湾岸カーレース 秋予選 その3
「あら?白崎監督来ていたの?」
「そりゃお嬢様がらみでこんな面白いイベントがあったら来ない訳ないだろうに」
撮影用カメラを片手に富嶽テレビ上階からピットを撮っていた監督に私は声をかける。私がらみでこの映画監督が来ているという事はと言おうして、先に白崎監督が口を開いた。
「石川は下でレースクイーンを撮っていたよ。
何人脱ぐか楽しみだ」
「いつの間にか苗字呼び捨ての仲に……ってまずくないですか?それ?」
「そりゃ、あいつの前にあんな綺麗どころを並べるのが悪い」
あっさり言い切る白崎監督に頭を抱える私。
今回のイベントはあの局長がそのコネをフルに使った結果日本の綺麗どころ大集合になったのだから、写真家の石川信光先生にとってはよりどりみどりだろう。
なお、最大の獲物は私だと公言して憚らないのだが、写真の腕はいいのだ。腕は。
「うちとか神奈の連中の綺麗どころ大集合ですからねー」
「バラエティー局の人間が悔しがっていたよ。『昔は水着大会で呼べたのに』って」
「それにかこつけて脱がすつもりなんでしょう?」
「当り前じゃないか。それが売りなんだから」
うちこと北樺警備保障の綺麗どころの元は旧北日本政府のハニトラスパイたち、神奈の占い師はこの東京の夜の支配者の一人である高級娼婦集団である。
裸にされるのは体じゃなくてその背景じゃないかなんて一人笑っていたら、見抜かれたみたいで白崎監督にたしなめられる。
「あいつに撮ってもらえば、一流の仲間入りだ。
むしろ自ら脱ぐ連中の方が多いのも事実だ」
一流というものは自称ならいくらでもできる。しかし、多くの他者から真に一流と見なされるには、彼らが認める何かがなければならない。
そして、その一流と見なされる人間は望むとも望まざるとも本当に少ないからこそ、その看板を手に入れるために手段を選ばない連中は大勢いるのだ。
「知っています」
それは私も例外ではない。私は与えられたものとはいえ自分の才能を疑ってはいないが、それでもその道の一流と称される白崎監督や石川先生と比べた場合まだまだ駆け出しもいいところだ。
感傷にひたろうとして、白崎監督の言葉に邪魔される。
「このレースも考えてみれば面白いよな。
ただの野良レースなのに、お嬢様や俺や石川みたいな本物を入れる事で、本物のように見せようとしているんだぜ。
それに集まった自動車メーカーも本気で来ているから、見ている連中は本物と認識する。
少し前のテレビの魔法の種さ」
「……少し前?」
ひっかかった言葉を口にした私を見ずに、白崎監督はカメラをレース会場に向ける。
まだ時間前なので、車は走っていなかった。
「テレビそのものが本物になったからさ」
「なるほど」
テレビ絶頂期。それは、四角の箱の中のものこそ本物と信じられた時代。
だからこそ、こういう野良レースも本物たりえると白崎監督は暗に言っていた。
もっともこれはテレビ局側の演出であり、番組側からすればどちらでもいいのだろう。
「ところで、気づいているかい?お嬢様」
「何をですか?」
「このレースでお嬢様が学べることだよ」
白崎監督はそううそぶいて見せる。私がそれを聞いて感じる違和感は二つあった。
一つ目は、車が多すぎる事。
確かにレギュレーション的には問題ないし、参加希望者も多く、またメーカーとしても自社のイメージアップになるので止める理由はないが、こうして予選を行って脱落者を決めなければならない羽目に陥っている。
二つ目は、そのレギュレーションが曖昧な事だ。
プライベートレースという事にかこつけて、このレギュレーションを大会運営委員会は意図的に曖昧にし続けた。
これが参加者の増加の一因にもなっている。複数違う色を出して生き残りを見てからレギュレーションを絞るのだとか。
白崎監督が問いかけるのならばこちらかなと思った。
