目覚め part2
よれよれになりながらも三階分の階段を登り切り、鉄矢は必死に息を切らして廊下を駆け抜ける。
瞬間――
――バコンッ!
背後でコンクリートの床を叩き割る破壊音が響き渡った。
その破砕音は一度では収まらない。必死に逃げ惑う獲物を仕留めない限り、永遠と鳴りやまない。
二度、三度、四度、もはや鉄矢にも何度その音を聞いたかはわからなかった。彼の跡を追いかけるように音は鳴る。
――振り向くなッ! 殺されるッ! 走らなきゃッ!
耳をつんざくほど大きな音に何度も邪魔をされ、簡単な指示しか出せなかった鉄矢の脳が、ひたすら己の足に動けと電気信号を送り続ける。
筋肉を限界まで動かし続け、息が切れる。それと同時に音も止んだ。
ほんのわずかな一瞬で、玉のような汗を大量に掻いていた鉄矢は、後ろを振り向きながら汗を拭う。
そこに、男の姿は見えなかった。
安心したのか、安堵の息を漏らした鉄矢は周りを見回し、隠れる場所を探ろうとする。
だが、そんな猶予は一切与えられない。死は容赦なく彼を追い詰める。
「止まったら……死んじゃうぜ?」
どこからともなく現れた死が、鉄矢の耳元でそっと呟く。
「……!」
その声に尻を叩かれるように、鉄矢は再びくたびれた足を無理矢理動かす。
いつでも殺せたはずだ。だがそうしないのは、きっと彼を殺すのを楽しむため。
例えば、逃げ惑う一匹の小さな虫の目の前へわざと足を下ろし、その足から驚きながらも逃げる虫の光景を楽しむような、そんな軽い気持ちで行われる命のもてあそびだ。
男は一人の少年の命を、猫が毛糸の玉を転がすように、ごく自然に、ただなんとなく弄んでいた。
(くそッ! 俺の命は虫けら同然なのかよ!!)
わき目も振らず走り抜け、曲がり角に差し当たったので、そのまま右に曲がる。
途端、彼の足が止まった。
「行き止まりだ……」
眼前には抜け道などあるわけもない、ただの壁。
他に逃げ道はないかと左右を見渡すと、左側に窓があった。
(ここから飛び降りるか? 四階だぞ? 無理。絶対ただじゃあ済まないって!)
数秒、僅か数秒戸惑っている間に男が瞬時に距離を詰め、彼の耳元で囁いた。
「そろそろ終わりにしようかなぁ」
『人殺し』という名の遊びに飽きた男が死刑宣告を下す。
(追いつかれた。もう間に合わない。ダメだ)
死を察した鉄矢は最低限の護身行為として後頭部を手で覆い、相手に背中を見せて床にうずくまる。
男の手の甲から、鉄のような爪が三本生える。
夜闇に紛れながらも、月の光を吸い込み銀に照り輝く――それは、人を殺めるには充分の凶器として成していた。
空気を裂く音と共に、その凶器は、少年の背中へ振り落とされ――
「ッ……!」
――だが、それは来ない。
死への誘いを指し示す痛みが、彼の背中を襲うことはなかった。
痛みの代わりに、背中に何かが当たったような軽い感触〝だけ〝を鉄矢は感じ取れた。
何一つ理解できないまま頭を上げ、後ろを振り返ると、男の鉄爪に小さなヒビが入っていた。
そのヒビは伝播するかのように爪全体に広がっていく。最後には鉄爪が砕け散り、小石ほどの大きさとなり辺りに散らばった。
粉微塵になった自身の得物を、男は信じられないとでもいいたげな顔をしながら見つめる。
「俺の……爪が……? これが鎧竜の力なのか?」
(またヨロイリュウ? ヨロイ……鎧の事だろうか? いや、そんなことより今の内に逃げ――)
何が起こったのか全く飲み込めなかったが、とにかく逃げる為、鉄矢は立ち上がろうとした。
同時、背中に激しい痛みが彼の足を止める。
背中を切り裂かれるような痛みとは違う。内側から大きな質量を持ったなにかに殴りつけられるような、激しい殴打の痛み。
腹の内から背中に伝わるその痛みに耐えられず、思わず鉄矢は人に軽く踏まれた虫のようにのた打ち回る。
――それは、兆しであった。
現代には既に存在しない、過去の遺物が蘇る。
とある時代を築きあげてきた地上の覇者が、少年の中を蠢き、発現しようとしている。
「ああああああアアアアアアアアアガガガガアアアアアアぁぁぁ」
あまりの痛みに対して理性を失い、よだれや鼻水をまき散らしながら、人のものとは思えない獣のような雄叫びを鉄矢は上げた。
数十秒、数分、どれくらいかはわからない。虚ろな意識の中でひたすらその痛みに耐え、彼は変化し始める――
背中には人間の柔肌とは違い、甲羅のような頑強な鎧。
皮膚が、顔が、眼が。
変色、あるいは変形を重ねていき、人としての在り方を捨てていく。
鎧鉄矢を襲った男は、それの正体を知っていた。
それは男が有している能力と同じものである。
――“ディノサウェポン”、鎧鉄矢は今、古代の力を発現した未知なる兵装をその身に宿す。
その竜の名は――
「目覚めたか!? 鎧竜、アンキロサウルス!」
かつて人間であった“それ”は、治まった痛みの微睡みから覚めるようにゆっくりと立ち上がった。




