けものフレンズはよくできた異世界モノである
「けものフレンズって、巧妙に隠された異世界モノなんじゃないかって思うのよね」
藍子さんが唐突に切り出した。
「え、けものフレンズ? なんですか? それ」
「葉太郎くん、知らないの? 今放送中の、話題のアニメ。人類が滅亡した世界で、擬人化された動物と記憶喪失の女の子の交流を描く……いや、まだ結末がどうなるかはわからないけれどね」
「はあ……そうなんですか。深夜アニメですか? それ」
「うん。葉太郎くんはアニメとかあんまり興味ないの?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
僕はスマートフォンを持っていないし、深夜ともなると大体姉貴が寝てしまっているから、深夜アニメが放送される時間帯にテレビを点けることはほとんどない。
「じゃあ、いいから黙って聞いてて。そのアニメはね、擬人化された動物がそれぞれ持っている特殊な能力を互いに補完しあいながら様々な問題を解決していくっていう内容なんだけど、唯一の人間である主人公のかばんちゃんは、身体的に秀でたものは何もない代わりに他の動物にはない知恵を持っていて、頭を使って動物達をサポートしていくの。かばんちゃんが出すアイディアは人間ならちょっと考えれば誰でも思いつくようなことなんだけど、動物たちはそれを『すごーい!』って無邪気に褒めるのよね。この構図って、俯瞰で見れば異世界モノと同じだと思うんだよ」
「つまりその、かばんちゃんが異世界モノの主人公の役割を果たしているということですか?」
「うん、そゆこと。人間なら当たり前にできることが、動物たちにとってはすごい行為として受け止められる。異世界モノって、異世界に転生することで特殊な能力を得るっていうものも多いけど、人間界で得た特殊な能力を使って異世界を救う、っていう設定のものも結構多いでしょ? けものフレンズの場合、主人公は特殊な能力すら持っていなくて、人間として生まれた時点で獲得している異常に発達した前頭葉の能力だけで『すごーい!』と褒められる。このことに気付いたとき、私は思わず『その手があったか!』と思ったね」
藍子さんはそう言って、オリーブオイルがたっぷりかかったトマトサラダを口に運んだ。
「なるほど。人間なら誰でも持っている能力でチートができるような世界設定にしてあるわけですね」
僕がそう言い終える頃には、藍子さんはさっき口に含んだばかりのトマトサラダを既に嚥下し終えていた。
「うん。けものフレンズの上手い部分はそれだけじゃなくて、動物達も人間と同じように、生まれつき持っている習性を活かして問題解決に貢献しているところね。例えば異世界モノでは主人公だけがチート能力を持っていて、その設定や世界観に生理的嫌悪感を覚えるような人でも、主人公だけじゃなくて全てのキャラクターが生まれつき素晴らしい能力を持っていて、それを活かして互いに全肯定し合うという構図であれば、それほど違和感を持たない。私がそうであるようにね」
藍子さんは常日頃、僕に対して異世界モノの気持ち悪さを語っている。訊いてもいないし、僕は読んだこともないのにもかかわらずだ。しかし、こういう場合、何も口を挟まずに黙って聞いているのが一番得策だ。
「へえ、なるほど。うまいもんですね」
「それでね、そのけものフレンズには、人類文明の遺した電気バスが登場するんだけど、何の変哲もない電気バスでも、やっぱりその世界ではとても優秀な乗り物として扱われているんだよね」
「電気バスですか……それは、まだ我々の世界では普及していない乗り物ですね。そもそも、電気自動車自体が少ない」
「うん。でもね、前例がないわけじゃないんだよ。たとえば戦時中、燃料不足の解消のために、電気バスが運用されていたことがあるらしい」
「え、そうなんですか? なんだかこう、電気自動車といったら、近未来の乗り物というイメージがありますけど」
「戦後も何度か試験的に運用されたことがあるらしいけど、バッテリーの問題があって現実的には厳しかったみたいね。ここ数年、環境問題を背景に再び電気バスの試験的な運用が始まっている。技術がようやく追いついてきたって感じかな。ハイブリッドカーが大ヒットしたのも記憶に新しいよね。電気スタンドの数との兼ね合いもあるだろうけど、今後はどんどん増えていくんじゃないかな」
藍子さんはそう言って、またトマトサラダを口に運ぶ。僕も同じトマトサラダを食べているのだけれど、彼女はこれだけ喋っているにも関わらず、皿に残っている量はほとんど差がなかった。藍子さんは食べるのがとても早いのだ。
「自動車はどんどん進化していきますね」
「うん。最近は高齢ドライバーの起こす事故が社会問題になりつつあるけど、それもきっと、自動ブレーキシステムと自動運転技術の発達によってそのうち解消されるんだろうな。高齢者に頭が上がらない政治家たちが、重い腰を上げて具体的な対策に乗り出す前にね」
「自動ブレーキシステム、か」
僕の両親は、今から数年前、居眠り運転のトラックに後ろから追突されて死んだ。その時僕はまだ小学生だった。それ以来ずっと姉貴と二人暮らしだ。
もし、あと数年早く自動ブレーキシステムが開発されていたら、そしてそれがトラックに搭載されていたら、と思わずにはいられない。
自動ブレーキシステムを搭載した車が一般的になって、悲惨な事故がなくなるまでに、一体あとどれぐらい時間がかかるだろう。それまでにどれぐらいの人が命を落とし、どれぐらいの人が、僕と姉貴のように家族を失った悲しみを背負って生きていかなければならないのだろうか。
感傷に浸る僕の思考が伝わったのか、藍子さんはしばらく何も言わなかった。ありふれたファミレスの一角、ひとつのテーブルに沈黙が降りる。それまで全く意識していなかった他の客の話し声や、キッチンから聞こえてくる金属音などが突然耳に飛び込んできた。
「でもさ、それも難しいところでさ」
藍子さんが再び語りだす。
「技術が発達したらしたで、今度は人間がそれに頼り切って退化しちゃうんだよね。自動ブレーキシステムがあるから適当に運転しても大丈夫とか、飛ばしても大丈夫とか。技術だってコンピュータだって全能じゃないのにね。けものフレンズの世界観って、結局はそういう最先端技術に頼り切って退化し、堕落した人間が自滅してしまった世界なんじゃないかなって思うんだ。だからね、人間は人間で、そこんところをちゃんと肝に銘じながら、技術と一緒に進化していかなきゃいけない」
「……そうですね」
「ところでね、私、今度車の免許取ろうと思ってるの」
「え、藍子さんが?」
「うん……何? その顔」
藍子さんは、高学歴だし頭もとてもいいけれど、何かに集中すると周りが見えなくなるようなところがあって、車の運転には向いていない性格のように思えるのだ。免許を取ったらきっと車を運転するだろうし、そうなったらきっと僕も同乗させられるだろう。この、僕が一瞬感じた恐怖が顔に出てしまったようだ。僕は慌てて作り笑いで誤魔化した。
「自動ブレーキシステム、早く進化するといいですね」
電気バスに関する記述は限られた制限時間の中で急いで調べた事なので、事実と違う部分があるかもしれません。
また、葉太郎と藍子は拙作『フューネラル』の作中作『スペルバインド』の登場人物です。