「レギュレーションが曖昧な事ですか?」
「うーん。残念ながらおしいという所かな。多分気づいていないみたいだから、そろそろ教えようとあれに言われてね。種明かしをする事にしたのさ」
あれとは言うまでもない。この大会運営委員長のあの局長の事だろう。
正直あまりいい予感はしないが、とりあえず話を聞くことにした。
「ルールの作り方だよ。お嬢様」
「ルールの作り方?」
白崎監督は実に楽しそうに種明かしをする。なお、後で聞いたが局長が直に言うとカッコつけすぎるからと白崎監督と石川先生が頼まれたらしいが、石川先生はレースクイーンの方に行ったからという訳で。
後で貸しを取り立ててやると笑っていたのだが、さて何を取り立てる事になるのやら……話がそれた。
「馬鹿が馬鹿をしても馬鹿でしかないが、ルールというものがあり、それが是となるなら馬鹿の馬鹿な行動も正当化されるんだ」
「言わんとする事は分かりますけど……」
「まだ気づいていないようだね。お嬢様。
このレースのルールは君が決めていいんだよ。あいつはそれを言いたかったのさ」
私の横に立って、画面に映るサーキットを見る白崎監督の表情はとても嬉しそうだった。まるで悪戯に成功した子供のような無邪気さと残酷さを孕んで。
その事に思い当たった私に満足げに頷くと、彼は言葉を続ける。彼の笑みが悪魔のように見えた瞬間である。
「子供のうちは好き勝手して暴れるのもありだ。
よほどの事が無ければ謝れば許してくれるし、最悪親が責任をかぶってくれる。
だが、大人になると、ルールを理解し、守らなければ袋叩きに合う。
弱者はルールを守る事でゲームに勝とうとするが、強者はルールを作る事で最初から有利に持って行く。
君もそれをそろそろ学んでもいい頃だという訳さ」
その言葉に私は思わず息を呑む。そして納得してしまったのだ。
このレースの違和感の正体はこれだったのかと。
「つまり、このレースのルールの曖昧さって……」
「ゲームデザイナーであるお嬢様がほとんど何も言わなかった。それが理由だよ」
いや、私金出しただけだし、そこでルールどうこうと言おうとしてさらに気づく。
だが、ひとまずその言葉はしまって、私は白崎監督に続きを促した。
「あいつにとってこのレースはやる事に意味があった。だからこそ、このレースには明確なルールがそもそもないんだよ。だから誰かがそれを決めないといけない。
あいつが決めない以上、ルールを決めるのはお嬢様。君だよ。
ルールを決め、ルールに従って、ゲームに勝利する。
大人という連中が運営する『社会』ってものの勉強にしたまえ」
わざと偉そうに白崎監督が言うので私は思わず笑ってしまう。
多分これも大人の優しさなのだろうが、押さえていた言葉をここで出す事にした。
「それ、面倒な事を全部私にぶん投げたって言いませんか?」
「お嬢様。それも勉強って奴だ」
実に理不尽極まる台詞を大根役者みたいなノリで白崎監督が吐いて、私と共に大爆笑したのだった。
その時、エンジン音が響いてきて思わず音の方向に顔を向ける。一台の車がピットに入って来る。その後ろからもレースに参加する車が入ってきてレースが始まるんだなと理解する。
深夜開始の予選に向けて、お台場の夜は盛り上がろうとしていた。
感想でちらほら見られていたのだが、『お嬢様が縦横無尽に活躍する所を見たい』というのがあるのだが、これをするには賭けるものがあまりに大きくなり過ぎた。
このレースもそうだし、樺太競馬もそうなのだが、これからのお嬢様は縦横無尽に暴れるのではなく、グレートゲームのプレイヤーとしてルールを作り、押し付ける戦い方をという方向に持って行く予定である。
まぁ、それをリアルパイセンはまったく守っていないのですが……(イスラエルとイランの方を眺めながら)




