青い牙 part7
都心から田舎への下り電車内。帰宅ラッシュ時より少し早めの時間に乗れたため、列車内はガラガラだ。
乗客はまばらに散らばり、各々が座席に腰を掛けながら本を読んだり、仮眠を取るなどとしている。
鉄矢はその座席の一番隅に腰掛け、ひじ掛けから網棚へ連なるパイプに頭を預けていた。
時刻は夕方5時前、差し込む夕日が車内の床を朱色に照らす。
乗車口の上に張り付けられた小さなモニターに流れているニュースを、流し目で鉄矢は見ていた。
画面に映し出される映像は破壊された無残な銀行の骸。さんざん見飽きた光景だ。嫌気が刺して陰鬱な気持ちになる。
今までの事件と同じく、夜の犯行。ただ一点、違うのは現場が辺り一面凍っていた事だ。
“凍っていた”というワードに鉄矢は漠然とした不安を覚えていた。
そんなこと、普通の人間にできるわけがない。これまでの一連の事件は、やはり宿主が絡んでいるのではないかと。
予感が確信に近づいていく。
(まさか、ね……)
あまり想像したくなかったが、どうしても不安を拭い切れない。
自分にしか対処できない人間が世間で暴れまわっているかもしれないという不確定な後ろめたさだけが塵のように降り積もっていく。
判り切ってもいないことをいちいち考えていても仕方ない。目を強く瞑り、邪念を振り切る。
目を閉じること数分、空気が抜けるような音と共にドアが開いた。
気が付いたら、自宅最寄り駅に着いていたようだ。
急いで列車から降り、自宅の最寄り駅の改札を出る。そこで鉄矢は思わず足を止めた。
「……?」
目を凝らす。
見知った少女がいた。忘れようにも忘れられない。夕焼けと対照的に映る青色のショートヘア、華奢な体。盾賀美槍花だ。
まるで自分を待っていたと言わんばかりに、真っすぐな目でこちらを見ていたのだ。
「盾賀美さん……?」
どうしてここに? いやそれよりも、今日は日曜日だ。平日である明日なら、彼女と顔を合わせる理由はあるが、何故今ここに彼女がいるのだろうか。
「話があります」
「話?」
「とにかく、ついてきてください」
むんず、と槍花は鉄矢の腕をつかみ、どこかへ連れて行こうとする。戸惑いながらも、鉄矢は彼女に付き従った。
一体どこへ連れて行くのかと思いきや、人気のない公園だった。遊んでいた子供たちはもう帰ったのだろう。そこは寝静まったように静かだった。
辺りを見回し、近くのベンチを見つけた槍花はそこに腰掛けた。
続けて鉄矢もベンチに腰を下ろす。彼女の隣ではあるが、ぴったり座るのは恥ずかしかったので、子供一人が座れるくらいの距離を置く。
あんまりにもだんまりを決めていた槍花を見かねた鉄矢は、とりあえずなにか飲み物でもと思い、近くの自販機へ向かう為に腰を上げようとしたところで、彼女は口を開いた。
「銀行強盗のニュース、見ましたか? 現場が氷漬けになっていましたよね?」
その言葉に、ふいに鉄矢の動きが止まる。
確信が真実へ変わる。
槍花は暗に、犯人が宿主だと言っているのだ。
心臓を鷲掴みされたような感覚だった。
「ああ、見たけど。それが?」
返答はわかっている。だが鉄矢はあえてとぼけた態度を取った。
「お察しかもしれませんが、宿主の犯行でした」
「…………」
無視できない事実に、鉄矢は言葉を詰まらせる。
「……俺に、どうしろと? できることなんかないでしょ?」
冷ややかな声で突き放すように鉄矢は質問する。
そうだ、俺はただの一般人。出来ることなどない。
そう自分に言い聞かせるが、胸の奥からなにか重たい物が込み上げてくる感じだ。
返答など、とうにわかりきっているからこそだろう。鉄矢自身がそれを一番理解していた。
「戦ってください」
「そんなの、無理に決まって――」
無理に決まっている。そう答える為に彼女の方へ向き直ろうとすると、あまりの光景に、鉄矢は言葉が続かなかった。
土下座。あの高貴な少女が、街のど真ん中で鉄矢に土下座をしていたのだ。
その異常な光景に、ランニングかなにかで偶然近くを通りかかった青年が足を止め、好奇な目線を向けている。
流石に視線が痛い。とりあえず、土下座をやめさせないと……。
ベンチから立ち上がり、鉄矢は槍花をなだめようと彼女のそばへ屈む。
「あの、とりあえず頭を上げてくださ――」
「上げません! 上げるわけには、いかないのですッ!!」
彼女の裂くような声だけが響いた。
今まで見たことのない槍花の迫力に思わず鉄矢は一歩下がる。
「どうしてそこまで俺に……?」
「私は、負けました。昨晩、宿主である犯人と戦い、負け、怪我を負い、すぐには戦えない状態です。次に奴がいつ来るかわかりません。今はもう、あなたを頼るしかないのです」
その言葉に、鉄矢はごくり、と唾をのみ慄いた。
あの盾賀美槍花が負けた? そこまでの強敵なのか?
俺が、そんな奴と戦えと? そんなの、できるわけがない。
彼女の様な強力な人間に出来ない事を、どうして俺なんかに?
