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第2話:黒曜石の鷺

 雲一つ無い青空の下、カラカラと乾いた風が、少女の髪を撫でる。

 褐色の肌に銀髪の輝く少女――イツァストルはピラミッド状にそびえ立つ神殿の最上部に座り込み、眼下に広がる石造りの街と、働く人々、そしてどこまでも広がる湖を眺めていた。

 雄大に在り続けるその湖は太陽の光を受けてきらきらと輝き、うっすらと見える対岸の彼方には鬱蒼とした森林が佇んでいる。

 森林から湖岸に沿って目をやると、徐々に木がまばらになってゆき、こちら側の岸には森とは真逆の印象を見せる乾いた荒野が広がっていた。

 木はまばらに生える程度で、ぽつぽつとサボテンが立ち並ぶ中、荒野を超えた先にそびえる山麓からは、蛇のようにうねる川が徐々にこちらへ近づき、湖へと注いでいた。

 そして、流れる川と湖の間にすっぽりと収まるように、多くの建物が立ち並び、その中央に壮大なピラミッド状の神殿が建っている。


 少女、イツァストルが視線を落とすと、神殿から見える人々は簡素な服で最低限の部分を隠すのみで、その日に焼けた褐色の肌の大部分を露出させている。

 立ち並ぶ家々は石を組んだだけの簡素な作りのものであり、訓練をしているのだろうか、兵士と思われる男達が振り回している槍の穂先は黒曜石を削った物である。

 そのような極めて原始的な暮らしながらも、人々は笑い合いながら、ゆったりと葦の葉を編んだり、魚を獲ったりと、自身の仕事をこなしている。


 湖畔に栄え、人々が素朴ながらも平和な営みを続けるこの都市の名はアストルコ。


 そんな都市で暮らす人々を見下ろしながら、少女、イツァストルはぽつりと呟く。


「事故で死んで剣と魔法の中世異世界に転生っても……」


 はあ、と一つ大きな溜息を吐き出すと、イツァストルは神殿の固い床にごろんと寝転び、頭の中に刻まれる前世の記憶を思い返す。

 イツァストルには前世の記憶――即ち、日本の詐欺師……もといサラリーマン、鳥居佐助であった頃の記憶が刻まれていた。


「普通こういうのってもっと剣と魔法のファンタジーな世界に転生するもんじゃねえかな~!」


 そう、大きな独り言を声に出したイツァストルは、寝転んだまま、ちらりと神殿の最上段に佇む人型の石像に目をやる。

 何かを掬うかのように手を差し出したその石像の掌には、滴る血が注がれ、赤黒い臓物が置かれていた。

 よく目を凝らせば、それが人間の心臓であることに気付くだろう。

 即ち、前日の儀式で生贄となった戦士、オセロトルの血と心臓である。

 戦士の心臓を手に持つ神の像を見たイツァストルは、前日のことを思い出し、うっぷと胸に何かが上がってくるのを感じると、青く晴れ渡る空に視線を戻し、また一つ大きく息を吐いた。


「これだけは何回やっても慣れないんだよなあ……」


 サラリーマン鳥居佐助が少女イツァストルとして生まれ変わったこの都市、アストルコでは生贄が日常的に行われている。

 それは神に祈る為の儀式であり、文化であり、また、アストルコに暮らす人々にとっての日常である。

 最も、普通の民であれば儀式を間近で見たり、直接関わったりという機会もそうあるわけでは無いのだが、何の因果か、少女イツァストルは、この都市、アストルコの王家の娘として生まれてしまった。

 アストルコでは王家は神の血を引く特別な血統だと考えられており、生まれた男は王の跡継ぎ、あるいは副王や将軍などの要職に、そして女は神の声を聴き、生贄の儀式を取り仕切る巫女として扱われる。

