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ブリキヒーロー part4


 平日になっても、槍花は大学には来なかった。

 理由は、なんとなく鉄矢も勘づいてはいた。

 会ったところで、あんな衝突があったのだ。気まずいだけだし、鉄矢もできれば今は会いたくなかった。


(喉、乾いたな……)


 今日は春にしては長袖が少しうっとうしく感じるくらい暑い日だった。春特有の温かい気温といつもより強い日光により、少しだけ早い夏を感じさせる。

 朝から一日中野暮用のために歩き回ったため、口から水が抜け切り、鉄矢の体は水分を欲していた。


 ものすごく何かが飲みたい――そう思い、周囲を見回すと自動販売機が駐車場の手前に備えてあったのを見つけた。


 近くにあった自販機に鉄矢は近づき、品定めを始める。


(……とりあえずスポドリにしようか)


 買うものも決まったので、財布を開けて中身を見た途端、彼は肩を落とした。


「こんな時に、財布の中になにもないなんてなぁ」


 札入れに何も入っていないのだ。入っているのはいつしかの初詣で引いたおみくじのおまけだったストラップだけだ。財布に入れると金運が上がるとかなんとか、そんな理由なのでなんとなく入れているだけだ。


 再び肩を落とし、今度は小銭入れの封を開ける。


 チャリンと子気味のいい音が一回だけ鳴ると同時に100円玉が2枚と10円玉が3枚だけ出てきた。


「昭和のガキんちょかよ、俺は……」


 三度、鉄矢は肩を落とした。しかも気持ち二倍落ち込んだ様子で。


 一応、飲み物は買えるが大学生の財布にしてはあまりにも中身が惨めすぎる。


「しゃーない、銀行行きますかぁ」


 とりあえずスポドリを一本買い、その場で一気に飲み込む。

 喉を鳴らしながら流し込まれるそれは、鉄矢の体を少し冷やしてくれた。

 空になったペットボトルを自販機の隣のごみ箱に投げ入れ、すぐ近くの銀行へ足を向けた。銀行が閉まるギリギリの夕方だが、今から駆けこめば間に合うだろう。


 とはいったものの、鉄矢はあまり銀行へ赴くのに気が向かなかった。

 理由としてはまだ銀行強盗事件含め、一連の騒動が解決していないからだ。


 すぐ近くにある営業中の銀行に着くと、入り口の両脇に若い警察官が二人、微動だにせず、休めの体制で立っていた。いつしかニュースで見た、警察が重い腰を上げた結果の表れだろうか。


 腰には自動拳銃が供えられていたが、もしここに宿主が襲撃してきたら気休めにもならないだろう。

 それを鉄矢は知っている。こんなもの、ディノサウェポンの前では豆鉄砲にすらならない。


 二人の警官の間を抜け、開いた自動ドアに合わせて中に入る。

 外の天気によって少し火照った鉄矢の肌を、空調で冷えた空気が撫でた。

 そのまま中に進むと、ATMには長蛇の列が出来上がっており、窓口の方はソファーが埋め尽くされるほど混んでいた。


 窓口の方では銀行員達がオフィス内をせわしなく走り回って、問い合わせの電話が休むことなく鳴り続けている。電話越しに頭を下げている若い男性の顔は終わらない対応に疲弊しきっていた。


 普段なら後日改めたくなるほどだったが、財布に何もない以上並ぶしかない。鉄矢は仕方なく最後尾に並ぶことにした。


 自分の順番が来るまでの間、スマートフォンでSNSのタイムテーブルを眺める。

 色々な情報が躍り出る中、ひと際注目を集めているのはやはりここ最近の銀行強盗だ。

 今のところは、彼の住む町、新代町でしか事件は起こっていないが、未だに解決に至らないことから不安の声が上がっている。


(やっぱり来るんじゃなかったなぁ)


