表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

子別れ奇譚

作者: もえむ

※奇譚=不思議な物語

 ある朝、両親がこう言った。


「俺たち」 「私たち」

「別々に暮らすことにしたから」


 その瞬間、ぼくを包む世界が足元から崩れ去った。

 何をどうしたら突然そんな事になるんだろう?

 これが子どもには分からない大人の事情ってヤツなんだろうか。

 それは子どもにとって迷惑でしかないのに・・・


 ぼくは父さんが好きだ。母さんのことも大好きだ。

 両親だって仲が良かったハズなのに、どうして離れて暮らすことになるのか、ぼくには全く理解できない。

 子どものぼくが一人で暮らしていくなんて到底できる訳がない。

 そうすると、どちらかを“選ぶ”という事になるのだけれど、そんな事も出来ないし、したくはない。

 ぼくは自分の部屋の片隅に座りこんで、石のように動けなくなってしまった。


『お前は本当にそれでいいのか?』


 声が・・・聞こえた。ぼくの頭の中で。ぼくは目を閉じてみる。

『いいのか?・・・って、そんな訳ないじゃないか。ぼくは家族が離れてしまうなんてイヤなんだから。』


「じゃあ、何とかやってみるしかねぇだろ。」


 頭の中に響いていた声が、今度はぼくの正面から聞こえてきた。

 ぼくは驚いて目を開いた。目の前に映ったのは・・・


 まぎれもなく“僕”だった。


 顔ならいつも鏡で見ているんだ。見間違えるハズない。目の前に僕が立っている。

 ただ、目の前の僕は、ぼくとは少しだけ違うような気がする。いつもオロオロとしているぼくとは違い、凛としているような・・・

 しかしながら、ぼくという人間はこの世に一人しか存在しないハズなんだ。


 これは一体・・・?


「やってみるって・・・ぼくに出来ることなんて何もないよ。」

「じゃあ、諦められるのか?」

「それは・・・急には無理だよ。ずっと先に諦められるのかも分からないけど。」

「なら今、自分に出来ることを考えないのか?」

「子どものぼくに何ができるっていうのさ?」

「“子どもだからできない”じゃなくて“子どもだからできること”を探すんだ。」

「それって何なの?」

「それをこれから考えるんだよ。とにかく来いよ。」

 そう言うと、僕が部屋を飛び出した。

 部屋を出るのはマズイだろ!?ぼくが二人もいたら父さんも母さんもビックリするに決まってる。ぼくだってどう説明すればいいのか分からないじゃないか。

 止めようとした時にはもう遅かった。僕とぼくはリビングに立っている。

 母さんがぼくを見て、にっこりと微笑んだ。

「あら、どうしたの?」

「え・・・、あ・・・」

 ぼくは言葉に詰まってしまう。母さんには僕が見えていないのか?

 ぼくが戸惑っていると、隣にいた僕が口を開いた。

「母さん、僕、母さんについて行くよ。」


 瞬間、母さんの表情から笑顔が消え去った。目にうっすらと涙が浮かぶ。

「本当?・・・ありがとう。」

 な・・・に、言ってんの? 僕、何言ってんだ!?