 つまり、どれだけ日本人的な感覚が生贄に忌避感を覚えようが、イツァトル自身が生贄の儀式を見届けるしかないのだ。


「せめて男に生まれてれば別の仕事で出世も出来たんだろうけどな」


 再び大きな溜息を吐き出しながら、イツァストルは自身の胸に手をやり、柔肌をふにふにと弄る。

 そこには男のそれとは違い、一目でそれとわかる程度の大きさに成長した胸があった。

 前世が男性だった身からすると、時を重ねるごとに自身の体に如実に表れる女性的な特徴は少し複雑である。

 前世で主婦をカモっていた罰が当たったのではないだろうか。

 そんなことを考えながらぼんやり胸を揉んでいたイツァストルの耳に、突如として頭上から怒声が轟いた。


「姫様ァ!こんなところで何してんすか!!」


「うわっ!びっくりした!」


 油断していたのもあり、その声量に驚いたイツァストルが飛び起きると、声のした方へと振り返る。

 目の前に立っていたのはイツァストルと同じ年頃だろうか、若々しく筋肉質な肉体を持ち、猛々しい表情をしている少年であった。


「なんだシウか」


 そんな少年を一瞥すると、どこか力の抜けた声で答えるイツァストルだったが、シウと呼ばれた少年の方は先程よりも更に力の入った声を出す。


「なんだじゃないすよ!姫様の側近にして最強の護衛!この勇者シウを差し置いてどこで遊んでるんすか!!」


「いや、うっせぇ、もうちょい静かに喋れ」


 叫ぶような大声を上げるシウを前にイツァストルは呆れたように溜息をつき、言葉を返す。

 この少年、シウはイツァストルと同じ日に生まれた将軍家の子だ。

 出自もあって幼少期から一緒に育てられることが多く、つい最近成人してからはイツァストルの護衛を務めるようになった。

 要するに気心の知れた幼馴染であれば姫の護衛として安心だろう、ということで周りの大人が与えた役職だったのだが、シウはその役目を周囲の予想以上に重く受け取り、熱心に職務に取り込んでいた。


「根が真面目すぎるんだよなあ、もうちょいダラッと生きりゃあ良いのに」


「そうは言っても、俺が目を離した間に姫様に何かあったら一大事っすからね!俺は姫様をいつでも見守る覚悟っすよ!」


「いや逆に怖ぇんだけど……」


 イツァストルが『ストーカーされる女子ってこんな気分だったのかな』などと思い、どうシウを追い返すかを考えていると、そこにまた別の男の声が優しく響く。


「はは、すまないな、イツァストル、私も可愛い妹を探していたのでね、折角なのでシウにも手伝ってもらったのだ」


「げっ……兄さん!?」


 見るとそこに立っていたのはイツァストル達よりも少し年上、年齢は20代半ば頃だろうか、褐色の肌に白く輝くきめ細やかな布を身に纏い、首から下げた金の首飾りは日の光を受けて明るく煌めいている。

