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予兆 part1

 春。満開の桜と温かいそよ風が新しい門出を祝ってくれる季節である。


 西東京のとある地区、新代町。23区ほどの都会でもなく、奥多摩ほどの田舎でもない。

 この街に生まれた時から母親と住んでいる鎧鉄矢にとって、あふれかえる様な人ごみもなく、かと言ってコンビニへ向かうのに車が必要なほど不便でないこの街は、居心地がよかった。


 鎧鉄矢は大学生である。今年度から大学一年生になり、新しい生活に期待と不安を胸に抱きながら、学生生活を過ごし、早一週間が過ぎた。


 彼の入学した大学、聖場(せいば)大学は都内でもそれなりの知名度を有する私立理系大学の一角だ。偏差値的にはMARCHに勝るとも劣らず、といった所だが、特徴としては高い就職率と、幅広い学科である。

 学業に力を入れた大学としては知られていたが、いかんせん、都外にしかキャンパスを構えておらず、同じ偏差値の大学でかつ、都内にキャンパスをこしらえている大学と比較すると、倍率的にやや劣っていた事実がある。


 大学の取捨選択は偏差値のみで決まるものではないのは周知の事実だが、まだ右も左もわからない受験生にとって、やはり大学を選択する理由としては偏差値、キャンパスの位置、そして学内の空気だろう。


 もちろん、自分の将来をしっかり見据えたうえで大学を受験し、若いながらも慧眼っぷりを発揮する者もいる。

 だが、鎧鉄矢はそのような秀才の部類には入らない。あくまでも、それなりの偏差値と豊富な選択科目から、自分の将来の夢が定まるのではないかという思惑から、この大学を選んだ。


 また、聖場大学がここ数年都内に新設したキャンパスに対して彼が興味を持ったのも事実だ。しかも二十三区内だ。都会の空気をキャンパスにいながら味わえるというのは、若者にとっては夢のキャンパスライフの第一歩として、申し分ないだろう。


 午前7時2分。彼は中学、高校とは違い、私服で登校することができる事実にまだ慣れないながらも、できるだけ恥ずかしくない格好をし、いつも通り身支度を整える。

 寝ぼけた頭を覚ますため、洗面所で冷たい水をこれでもかと顔にあて、無理矢理意識を叩き起こす。

 もう一度自室に戻り、小学生の頃からずっと使っていて、青年になりつつある少年には少し小さく感じる勉強机の上に乱雑に置かれた鞄に手を伸ばし、中身を確認した。


 ここ一週間は入学式や学則の説明等を兼ねたオリエンテーションだけなので、授業はまだ受けてない。今日も各授業で使う参考書の購入についての説明会だけなので、鞄の中は筆箱、財布、ノートが二冊。それだけだ。

 鞄に入れ忘れが無いかもう一度確認し、問題が無いのでリビングへ向かう。


「おはよう、母さん」

「おはよう鉄矢。大学はどう? 慣れた?」


 鉄矢の母、鎧敦子の第一声を聞き、鉄矢はげっと顔を歪めながらも知らを切った。


「ま、まぁねぇ~」


 その視線は母親へ向けられておらず、明後日の方向を向いている。どう見ても彼のキャンパスライフが上手くいっていないのは明らかだ。

 しどろもどろになりながらも答える彼に敦子はわざとらしく大きなため息をつく。


「はぁ……。まだできてないの? 友達」


 友達。そう、鎧鉄矢にとってこの大学生活を送るうえで、一つ看過できない問題があるのだ。

 それは『友達が何故かできない』こと――

 高校生までは普通に友人を作って、ごくごく普通に学生生活を送っていたのだが、何故だろうか。鉄矢は大学ではそれが出来ない。

 何が間違っていたのかわからないが、地方も出身校も全く違う同学年と最初に話をするならやはり得意科目とか、部活とか、今後入るサークルの話とか、そんな何気ない話を可能な限り、会話が途切れない様に彼は務めたのだが、それが全く功を成さなかった。

おかげで彼はこの一週間で完全に行き遅れてしまい、どのグループにも入れなくなってしまっている。


「べ、別に大学は勉強するところだし? 友達できなくてもいいし?」


 負け惜しみというか、苦し紛れのような言い訳しか出てこない。誰が見てもそれは哀れで滑稽な姿だった。


「あなたがそう言うなら、それでいいけどね。サークルくらいは入りなさいよ?」


 付け加えるように、敦子が鉄矢に釘を刺す。

 彼にとって見過ごせない問題がもう一つある。サークルだ。

 これだ、と言えるようなサークルが無い。無いと表現するよりは、実際いくつか体験入部という形で見学してきたのだが、彼にはあまり空気が合わなかった。と、表現する方が正しい。


 彼にとっては、大学生特有のサークル活動と言う名の遊び惚ける習慣がどうにも気に入らなかったらしい。体験といいながら、ただひたすら酒を浴びるように飲む上級生を眺める作業に鉄矢はうんざりしていた。


「気が向いたらね……」


 曖昧な返事しかできない自分に、鉄矢は我ながら情けないと感じてしまう。


「まあいいわ。朝ごはん、食べなさい。時間無くなるわよ」


 敦子の『時間』というワードに反応し、鉄矢は我に返る。

 壁に掛かった時計を見ると、時計の長針は20分を指していた。

 彼が毎日乗る、登りの電車は7時35分だ。彼に残された猶予は十五分。急いで朝食を済ませないと間に合わない。


 食卓に並ぶは温かい白米とみそ汁、そして鮭の塩焼き。質素だが、朝食にはちょうどいい。

 電車に間に合わせるため、急いで定位置に置かれている椅子に座った鉄矢は、照り輝く白飯が乗った茶碗に手を伸ばし、ゆっくりと味わうこともなく口にかきこんでいく。

 米、鮭を食べ、最後に具ごと胃の中へ流し込まれるみそ汁。その熱さは猫舌でる彼にはとても応えるが、我慢し朝食を五分ほどで平らげた。


「ごちそうさま! いってきます」

「はい、いってらっしゃい」


 間髪入れず、食後の小休憩もせず、鉄矢は自室の鞄を取りに向かい、そのまま玄関から外へ飛び出す。

 そこで、鉄矢はいつもの日課を忘れていたのを思い出す。


「おっと、いけない」


 踵を返し、家に戻るとそのまま二階へ駆け上がる。

 二階、そこは鉄矢の父、鎧一鉄の部屋である。

 一枚の写真を手に取り、鉄矢は呟く。


「行ってくるね、父さん」


 返事は返ってこない。だが、父の写真に毎朝挨拶するのが、彼の日課だ。

 再び鉄矢は玄関を飛び出した。


 急いでいたあまりにかかとを踏んでしまった靴を歩きながら履きなおし、腕時計に目を配らせ、再び時間を確認する。

 針が指し示すは7時28分。彼が最寄り駅に着くには充分時間は足りている。

 それでも念には念をと判断したのか、小走りをしながら鉄矢は最寄り駅へ向かった。


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