 ぼくは僕を凝視したけど、僕はこちらを見ることなく続ける。

「僕、母さんが好きだよ。だから、ついて行く。だけどね、同じくらい父さんの事も好きなんだ。だから、父さんには自分で話をするよ。」

「そうね。分かったわ。そうしてちょうだい。」

 そうして母さんはまたにっこりと笑った。


 部屋に戻ったぼくは、僕に向かって叫んでいた。

「どういう事だよ!!?」

「どうって・・・、そのままの意味だけど?」

「これじゃ、ますます離れ離れだろ!?」

「そうだけど?」

「ぼくはこんな事望んでないんだってば!!」

「おれもだけど?」

「じゃあ何で家族をバラバラにするような事言ったんだ!!」

「父さんにはまだ何も言ってない。」

 確かに、父さんとはまだ話をしていないのだ。僕には何か名案があるのかもしれない。ぼくが黙り込むと、僕が言った。

「まあ、焦るな。今夜、父さんと話すぞ。」



 父さんは、休日になると必ず近くの公園にぼくを連れて行ってくれて、たくさん遊んでくれた。

 ただ、いつの頃からか仕事が忙しくなって、休日ですら突然出勤になっちゃたりして、昔みたいに遊べなくなってしまっている。

 それでも早く帰ってきた日には一緒にお風呂に入ったり、色んな話をしてくれる。そんな優しい父さんがぼくは好きだ。

 僕は父さんに何を言うつもりなんだろう?


 今日は偶然父さんの帰りが早かった。早速僕とぼくが父さんの書斎に向かう。

 父さんが帰って来るまでに僕とぼくはある約束をしていた。


 ・僕が父さんに話をする

 ・話をしている間は絶対にぼくは何も言わない


 この2つだ。どう考えたって“僕”が全権を握っているという事になるけど、ぼくはオロオロするばかりで、反論もできなかった。仕方ない、様子を見よう。

 心の準備くらいはさせてほしかったけど、僕はそんなのお構いなしに書斎のドアをノックして、すんなりと部屋に入ってしまった。

 机に向かう父さんが背中を向けたまま言う。

「そのノックの音は、俺の大事な息子だな?」

 弾んだ声、いつもの優しい父さんだ。嬉しくてつい声を出してしまう。

「父さん・・・」

 僕がぼくの口をそっと塞ぐ。・・・もご。そうでした。喋ってはいけません。

 ぼくと同じ声の僕が話し始める。

「父さん。話したい事があるんだ。ちょっといいかな?」

 父さんが椅子をくるりと回してこちらに向き直る。

 何かを感じ取ったらしく、まっすぐにぼくを見つめるその目は真剣だった。

「何かな?」

 母さんと同じように、父さんにも僕の声はちゃんと届いている。

 でも、こちらを見ている父さんの表情には驚きも動揺も見られない。

 僕も当然のように話を続けようとしている。

 ぼくは黙って次の言葉を待っていた。


「自分なりに色々考えてみたんだ。それでね、僕、父さんと暮らす。母さんには僕がきちんと話すから。」

 ぼくは自分の耳を疑った。なに?何だって??

 父さんと・・・“一緒に暮らす”? 確かに僕はそう言ったのだ。

 そんな事をしたら、母さんはどうなっちゃうんだ?

