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ブリキヒーロー part6

 勝てるかもしれないと期待していた。


 盾賀美槍花が見事打ち破り、そのまま男を捕まえてくれるという淡い期待を、つい先ほどまで鉄矢は抱いていたのだ。


 彼女のことを、絶対に負けない不屈のヒーローとでも思い込んでいたのだろうか。

 例え、それがどんなに巨大な相手でも――

 例え、それがどんなに強大な相手でも――

 例え、それがどんなに恐ろしい相手でも――

 例え、自身がどんなに傷ついていても――

 例え、自身が命を落とすことになろうとも――


 ヒーローというものは周りの人々の歪んだ色眼鏡によって作り上げられた、歪な像の塊だ。

 一方的な期待と、絶望の奥底に漂う力のない人々の心の拠り所。無力な人々は、ヒーローと祭り上げられてしまった相手のことなど何も考えず、無条件で助けてくれると勘違いをする。


 仮に、ヒーローがよくある物語のように全ての敵を倒し、全てを解決することが出来なかったとする。すると人々は、それをヒーローとは見なさなくなり、油が切れ、部品が破損し、そのうち動けなくなるブリキと同等の物と決めつけてしまうのだ。


 ヒーローとは一見、誰もが憧れる絶対的な存在だが、裏腹にはただの都合の良い存在でもある。


 そんな一方的で、無責任な思考を自分より年下の、小さな少女に押し付けていたのだろうか。


 今、眼前に広がる光景は、すがるような甘い考えに対する警鐘のように鉄矢には思えた。


 ヒーローなんて存在しない。そんな都合の良い者なんていない。これが現実だ、彼女は負けたのだ、と。

 

 盾賀美槍花は、彼女は、氷の礫のような物に撃ち抜かれてしまった。

 一瞬の出来事だが、無限のように長い時として、彼の世界をゆっくりと流れていく。


 “現実”を目に焼き付け、鉄矢は自覚した。自身が手放した使命とそのツケを彼女が背負ってしまった事を。


 “ヒーロー”を務めていた彼女は、“ブリキ”になってしまったのだ。


 そのまま勢いを含みながら吹き飛ばされ、彼女は鉄矢の横の植木鉢に激突した。

 植木鉢の土と破片に埋もれたまま、彼女は指先すら動かない。そこには血の池が少しずつ広がっていく。


「一瞬だけ……、一瞬だけだが肝を冷やしたぜ。まさか俺の壁を破ってくるとはなあ」


 わざとらしく額を腕でぬぐい、男はこちらへ歩み寄る。槍花にとどめを刺すつもりだ。

 男の右手に大気中に氷の粒が出現し、収束していく。

 やがて、手元から植物が生えてくるようにゆっくりとサバイバルナイフほどの氷の短剣を作り出した。


「二度としゃしゃり出るな。メスガキが」


 冷徹な声。


 たった一刺しで命を奪えるほどその得物は鋭利で凶悪な形をしていた。


 鉄矢は彼女の死を直感し、戦慄する。


(助けなきゃ……ッ!)


 心の中では意識していても、体が追い付かない。

 動かない。

 手足に力が入らない。


 鉛のように重い恐怖心が彼を縛りつける。指一本すら動かすことを許してくれなかった。


 ふつふつと湧き上がる負の感情が渦巻き、彼女を助けるようとする理性が抑え込まれ、身動きが取れなくなる。


 なにもできないまま、見殺しにしてしまうのか。


 時は残酷に流れる。


 氷の得物を降り下ろそうとした男の前に、一つの小さな影が飛び出した。

 さっきの子供だ。鉄矢が抱きとどめていたところを知らず内に振りほどき、彼女の前に出たのだ。


 涙と鼻水でぐしぐしの顔のまま、両手を大きく横に広げ、槍花をかばうように立っている。

 子供の顔はヒーローとは呼べないくらいあまりにも酷い顔だった。


 いや、そもそもヒーローと呼べる素質などあるはずない。資格も、義務もないのだ。

 だがその子供は敢然にも前に飛び出し、一人の少女を守ろうとしている。


 子供にとっては勇気かもしれないが、鉄矢の眼にはそれは無謀と映えた。

 

 静止。


 子供の小さな勇気と言う名の無謀に動揺が生じたのか、男が手を止め、少しだけ沈黙が生じた。


 男と子供――ぶつかり合う二人の視線は一切外れない。


「興が冷めた。ったく、つまらないことをさせるんじゃねえよ」


 得物を下げ、静かに腕を下ろした男はバツが悪そうにその場を離れ、何もせず銀行を出て行った。


 取り残されたのは鉄矢を含め恐怖のあまり泣き枯れた人々と、ボロボロになり、動かない槍花、そして氷漬けにされた構内。


 ――助かった……?

 ただそれだけを理解するのに、ずいぶん時間をかけた気がする。


 鉄矢よりもずっと小さな子供が、この場の全員を救ったのだ。その場をしのいでくれたのだ。


 横で何かが動くのを鉄矢は感じ取った。槍花が目を覚ましたらしい。

 植木鉢の土を全身に被った彼女は、うめき声を上げながら上半身を起こす。


 氷弾に撃ち抜かれた結果、糸が切れた様にだらしなく垂れ下がった四肢を踏ん張りながら動かす。

 ふらふらとよろめきながらも、かろうじて彼女は立ち上がれた。


 そのまま一歩、また一歩と力を振り絞りながら歩を進める。その跡には致死量とまでは言わないものの、看過できないほどの量の流血が広がっている。

 彼女が一体どこへ行こうとしているのかはわからないが、傷口が大きく開きそうなのは明らかだ。ここで引き留めて、安静にさせないといけない。


「待てよ! 動かない方が――」

「触らないでくださいッ!」


 今まで聞いたことが無いほどの剣幕だった。

 彼女の叫びだけがこだまし、ざわついていた客たちが一瞬で黙り込んだ。


「いや、でも……」

「ッ!」


 甲高い音が響いた。

 なおも鉄矢が彼女を止めようとして伸ばした手をはたかれた音だ。

 明らかな拒絶だった。


 鉄矢は少しだけ赤くなった手の甲から槍花の方へ視線を移した。


 以前の彼女からは想像できない表情をしていた。

 鼻水と、涙と、血で汚れた顔。そこには、彼に対する、侮蔑と敵意しかない。

 『私はここまで戦って来て……それなのに、同じ力を持ってるお前が今更、一体なんなんだ』と言わんばかりの憎しみの目線。


 これまで生きてきて初めて向けられた感情に、鉄矢は戸惑いを隠せず、思わず半歩引き下がる。

 喉の奥が絞られるような、心臓が締め付けられるような、そんな気がした。


 言葉が出てこない。なんて言えばいいのかわからない。

 ただ、鉄矢はこれだけは理解できていた。

 自分は、彼女に完全に嫌われたのだと。

 だからこそどうすればいいかわからなかった。思わず叩かれた手を引っ込める。


「もう、あなたの力は借りないと決めました。だから、触らないでください……」


 小さく吐き捨てるようにつぶやくと、そのまま彼女は撃ち抜かれて自由が利かない体を引きずりながら、その場から離れて行った。

 思わぬ迫力に、鉄矢は追いかける事ができなかった。


 伸ばした手を叩かれた痛みよりも、彼には彼女の明確な拒否と軽蔑のほうが身に染みてたまらなかった。


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