2人の探し物
やっと巡り会えた人間―――だと思ったのに。
こんなに唐突に別れを切り出されるとは夢にも思わなかった。
何か気に障ることをしてしまったのだろうか。いく振り返ってみても思い当たらない。自分では気づけないだけかもしれない。
ひょっとしたら私がネコに追われている間に、クインスが何か吹き込んだ可能性もある。
悔しいけれど、クインスは私よりも実力があるし、口も上手い。何もかもが上手。だから、きっと―――。
夜が深まると共に、私の心もどんどん陰っていった。卑屈になりたくないのに、ピアニーの言葉が頭から離れない。
―――あなたとの関係は今日で終わりよ。
訳がわからなくて、辛くて、出口のない迷路に嵌りこんでしまったような気分だ。
森の中を徘徊し続けている内に、自然と村へ向かって歩いていることに気づいた。
無意識に帰ろうとしていたのだろうか。まだ何も成し遂げていないくせに。
戻れるはずがない。だけど他に行くところも見つからない。どうしよう。
とぼとぼと彷徨う最中、「ウキッ」と陽気な声がした。
「ロータス!」
振り向いて相棒の姿を探す。
木の上にも、地上にもいない。
ロータスは長いしっぽを使ってぶらさがっていた。
すらりと伸びた、ロサの腕から。
「迷子になってたから、連れてきた」
ロータスは私を見つけてもロサから離れようとしない。よほどその腕が心地よいのだろう。彼も満更ではないようで、ぶらぶらと揺れるロータスを見ては楽しそうに笑っていた。
私だけが笑っていなかった。
「ニル……どうかした?」
急激に込み上げてくる感情を懸命に抑え込む。気を抜いたら流れてしまう。人間のものではないものが、この両目から。
「ううん、何でもない」
唇を噛みしめると、ロサはすぐ傍まで歩み寄って私の腕を掴んだ。
「良いところがある」
何の話なのか。問いかける間もなく、連れ出されて行く。
ランタンも松明も持っていないのに、こんな暗がりでもロサの歩みに迷いはなかった。
「よく見えるね」
「目が良いんだ」
左腕にロータスをぶらさげたまま、右手で私を引っ張っている。
徐々に近づいてくる水の音。暗かった一帯が仄かに明るくなったと思ったら、ロサが足を止めた。
「着いた」
前方に拡がる豊かな水源。空に浮かんだ月が水面を照らしている。湖だ。
「綺麗だろ」ロサが振り向きざまに言った。
「本当に……きれい」
広大な湖を後ろに立つ彼は神秘的で、一枚の絵を見ているかのようだった。
「それじゃ、何があったのか聞かせて」
ロサはその場に座り込み、私の言葉を待つ。
何でもないと言ったのに。
「俺には言えない?」
そう言われると否定したくなる。
正直に言えば誰かに話を聞いてもらいたかった。ロータスが戻って来たら思いの丈をぶつけるつもりでいた。
それなのに彼が、私を見つけてしまうから。
観念して隣に腰を下ろした。それでもすぐには話し出せなかった。口にしようとすると途端に悲しみが襲ってくるせいだ。
黙ったまましばらく経った。ロサは促すことも急かすこともせず、ただ静かに耳を傾けている。
あまりに静かで、小さな生き物たちの鳴き声が近くに感じるほど。
クワクワクワ、リンリンリン。
「……カエルが鳴いてる。それに、虫たちも」
「違う。歌ってるんだ」
「歌?」
「そう、歌声。名づけるなら、求愛の歌かな」
改めて耳を澄ませると、ただの鳴き声も歌声に聞こえてくる。そういえば彼も吟遊詩人とか、言ったような。
「ロサも歌を歌うんでしょう?」
「趣味だけどね。でも、ギターが壊れちゃって」
ほら。と、彼は抱えていたギターを見せた。初めて目にする人間の楽器。どこがどう壊れたのか、一目ではわからない。
「ネックが折れてる。弦も切れてるし、これじゃ弾けない」
「もう使えないってこと?」
「直せばまた使えるよ。だけどそれには、町へ行かなきゃ」
そこまで億劫な距離ではないはずだ。行こうと思えばいつだって。
「今はまだ、」ロサは中途半端に言葉を止めた。何か町へ行けない理由があるようだった。
「それで、ニルの話は?」
素早く話題をすり替えられて、私は口籠る。
何が何でも聞く体勢を崩さない。しまいには「夜は長いから」と、草原に寝転んで目を瞑ってしまった。
本当に大した話じゃない。何てことはない。ただ、
「ピアニーに嫌われた」
薄い瞼が持ち上がる。
「……どうして?」
「わからない。もう会いたくないって」
「何かしたの?」
「何もしてない!何もしてないのに、急にっ……」
鼻の奥がツンと刺激を受け、慌てて彼に背中を向けた。
「やっと探し出したのに……」
彼女だと信じて疑わなかった。今だってそう。何かの間違いだと思い続けている。
固く目を閉じて押し止めて。決して溢れないように。
「俺も探してるんだ」