 今更ながらここにきてしまった事を鉄矢は深く後悔した。

 別に金を引き出すだけなら、その辺のコンビニでもできたのだ。だというのに、どうして今に限ってこんなところに来てしまったのか……。

 これも全て近くにコンビニが全くない――中途半端な場所で喉の渇きを感じ、財布を開いてしまったのが原因なのだろうか。


 ネットの記事を読むのに集中しているうちに、ATMに並ぶ列がだいぶ前に進んでいた。次の次で、鉄矢の番だ。


 ここもいつ狙われるかもわからない以上、さっさと用事を済ませてこの場を離れたかった。恐らく自分と同じく、銀行に来ている人は皆そう思っているだろう。


だが、平穏は続かない。悪はただひたすら、微笑み続けるだけだ。


瞬間。


パァン――


外で火薬の破裂する音。それと同時に、二人の男の叫び声と悲鳴。

一瞬の静寂。


突然訪れた不穏に、その場にいた全員が自動ドアへ視線を向け、固まった。

嫌な予感がする。

人々のどよめきの中、ひと際目立つ声が聞こえた。


「ママー、ちょっと寒いねー?」


 子供の声だった。

 確かに、少し肌寒くなったような気がする。

 まるで、冷蔵庫の中に放り込まれたような感覚。冷たさが放つ、刺すような痛みが肌を駆け巡る。それはやがて、悪寒となって鉄矢の直感を刺激した。


(……まさか)


 ――宿主

 脳裏をよぎる、一つの最悪の可能性。


 それは可能性から現実へ変わり、地獄を映し出す。

 

 悪夢がその顔を覗かせる。

 背後の自動ドアが開く、静かな音。

 

 ドアの隙間から、二つ、氷の塊が見えた。

 いや、違う。

 正確には、“警察官だったもの“が凍り付いていた。


 生きているのか、はたまた死んでいるのか、鉄矢にはそれがわからなかった。


 宿主が織りなす冷たく、理不尽な暴力にまみれたアート。

 それが指し示す意味を鉄矢は理解し、戦慄する。


 殺される。


 鉄矢の第六感がそれを理解した瞬間、足は自然と後ろへ向いていた。

 しかし、銀行内である以上、逃げ切ることは出来ない。


 彼と同じく、氷の塊の意味を把握した全員が、悲鳴を上げ、奥へ駆け込んだ。

 

「ママ! ママあああああああああッ」


 子供の叫び声、だがその声は母親には届かない。


 無残にも、残酷にも、冷酷にも、母親はもう冷たくなり動かなくなっていた。

 両手を突き出し、まるで寸前で子供を突き飛ばしているように見える。


 人間に刻まれた遺伝子的本能。親が子を守るため見せた、最後の行動の象徴。

 だがそんな事などお構いなしに、悪はこちらへ牙を向ける。


 自動ドアの隙間から白い霧が流れ込んできた。それはやがて、あたり一面を冷やし、凍らせていく。

 ゆっくりとこちらへ流れ込んでくるそれは、子供の眼前まで迫っていた。


 それに触れるという意味を、鉄矢は瞬時に理解できた。


「ダメだッ!」


 母親の元へ向かおうとする子供の手を掴み、抱き寄せる。


「ママああああああ」


 鉄矢の言葉は、子供の耳には入らない。眼に涙を貯めながら、ただひたすらに母親を呼び続ける。


「ちょっと気まぐれで、夕方に来てみたんだけど、失敗だったかなぁ」


 悲鳴と喧騒にまみれた空間の中で、妙に落ち着いた男の声が唐突に屋内に響いた。

 その歪さに、狂気に、全員が悟った。

 その男が、事の元凶だという事に。


 革靴が床を踏み鳴らす音と一緒に、長身の男がゆっくりと入ってきた。

 肩甲骨あたりまで伸びた黒い髪が霧の動きに倣い軽くなびく。その髪は不思議と凍っていない。それどころか、男の体はどこも凍っていなかった。

 |既に凍り切った絶対零度の空間を歩いているはずなのに。《・》


 霧に呑まれながらも無傷の男を見て、鉄矢は確信する。

 こいつが、盾賀美槍花を敗北に追い込んだ張本人だと。

 こいつが、絶対的な()なのだと。


「俺に人殺しの趣味はないんだけどなぁ……」


 手入れがされてなく、雑な性格を表すように生えた無精ひげを男は撫で、入り口で凍っている警官を見一瞥した。

 その目からはひたすら狂気を孕んだ冷たさを鉄矢は感じた。


「ハハッ、見事に凍ってらあ。こりゃあただじゃあすまないだろうな」


 笑っていた。

 この男は、自分が傷つけた人間を見つめて、ただあざけ笑ったのだ。

 狂った人間にしかできない凶行だった。

 鉄矢の恐怖が、より加速する。

 怯えのあまり、声を殺し、縮こまっている人々を眺めていた男の眼が止まった。

 冷たく、無機質な眼がじっとこちらを捉えている。


「ッ!?」

 