 僕の言葉を聞いた父さんの顔がほころびる。

 石みたいに固まってしまったぼくの髪をぐしゃぐしゃに撫でながら、

「そっか・・・そっかあ・・・」と、何度も呟いていた。

 自分の髪を触りながら、僕が言う。

「でもね父さん、僕は父さんの事を好きなのと同じくらい、母さんの事も好きなんだよ。大切なんだ。それだけは覚えていてね?」

「ああ、もちろんだ。」

 父さんが目を細めて笑った。


 ぼくは急いで僕を連れ戻す。

「父さんに嘘をつくなんてどういうつもり!?」

「嘘なんて言ってないだろ?」

「じゃあ、母さんに嘘をついたの!?」

「だから、ついてないって。」

「無茶苦茶な事言うなよ!二人と一緒に住むなんてできないだろっ!!?」

「どうしてそんな事が言えるんだ?」

「だって、ぼくは一人しかいないんだぞっ!?」

「だから“できない”って?お前、ホントすぐ諦めるなぁ。」

「だって・・・」

「言っちまったからには実行するんだよ。」

「無理だよ。」

「やる前から無理とか言うな。」

 ぼくはそれ以上何も言えなくなってしまった。もう自分の殻に閉じこもるしかない。どう足掻いても両親が離れて暮らす日はもうすぐやってくるんだから。



 2人が離れて暮らし始める朝、父さんの姿はもうなかった。朝早く仕事に出かけたのだ。

 父さんはこの家に残り、母さんがここを出る事になっていた。この家から少し離れた所にある小さなアパートに引っ越す。

 荷物をまとめた母さんが、ぼくに声をかける。

「用意はできた?」

「うん。できたよ。」

「じゃあ・・・、行こうか。」

「・・・うん。」

「忘れ物は、ない?」


 ぼくは玄関で靴を履きながら、そっと後ろを振り向いた。

 僕がこちらを見つめている。

『君は、ここにいるの?』

『お前が母さんの所に行くからね。父さんの様子を見とかないと。』

『忘れ物、かな?』

『いや?』


「何か忘れ物があるの?」

 母さんが尋ねてきた。きっと、ぼくが後ろを向いていたからだ。すぐに母さんの方を向いて元気よく返事をした。

「何もないよ!大丈夫。」

「そう?じゃあ、行こう。」

 差し出された母さんの手を握り、ぼくは家を出た。

 ぼくは僕を置いて行く。・・・父さんも。

 ひとまず、置いて・・・



 休日のたびにぼくは父さんのいる家へ帰った。

 父さんの事はもちろんだけど、僕の事も気になっていたからだ。

 会う度に、父さんはクスクス笑いながらぼくに言う。

「お前とは休日にしか会っていないのに、不思議なんだ。何だか毎日一緒にいる気分になるんだ。いつだって側にいてくれるようだよ。」

 父さんの側にはいつも僕がいるんだ。僕がちゃんと見守っているんだな。

 父さんは最近少し痩せたみたいだ。元々細いのに、さらに細くなった。大丈夫かな?すごく心配になる。

 どうしようもできないまま、時だけが過ぎていく。

 僕もぼくにあまり話しかけてこない。一体どういうつもりだ?


 父さんと母さんが別々に暮らし始めて、3ヶ月が過ぎようとしていた。

 このところ、母さんがよくため息をつくようになったけれど、その理由はぼくには分からない。

 今日も買い物の帰りに、とある橋の所で大きなため息をついていた。

 この橋は、父さんの住む家とぼくたちのアパートの丁度真ん中ぐらいの所にあって、スーパーからの帰りに必ず通るのだ。ぼくは思い切って母さんに尋ねてみた。

「母さん、この橋には何かあるの?」

 母さんがハッとする。動揺したのをぼくに悟られないよう、ゆっくり答える。

「どうして?」

「母さん、この橋を通る時によくため息をつくんだ。」

「そうかしら?」

「うん。それに、何だかちょっと悲しそうに見える。」

「・・・悲しそう?」

「うん。何か悲しいの?」

「大丈夫よ。・・・あなたがいれば悲しくなんかないわ。」

 そう言って、そっとぼくの髪を撫でて笑う母さんは、やっぱりどこか悲しい目をしていた。


 夜、布団に潜り込んだぼくの頭に僕の声が響いてきた。

『よぉ。最近どうだ?』

『どうだ?じゃないよ。そっちこそ何してたんだよ?』

『何もしてなかった訳じゃねぇぞ。観察だ、観察。』

『観察?』

『最近、母さんの様子はどうだ?』

『たまに悲しい目をしてる。でも、子どものぼくにはなぜだか分からない。』

『子どもだから分からない?そんな事言ってねぇで少しは考えてみろよ。』

『だって、分かんないんだもん。・・・買い物帰りに橋の所でため息をつくんだ。・・・家計の危機かな?』

『・・・違うんじゃねぇのか?』

『そう?』

『そう。・・・そういや、父さんもだな。散歩する時にそこへ行く。そして、ぼんやり考え事をするんだ。』

『仕事、大変で疲れちゃったのかな?』

『・・・さぁな。』

『・・・もうずっとこのままなのかな?あんなに仲が良かったのに。もうすぐ結婚記念日で、その日は毎年3人でお祝いしてたのに・・・あの幸せな時間ももう思い出になっていっちゃうのかな?』

『ま、そんな卑屈になるな。じゃあ、またな。』

『あっ・・・』

 ぼくの頭の中で、テレビの電源を切ったみたいにプツリと僕の声が途切れた。

 ・・・結婚記念日か。もう明後日じゃないか。



 そうして今日、母さんとぼくはどこにも出かけることなく家の中にいる。

 母さんはさっきから何となく窓の外を眺めていて、たまに目を閉じては何かを考えているみたいだ。その姿は“祈り”のようにも思えた。

 母さんは誰に何を祈るのだろう?