「そんなこと言われても、俺は君みたいに戦える素質なんて、ないよ……」
鉄矢は思いつく限り、大量の理由を述べて、彼女の要求を拒む。
素質が無い。義理立てする理由がない。めんどくさい。興味が無い。
いろんな理由を上げたが、なによりも彼にとって、盾賀美槍花が敗れた相手に挑むのが怖かった。
彼女が怪我を負うほどだ。そうなると、彼の場合、大怪我では済まない。最悪、死に至る可能性もある。それを、鉄矢は恐れていた。
「いいえ、あなたには戦士としての素質があります。あの時姉さんがあなたに二つの選択を与えたのは、あなたの宿主としての能力が一般的な宿主に比べ、強力だったからです」
屈することなく、槍花はそう言った。
以前、D.I.N.Oで二枚の誓約書を手渡されたのを鉄矢は思い出した。
一般人として過ごす道、槍花と共に戦う道。
あれはただ、宿主だからという理由で勧誘したわけではないという事だ。
本当に俺にそんな力が?
彼女の言葉に少し浮かれたが、途端に彼の脳裏をあの悪夢が過る。大きな鉄の爪を持った男が、ただ自分を殺しに来たあの悪夢。背筋が凍る。
あの時はただ、能力が目覚めて九死に一生を得ただけだ。思い返せ、鎧鉄矢。今ここにいるのは偶然に偶然が重なっただけだ。次に首を突っ込んだら死ぬぞ。
その繋がった首の皮一枚をわざわざ破くようなやつはいないだろう?
「ごめん、やっぱり駄目だ……。怖いんだ……」
「お願いします! あなただけなんです!」
何度も断り続ける鉄矢に対し、同じような懇願の言葉を繰り返す槍花。彼女の悔しさ混じりの嗚咽がより青年の注目を集めた。
なんて声を掛ければいいのか、鉄矢が必死に言葉を探っていたその時だ。
「そこまでにしなさい、槍花ッ!」
槍花の後ろから、聞き慣れた女性の怒鳴り声が聞こえた。その顔に見覚えがある。槍花の姉、美鈴だ。
「姉、さん?」
姉の声に反応し、槍花がようやく顔を上げる。その表情は形容しがたいくらいくすんでいた。
「なにをやっているの!? 槍花」
速足で彼女の元へ詰め寄る美鈴。以前会った時には想像できないほど、険しい顔をしていた。
「姉さん……いえ、その……」
「なにをやっているのかと聞いているの!」
恐ろしい剣幕で美鈴が槍花に問い詰める。
怒涛の勢いで捲し立てられた槍花はどうしてとばかりに動揺の色が顔に浮かんでいた。目を大きく見開いている。
やがて美鈴の迫力に気圧された槍花は、素直に白状した。
「鎧鉄矢に、協力を求めました……」
「ッ!」
甲高い音が響いた。美鈴が槍花の頬を叩いた音だ。
その光景を、ただただ鉄矢は見守る事しかできない。
「槍花……」
唐突に受けた仕打ちに戸惑いを隠せない彼女を美鈴が優しく抱きしめる。
「あなたの気持ちは分かるわ。彼しか頼れない状況なのも、わかる。けどね――」
美鈴は一度言葉を切り、
「彼は、鎧鉄矢は、あの時普通の生活を選んだの。彼は一般人として過ごすことを選択したの。私達が、一般人に力を借りるのは一番してはいけないことなの。わかるよね?」
槍花にとって、それはわかり切っていた事だ。ただの一般人に力を借りようだなんて、なんて情けないだろうか、と。わかってはいたが、それを槍花は最善の策だと信じていた。
他にに戦える宿主がいないからこその、苦渋の選択だったのだろう。
「……はい、すみませんでした」
その顔に先程の気迫はなかった。もう叫ぶのにも疲れ、あれやこれやと考えることに疲れてしまったような、そんな疲弊に満ちた表情をしている。
「ありがとう、槍花ちゃん。ぶったりしてごめんね。帰りましょうか」
美鈴が槍花の手を引きながらゆっくり立たせると、そのまま車の後部座席に連れて行った。
「ごめんなさいね、鉄矢君」
槍花を後部座席に乗せた後、鉄矢の方へ振り返った美鈴がそう謝罪する。
かける言葉など、何もなかった。
「確かに槍花の言う通り、君しか頼れる人がいないのは事実だわ。でもそうなったのは、今まで槍花一人を戦わせてきた私達大人の甘え。つけが回ってきたの。これは私達組織の問題だから、君は気にしないでね」
「いえ……」
鉄矢の目線は、美鈴の方へは向いていなかった。居心地が悪そうに、足元へ向けられている。
恐怖のあまり何もできない自分を見られるのが嫌で、美鈴と目を合わせられることができなかった。
「もう二度と君の前に現れることはないわ。迷惑かけたわね」
軽く頭を下げると、美鈴は車に乗り込みその場を去った。
あまりのやるせなさに、ただその場で呆然とするしかない。
(盾賀美さん、泣いていたな……)
先程、槍花と話し込んでいたベンチに改めて鉄矢はよろよろと腰を下ろした。
自分のプライドを捨てて、ただの一般人である彼に土下座までして頼み込んだのだ。それが彼女にとってとても悔しくて、歯がゆいのは鉄矢にもわかっていた。
でもできなかった。ただ怖いから、それだけの理由で。
彼女の頼みを、自分は無下にしたのだ。虚しさだけがただ残る。
その場に取り残された鉄矢は、後味の悪さを噛み締めながら帰るしかなかった。