 一目で高貴な者だと分かるその立ち姿に、柔和な表情を浮かべて語り掛ける男はイツァストルの兄――即ちこの国、アストルコの現国王、アカテカトルである。


「王様がこんなとこに何の用だよ……」


「ははは、神の血を引く王だからこそ、神殿に来ても何ら不自然なことはあるまい」


 ぶっきらぼうに話しかける妹に対し、兄王アカテカトルは笑顔を浮かべ話を返すと、イツァストルの隣にどかっと腰を下ろす。


「戦士オセロトルは見事な男だった……彼の魂はきっと神々の戦士として救われることだろう」


 先程までイツァストルが見ていた神像を見やると、アカテカトルは少しの間、祈るように眼を閉じたが、すぐさまイツァストルの方に向き直り、口を開く。


「イツァストルは生贄が嫌いかな?」


「……まさか、俺は巫女様ですよ、なあ王様?」


 神を信じ、生贄を捧げる国の巫女姫である自分が生贄を嫌っている――などと、その国の王に面と向かって言えるものでもない。

 イツァストルが茶化して問いに答えると、アカテカトルはまた、はははと笑って口を開いた。


「なあに、今更隠すものでもあるまい、実を言うと我らはお前が最初に生贄の儀式を執り行った日、儀式の後でゲーゲー吐くのを見ていたしな」


「ウス!姫様が隠れて湖にゲロするのは俺もしっかり見てました!」


「それ以降も儀式の翌日は必ず体調を崩してダラダラしていたしなぁ」


「いやっ、ちょっ……それわざわざ俺の前で言う必要あるかなぁ!?」


 からかうように笑いながら衝撃的な事実を述べる王とシウにツッコミを入れると、イツァストルは観念したとばかしに話を返した。


「ったく、嫌いっていうかまあ……そりゃ単に血とか内臓が苦手ってのもあるけど……」


「あるけど?」


「――もったいない、って思っちまうんだよな」


 イツァストルが生贄に抱いているのは複雑な気持ちである。

 日本人だった頃の感覚であれば、問答無用で嫌なものだと断じることが出来るのだが、この世界で15年過ごした以上はそう簡単にはいかない。

 生贄は神聖な行為であり、人々が求める文化でもあり、生贄として捧げられる本人からすると名誉であり、誇りであり、喜びでさえある。

 少なくとも、この国に暮らす人々は心底からそう信じているのだ。

 もちろん、元日本人として、人々のその感覚には違和感を覚えるし、生贄という行為自体はやすやすと受け入れられるものではないのだが――

 かといって、それを信じる人々の前で、異邦の立場から生贄を悪だと断じるのはこのアストルコの文明、更に言えばこの大地に生きる人々への侮辱である。

 ましてや王族とはいえ、ただ一人の姫の我儘でそれまでの歴史を積み重ねてきた文化を止められるものではない。

 それに、生贄文化を受け入れづらい一方で、イツァストルはこの国と、この国に暮らす人々のこと自体は決して嫌いではなかった。

 スマホもネットもテレビも無く、素朴で原始的で、しかし、だからこそ日々がゆったりと流れていくこの時間は生前にこそ望んだ日常でもあったからだ。

 だからこそ、生贄として、この世界に生きる素朴な人々の命が消えていくというのを『もったいない』と感じてしまうのだろう。


「もったいない、か、面白いな」


 兄王アカテカトルは、イツァストルの言葉にどこか得心のいったように顎に手を当て、呟いた。

 一方、シウの方はいまいち感覚が分からないようで、頭に?を浮かべながら問いかける。


「俺にはよく分かんないんすが……生贄として神の下へと行けることは戦士の誉れじゃないんすか?なら死んでもよくないすか?」


「言い伝えだとそうだけどさあ……」


「そっすよね!俺の爺ちゃんも戦士は生贄になるか戦で死ぬかしないと神の下へ行けないっつってましたもん!!」


 イツァストルが気の無い返事をすると、シウは熱い目を向けて続ける。

 一人の戦士としての高みを目指しているシウとしては、どこか現代的な目で宗教を見ているイツァストルや、王であるアカテカトルと比べて神の加護というものに熱心なのだろう。

 ましてや生贄に捧げられるのは先日のオセロトルの如く、勇敢な戦士である場合が多い。

 神々が求めるのは強靭な勇者の心臓である、という神話が伝わっており、戦士は自身の心臓を神に捧げることで、死後に神の戦士となり天上に昇れると信じられているからだ。


「神を語る古老とて、自ら冥府へ降ったことがあるわけでもあるまい、それはあくまで言い伝えだ……が……」


 ヒートアップするシウを手で制すると、アカテカトルは腰を上げる。


「さりとて、急に生贄をやめてしまう、というわけにもいかんな。それでは民も戸惑い、神も怒ろうというものだ」


「まあ……そうだよな」


「うむ、それにやはり私自身の思いとしても、先祖よりの言い伝えを無下にはできぬ」


 アカテカトルは立ち上がってそう言うと、申し訳なさそうにイツァストルを見下ろし、すまんなと一つ呟いた。

 イツァストルも兄のその言葉を聞くと、かえって迷惑をかけてしまったな、と、少しばつが悪い様子で言葉を返す。


「いいさ別に、自分が嫌だからって王様に無茶させて頼むほど我儘な妹じゃねえよ」


「ははは、我儘を通して未だに婚姻する気の一つもない妹が言うではないか」


「いやっ!それはまた、別っていうか、なんつーか……」


 イツァストルは現代日本ならばともかく、この国ではとうに結婚の出来る年齢である。ましてや王家の女だ。

 本来なら同盟国とでも重臣の男とでも結婚して子を作っておくにこしたことはないのだが――流石に元男としてそれは抵抗が大きく、話が出そうになる度にダラダラと引き伸ばしていた。

 いやだって、男に抱かれるとか……実質……でも今は女だし、覚悟決めなきゃいけないのか……?などと、唸りながら真面目に考え込むイツァストルだったが、その姿を見たアカテカトルの軽く漏らした笑い声に、現実に引き戻される。

 兄にからかわれたことに気付いたイツァストルが髪をかきあげて悔しがると、兄王アカテカトルは、はあと一つ息を突き、落ち着いた声でまた話し出す。


「ふふ、やはり良いな、普段ぶっきらぼうな妹の悔しがる顔を見るのは気持ちが良いものだ」


「その趣味、兄としてどうかと思うんだけど……」


「いやいや、これでも本気で可愛い妹の様子を心配して見に来たのだぞ?かえって感謝してもらいたいものだ」


「それは……まあ、ありがとう……」


 心配して見に来た、というのは本心なのだろう。

 その言葉にイツァストルも少し照れながら感謝を返すと、兄王アカテカトルはまた明るく、優しい笑顔を向け、イツァストルに背を向けて神殿の階段を降りていく。


「さて、と、そんじゃ俺もそろそろ戻るとするか」


 イツァストルもそう呟き、重い腰を上げると、またちらりと神像に目をやる。

 実のところ、アカテカトルが懸念していた通り、昨日の生贄の儀式によっていささか体調を崩していたのだが、話しているうちにだいぶ楽になってきていたらしい。

 今はすっきりとした気分で、アストルコに吹く乾いた風を大きく吸い込むと、そのままふうっと息を吐く。


――ここは良い国だ。


 中世ヨーロッパ風の異世界ではなく、ファンタジーめいた勇者も魔王もおらず、生贄はやっぱりまだ苦手だが、それでもこのアストルコの風は決して悪いものではない。

 神を信じ、明るく日々を生きる民。

 少し頭が固いところはあるものの、国と民を愛し、妹を愛する優しい王。

 そしてゆったりと、穏やかに流れる、満ち足りた時間。

 それはイツァストルが望んでいたものであり、心地良い平和な暮らしそのものであった。


 そうして新たな生で得た穏やかな毎日が続くことを信じ、イツァストルは神殿を下る。


 その平和な日々がいつまでも続くものではないとも知らずに。


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