火縄銃に目をやる。
この火縄銃は出航の際にエルナンドが大枚をはたいて手に入れた物だ。
出航の少し前にサン・ティグレでこの銃が開発され、好奇心旺盛なエルナンドは我先にと飛びつき、護身用にと旅に持ってきていた。
しかし……軍人ならばこの銃を使わないとは一体?軍人ならばむしろ新兵器はこぞって使いそうなものだが……と、疑問を口にすると、イツァストルはまた呆れたようにエルナンドを見下げて答える。
「お前なあ……いいか、この武器は言うなれば初見殺しだ。何も知らないで突っ込んで来た奴の前にこれを構えて、指先をちょっと引く、それだけで頭に穴が開いて、どんな猛者だろうと一瞬で死ぬ。そういう武器だろ?」
そう言いながらイツァストルは左手で自分の額をトントンと指差しながら続ける。
「けどそれはこの武器のことを知らない相手だからだ、武器の仕組みを知られたら効果は激減する。それを獲物の……ましてやそこの王女様の前で見せる間抜けな斥候がいると思うか?」
「なるほど、いないでしょうね」
「だから腹立つんだよ馬鹿!お前!」
なるほどなあ、と合点がいったように頷くエルナンドにそう怒鳴ると、イツァストルはパチーンと軽快な音を響かせエルナンドの横っ面をひっぱたいた。
それで満足したのだろうか、イツァストルはフンと鼻息を鳴らすと、そのまま首に突き付けたナイフを腰に戻し、エルナンドの腕から足をどけて立ち上がる。
ようやく解放されたエルナンドも手の形に赤く腫れた頬をさすりながら、上半身を持ち上げると、そんなエルナンドを見下ろしながらイツァストルが続けた。
「最悪、すっとぼけてるだけの間抜けな斥候だったとしても、ここまで来て実家が貴族だとか昔読んだ御伽噺だとかの話はしねえよ、ったく、何か企みがあって銃ぶっ放したとばっかり思ってたのによ……」
「はは、すいません、ただの夢見がちな冒険馬鹿で」
「本当だよ全く、バカ、畜生、バーカ」
憮然とした表情でぶつくさ言うイツァストルを見上げながら、エルナンドも軽く笑って返す。
子供らしく軽い悪態はついているものの、どうやらエルナンド自身の疑いは晴れたらしい。
辺りにはまたどこか長閑な、ゆったりとした雰囲気が漂いだした。
こうして安心した空間で眺めるとイツァストルの先程の恐ろしく凍てついた表情が嘘のようだ。
頬を膨らませて怒る姿に愛らしさすら感じる。
場にほっこりとした優しい空気が流れる中、そうそう、と、何かを思い出したかのようにイツァストルがまたエルナンドに顔を向ける。
「お前の疑いは晴れたとこで、もう一つ聞きたいことあったんだよな、いいか?」
「構いませんよ、王女様、なんです?」
今度は凍てついた鋭い眼光ではなく、好奇心旺盛な目で問いかけるイツァストルにエルナンドも微笑を浮かべて返す。
はて、一体何が聞きたいのだろうか、母国サン・ティグレのことか、エルナンドの読んだ英雄譚のことか、あるいは広大な海に対する好奇心か――そう思いを巡らせるエルナンドの耳にイツァストルの問いが響く。
「――お前、こっちに来てから何人殺した?」
空気が、再び凍り付いた。