『今日は結婚記念日だな。』

 僕の声が届く。

『そうだよ。それがどうしたんだよ?』

『おれが考えるに、両親にはあの橋が何か意味のある場所なんじゃないか?』

『意味って??』

『そこまでは分かんねぇよ。』

 分からないのかよ!

 ぼくは何だかイライラしていた。

『なぁ、父さんは落語が好きだったろ?』

 何でいきなり落語なんだ?

 確かに父さんは落語が好きで、ぼくにもいくつか教えてくれた事があった。

 だけど今、それに何の関係があるんだ?ますますイラつく。

『だから何だよ?今、関係ないだろ!』

『・・・オメェのその固い頭、玄扇(げんのう)で叩いてやろうか?』

『はぁっ!?何言ってんだ?』


 何が“玄扇で叩く”だ。まったく。

 ・・・いや、待てよ?玄扇って・・・“金づち”・・・だよな?

 ・・・考えろ、ぼく。思い出せ。

 金づちで頭を叩く 落語?

 ・・・・あっ!“亀坊”の事か!


 落語【子別れ】だ。

 離れ離れになってしまった夫婦をつなぐもの・・・

 それは、息子の亀坊だった。

 子は(かすがい)か!!


「そっか!!ぼく()は“かすがい”だっ!!」


 ぼくは叫んでいた。母さんが驚く。

 僕が口笛を吹いた。

『分かったみてぇだな。そういうこった。走れっ!!』

 言われると同時にぼくは母さんの手を引いて走り出した。

 母さんは何が何だかよく分かっていないけど、ぼくの勢いに完全にのみこまれ、ただただ引っ張られていく。


 向かう場所はひとつ。


『あの橋だ!!』 『走れっ!!』


 橋の上に人影が見える。・・・父さんだ!!

 父さんの隣には僕が見える。

 僕がぼくに手を差しのべている。


『来いっ!!』


 ぼくは勢いよく僕に向かって走り、その手を掴んだ。


 息が・・・切れる。

 母さんも肩で息をしている。

 目の前に立つ父さんは少々戸惑っているようだった。

「あ・・・、久しぶり。」

「・・・えぇ。」

「元気にしてる?」

「・・・あなたは?」

 2人とも本当に言いたい事があるハズなのに、何も言えないでいる。

「もう仲直りしなよ。」

 自分たちの手を握られた二人が、ぼくの方を見る。

「何があったかは分からないけど、最近元気がないのは、お互いに寂しいからでしょう?ごめんねって思ってるからでしょう?今仲直りしなかったら、ずっとできなくなっちゃうよ?また一緒に暮らそうよ。みんなで。」


 じっと何かを考えていた父さんが、やっと口を開いた。

「“子は鎹”とはよく言ったもんだ。・・・ホント。・・・すまなかった。」

「・・・私こそ、ごめんなさい。」

「戻ってきてくれないか?お前たちが必要なんだ。」

「はい。」


 ぼくたちは夕日の中を歩いていく。

 父さんと母さんの間には、ぼく。


 夕日に照らされて、手をつないだ三人の影が長く長く伸びていた。



          ― 封 ―

お読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 子どもの視点からの描かれ方で一貫されていて、頼りない少年を応援したくなりました。最後にまだまだ助けてもらいながらも、自分で頑張って考えて、ちょっとだけ成長しましたね。 [一言] 古今亭志ん…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