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瞬間、リチャードが怒号と共に飛び出してきた。男の前に立ちはだかり、突き出されたナイフを交差させた腕で受け止めた。ナイフはコートを僅かに切り裂いたものの、リチャードの身体は岩のように固く、切っ先が僅かに突き刺さるのみで止まってしまった。男は切っ先が僅かに血に濡れたナイフを見つめ、訝しげに首を傾げる。
「……堅いな」
「はんっ。そんなヤワなナイフじゃあ。俺の腕を貫くなんて、出来るわけがねえなあ。……後ろだ」
リチャードが不敵な笑みを浮かべながら真っ直ぐ男の背後を指差す。ひたすら不審がっていた男は、リチャードの勢いにつられてうっかり背後を振り返ってしまう。
「隙あり」
鋭い手刀が男の手に振り下ろされ、ナイフがポロリと落ちる。そこに立っているのは、黒いコートに身を包み、市章の入った帽子を被る警邏。しかしその顔は、漆塗りの狐面に隠され窺い知ることは出来ない。男は目を見開くと、いきなり表情を歪めて唸る。
「フォックス……貴様が!」
「如何にも。俺が神出鬼没のフォックスだ」
「お前の噂はブラッドローズ様から聞いている。化かしばかりのつまらん男がいると!」
男は懐から新たなナイフを抜き出すと、深く沈み込んで影のようにするすると迫る。狐面の警邏はふわりと飛び上がって男の頭を押さえて地面に叩きつける。
「ぐっ……」
「俺にとっては最高の賛辞だ。狐は化かしが本業だからな」
男は警邏を跳ね上げ強引に立ち上がると、目を剥いて唸り距離を取る。前には狐、背後にはリチャード。完全に挟まれてしまった。男はコートの懐を再び探りながら、二人を睨め回す。焦りが、彼の息を荒くさせた。
「くそっ……貴様ら! 我々憎しの故に大義を見失うか! あの吸血鬼がこれ以上クスリをばら撒いたら、この街はどうなる! 気違いで溢れるぞ!」
男の叫びに、リチャードはなるほどと頷いてみせた。その下では、ぱきぱき拳が鳴らされているのだが。
「確かにやべえな。だが、どんな理屈があろうが人殺しは人殺しなんだよ。その辺を履き違えてるお前の助けはいらねえ」
「おのれ! 我らの崇高な道を遮り、吸血鬼どもに利するか!ならば容赦はせん!」
目を剥いて叫ぶと、男は二本のナイフを抜き放ち、リチャードに向かって駆けだし、顔をめがけて右腕を鋭く振り薙いだ。リチャードは眉間に皺を寄せると、腕を高く上げてナイフを受け止める。男は顔をしかめ、もう一本のナイフをリチャードの目に向かって鋭く突き出す。さすがのリチャードも慌て、刃を素手で掴み取る。
「やめろ! 目を狙うのは卑怯だろ!」
「黙れ!」
男は喚く。リチャードは男の両腕を掴むと、一気に捻り上げた。歯ぎしりする男の目は怒りに塗れ、とても話が通じるようには見えない。リチャードは舌打ちし、後ろの狐に向かって叫んだ。
「もういい、話にならねえぞ」
「そうだな」
警邏は頷くと、背後を晒す男に向かい、鋭く手刀を突き出した。不意を突かれた男のうなじに警邏の手刀が突き刺さる。避けることも出来ずに直撃を貰った男は、あっさりと気を失い、ふらりと崩れ落ちてしまった。
リチャードは手のひらに浮いた血を払い、床に倒れた男をじっと見つめる。
「ったく。面倒かけやがって」
「そうだな。まあ後はこちらで何とかするさ」
(何だ? こいつ? 一体……)
ずっと背後で腰を抜かしていたロブは、狐の仮面を被った警邏に視線を注ぎ続ける。その表情は窺い知れないが、リチャードと何故かにこやかに話している。訳が分からない。そもそも、どうして顔を狐の面で隠す必要があるのか。ロブは訳も分からず首を振り続けることしかできない。
そんな彼には気づかず、リチャードはへらりと笑って彼の顔を指差した。
「ったく。今日は随分手を抜いてやがるな、警邏殿」
「派手に振る舞ったところで仕方ないだろう?」
警邏は肩を竦めると、そっと狐面を外した。その中から現れたのは、正真正銘、本物の狐の顔だ。
「ぎゃあああっお化け!」
ロブは素っ頓狂な声を上げた。狐の頭を持った人間。あまりに面妖な事態に、彼は血の気を失い、そのまま意識を失ってしまった。
(これは、夢だ。これは、夢――)
「いかん。彼の事を忘れていたか……」
エルヴィンはしまったというように目を見開き、額に手を当て溜め息をつく。月に照らされ、その白面は怪しく輝いている。そう。彼は狐なのだ。狐の姿を持つ、一匹の怪物なのだ。リチャードはへらりと笑うと、白目を剥いているロブを見遣りつつ、親友の肩をそっと叩いた。
「大丈夫だろ。お前の事なんか喋れやしないさ。こんなビビりじゃあな」
「それもそうだな」
エルヴィンは頷くと、高らかに指を鳴らす。彼の立ち姿は不意にどろりと溶け、紳士然とした壮年の姿に戻っていった。
胡乱な狐は仮面を被る Fin