 目を合わせてはいけない。

 咄嗟に鉄矢は本能的に目を逸らしたが、男の標的は違っていた。彼の目線は鉄矢よりやや下へ向いているのだ。

 それはつまり、さらに弱い者をこれから殺す事を示唆している。


(まさか……)


 男の意図を察した鉄矢は、目線の先にいた子供をかばうようにさら抱き寄せる。

 子供を隠すように、背中を男へ向けた。

 だが、残酷にも死の刃は弱者を着け狙う。


 ゆっくりと目の前まで歩み寄り、目線を子供と合わせるために男がしゃがんだ。

 鉄矢の事など眼中になく、ただただ男は子供に話しかける。


「なあ、ボウズ、お兄さんはなーんにもしてないんだけどさ、こう、おまわりさんがバキューンって銃を撃ってきたんだよ。かわいそうだと思わない? 痛かったんだよ~……だからさ、お兄さんはこうして悪いおまわりさんを退治してやったわけ」


 指でピストルの形を作りながら、子供に狙いを定め、撃つ仕草をする。


「ママを、返せッ!」


 果敢と呼ぶべきか、無謀と呼ぶべきかわからなかった。親の仇である男へ子供は訴える。

 当然ながら、その願いはどこにも届かない。虚しく響き渡るだけだ。

 無精ひげの男は三日月を描くように口角を上げ、笑う。


 気まぐれな殺意が明確な殺意に代わる瞬間。

 次に訪れるは無慈悲で残酷な死。


「ボウヤはえらいねぇ、お母さん思いだねぇ。でも、お兄さん、やっぱ悪い人みたいだわ。えらいこぶっている奴――例えばボウヤを見るとさ……」


 男の表情から一瞬で笑みが消える。


「腹が立つんだよ――」


 男が右手に生成するは氷の剣。人を殺めるには充分な凶器だ。


 それを男は頭の上まで振り上げ、ためらいなく降り下ろす――


 ここまでか。

 生への諦めと死の覚悟、半々の澱みの中、鉄矢は目を固く閉じる。


 待つこと数秒。


 だが、いつまで待ってもその時は訪れない――

 心臓は動いている。

 得物に裂かれた焼けるような痛みや感触もない。


 本来なら、一緒に貫かれていただろう子供の鼓動も止まっていない。


 生きている。そう彼が意識するのには、だいぶ時間を要した。



「――リベンジに来ました、お兄さん」


 少女の声がした。

 どこかで聞いたことがある、やや冷たさを含むが、芯が真っ直ぐ通った声。

 鉄矢はその声を聴いた時、自分が助かった事をようやく理解できた。


 だが鉄矢自身もうその声を聴くとは思っていなかったのだ。

 何故なら声の主に間違いが無いのならば、戦える体ではないと言っていたはずだから――


 ありえない。


 わからなかった。どうして彼女がそこまでして、万全でもないのに、命を落とすかもしれないのに、敗北した相手に恐怖もせず立ち向かえるのか。


 この時鉄矢は、彼女との間に生き方という名の大きな壁を感じた。

 普通の平和とはかけ離れた、一般人の想像をはるかに絶する生き方。


 彼女と過ごした大学での1週間が偽りのように思えた。


 固く閉じた目を開け、答え合わせをする。

 予想通り、一人の少女がいた。

 鎧鉄矢がその姿を見るのは何度目か。

 肩まで伸びた青色のショートヘア、華奢な体、透き通るような碧眼。

 鉄矢と同じく、恐竜の能力を有した少女。宿主であり、たった一人で戦い続けてきた戦士。そこに、日常で彼に見せた穏やかな面影はない。

 辺りを凍らせる氷より冷たい表情だが、心の奥底になにか燃えるような物が鉄矢には見えた気がした。


 盾賀美槍花が、そこに立っていた。


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