すーっと波が引いていくような感覚。彼の声は私の感情を容易く操る呪文みたいだ。
「……何を探してるの?」
「俺」
「え?」
「俺は何者で、どこから来て、何を望むのか。誰を愛するのか」
ロサは半身を起こして、私と目線を合わせた。
「数か月前、父に聞かれたんだよ。お前はどんな相手なら納得するのかって」
「相手って?」
「結婚相手だよ。今がちょうど適齢期らしい。だけど俺はどんな相手も思い浮かばなかった。早い話が世間知らずってこと。ずっと狭い世界で暮らしていたから、何もわからなかったんだ」
目的もなくあちこちを点々としている旅人だと思い込んでいた。
まさか旅をしながら、自分を探しているなんて。
「でも、そろそろ潮時だな」
「どういう意味?」
「時間が迫ってる。俺には帰らなきゃいけない場所があるから」
「……探し物は見つかったの?」
愚問だ。見つかっていたなら、とっくに旅を終えているはずだ。こんなところで、しがない魔法使いと一緒に道草を食っているわけがない。
「どうかな」答えをはぐらかして、ロサは目を伏せる。
瞼にかかった前髪が光って見えるのは、彼の周りを飛ぶ夜光虫のせいだ。
「あーあ。このまま帰ったら父に叱られるな……」
子供みたいにぼやいたかと思えば、唐突に私の目を覗き込んできた。
「ねえ、クピドって知ってる?」
「……クピド?」
「魔物だよ。いたずらにやって来て、人と人を勝手に結びつける悪い魔物」
「そんな魔物がいるの」
「父が言ってた。いっそクピドに頼んで花嫁を見つけてもらえ!って」
彼の話によると、そのクピドという魔物は透明な矢で心臓を射抜くらしい。射抜かれた2人は自然と惹かれ合い、そのまま結ばれるのだという。
「だけど俺は嫌だ。誰かに仕組まれた運命なんて」
クピドの話をしているのに、なぜだか身につまされる。
「それでも、幸せになれるならいいんじゃないかな」
例え運命を変えることになったとしても、最後がハッピーエンドになれば。
「俺の幸せは俺にしかわからないのに?」
じゃあ、あなたの幸せって?
聞いても仕方ないことを、聞いてみたくなる。
今一番に考えなければいけないのは、私が選んだ人間のことだけだ。最も、その相手には突き放されてしまったけれど。
「ロサ、もし……」
「うん?」
「やっと探し出した物が、遠くへ行ってしまったらどうする?」
彼の答えは一切迷いがなかった。
「追いかける。それが本当に自分の探していた物なら」
沈みきっていた心がふわっと浮き上がる。私が見失っていたのは、自分自身だ。
彼女は私が選んだ人間。清く気高く美しい人間。彼女以外にいないと誓った、あの時の自分を信じなくてどうする。
「そう……そうよ!そうなのよ!」
全身に纏わりついていた陰気を掃うかのように、勢いよく立ち上がった。
「ピアニーに会わなくちゃ!」
彼の傍で丸まっていたロータスを呼び起こし、ピアニーの元へ向かう。その前に―――。
「ロサ」
呆然としている彼と顔を合わせ、強く言い聞かせた。
「何も言わずに帰らないでね」
「え?」
「ロサが旅を終える時は、ちゃんとお別れをしていって」
彼に残された時間があとどのくらいなのか、見当もつかない。もしかしたら明日かもしれない。だからこそ今の内に、言っておかなければならない。
「……わかったよ。必ず会いに行く」
「絶対ね」
「ああ、約束」
当然と言えば、当然だけれど―――人間と約束を交わしたのは初めてだ。
まだまだ謎が多い相手だというのに、彼に対しては疑うことを知らない。彼の人柄がそうさせるのかもしれない。
ピアニーのあばら屋に向かう途中、異様な匂いを感じた。
焦げ臭い、何かが燃えているような匂いだった。
それはあばら屋に近づくにつれ、どんどん濃くなっていく。
「ロータス……あれは何?」
遠くの空がオレンジ色に染まっていた。朝が来るにはまだ早い。魔力も感じない。
あれは、もしかして。
胸騒ぎを覚えながらひた走る。頭に過ぎる可能性を何度も振り払ったのに、悪い予感が的中してしまった。
「ウキャーッ!」
激しく噴き上がる炎、立ち上る黒煙。
あばら屋が燃えていた。
「ピアニー!」
動物たちの姿は既にない。
中に取り残されてはいないだろうか。炎は隙間なくあばら屋を包み込んでいるため、確かめる術がない。
どうにかして火を消さないと。熱風にあてられながら杖を握った。
「どうしてここに来たの?」
聞き慣れた声がして振り返る。
「ピアニー!無事だったのね」
「もう会いたくないって言ったでしょう?」
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
「あなたのせいよ。あなたのせいで家が燃えた」
ピアニーは無表情のまま詰め寄った。
私のせい?
「ウキャ!」
不穏な空気を切り裂く甲高い鳴き声。
ロータスは私の肩から飛び降りると、ピアニーの足に噛み付いた。
悲痛な叫び声が響く。
だけど人間の声ではなかった。ピアニーの体は瞬く間に失われ、残ったのは尻尾を丸めた黒いネコだけ。
「クインスのネコ?」
黒ネコは俊敏な動きで草むらへ逃げ込んで行った。
ピアニーだと思っていたのは、クインスのネコだったのだ。
「あの化けネコ……!」
ふつふつと怒りが込み上げる。だけど今はネコの相手をしている暇はない。
ピアニーはどこにいる?
杖を一振りすると、黒煙は雨雲に変化し、あばら屋の真上に広がっていく。間もなくパラパラと雨が降り始め、時間をかけて炎を飲み込んでいった。
焼け焦げた匂いが充満する中、彼女の名前を呼んだ。
「ピアニーっ!」
何度も何度も呼び続け、心が折れかけた頃、囁かにすすり泣く声を拾った。
声を辿って付近を捜索すれば、少し離れた場合でうずくまるピアニーを発見した。
「ピアニー……」
肩を揺らして悲しみに暮れている。
「……すべて燃えてしまった。家も仕事道具も、父の絵も……」
「どうしてこんなことに」
「あの人よ。私が家を離れた後、森の中であの人を見かけたの」
“あの人”とは、彼女の継母のことだ。そういえばヒキガエルに変えてから三日が過ぎている。
私が魔法をかけたことで、逆に恨みを買ってしまったのだ。
「……私のせい……」
化け猫の言葉は間違いではなかった。
今思い返せば、後先考えない浅はかな魔法だったのだろう。おかげでピアニーは大切な物を失ってしまった。
何て声をかけたらいいか。後悔の念に捕らわれて言葉に詰まる。
「ニルのせいじゃないわ」
ピアニーは泣き腫らした目で私を見上げた。
「だけど私が」
「止めて。ニルまで離れてしまったら、私は本当にひとりぼっちになるんだから」
ふがいない。ピアニーが笑いかける度、自分の未熟さを思い知らされる。私は本当に彼女を幸せに出来るのだろうかとさえ思う。
落ちた両肩を、ピアニーに掴まれた。
「ニル、あなたの家に泊めてもらえない?」
「えっ!わ、私の家?」
「この近くにあるんでしょう?それとも毎晩野宿してるなんてことはないわよね?」
そのとおり。だと答えたら彼女はどんな顔をするだろう。
村に家はあるけれど、人間を連れてはいけない場所だ。それならば、作るしかない。
「わかった!待ってて!」
家を作るには設計図が必要だ。どうせなら頑丈な家がいい。オオカミが襲い掛かって来ても決して壊れない家、となれば壁はレンガがいいだろう。火をくべるための暖炉に煙突。窓は一切曇りのないガラスで、家具付きの二階建て。
頭の中で描いた設計図を元に、枝を集めて模型を作る。これを雑に行うと、耐久性のない家が出来上がってしまう。
慎重に枝と枝を組み合わせ、屋根には葉を並べた。
「いくわよ!」
腕まくりをして集中する。
どうかピアニーに立派な家を。
杖の先から飛び出した魔法が模型に降り注ぐ。
小さな模型は木が育つようにムクムクと大きくなり、私の視界を埋め尽くした。
「……あれ?」
ちょっと全体的に歪んでいるようだけれど、試しに扉を開けてみたら、まぁまぁ想像通りの家が完成していた。
ぐにゃりと曲がった階段の手すりも、まだら模様の壁紙も見方によっては味がある。
「ニル……あなた、こんな力があったなんて」
出来上がった家を前に、ピアニーはあんぐりと口を開けていた。
「これが私の魔法よ。あなただけの」
隙間風も、雨漏りもない快適な家。
暖炉に火を灯した瞬間、ピアニーの顔もパッと色づいた。
「すごいわ……!こんな素敵な家に住めるなんて」
その笑顔と喜びに嘘はないだろう。だけどどんな魔法を使っても、彼女の思い出だけは作り出すことができない。それが悔しかった。