page3
「くそったれ!」
リチャードは唸ると、ロブを横ざまに突き倒してエルヴィンと共に身構える。
「探偵。どうやら事は俺達が思っていた以上に深そうだ」
「言われなくても分かってるさ、警邏殿!」
浮浪者がリチャードに向かって飛び上がる。飢えた肉食獣が獲物へと飛びかかるかのように。
刹那、エルヴィンは浮浪者の脇へと深く潜り込み、宙に浮いた足を鋭く蹴り上げる。バランスを崩した浮浪者は、つんのめって無様な姿を晒す。
少し広めにスタンスを取ったリチャードは頭を下にした格好で突っ込んできた浮浪者を全身で受け止め、そのまま地面に叩きつける。
「オゴッ」
キツイ一撃だ。男はブクブク泡を吹くと、そのままぐったりと伸びてしまった。振り返って見ていたエルヴィンは、ピクリとも動かない浮浪者を見遣って溜め息をつく。
「幾ら何でもやり過ぎじゃないのか、探偵」
「手加減はしたさ。腰も痛いし。オーバードースで死ぬ分には知らんよ、俺は」
両手を広げ、悪びれもせずリチャードは答える。血の気が引いて、浮浪者の顔は真っ青になっている。上がり過ぎた血圧が逆に下がっているのだろう。エルヴィンも困ったように耳元を掻くと、そっと浮浪者を横倒しにした。仰向けでは、色々吐いた時にそのまま喉を詰まらせる。
壁に押し付けその姿勢を安定させようとするエルヴィンに、リチャードは苦笑を送る。公務をサボる事には躊躇しないが、命を無碍に見捨てるのは嫌うのがエルヴィンという男なのである。
「お優しいねえ。警邏殿は」
「本当の善人なら病院に連れていくだろうさ。この男にそこまでしてやる気にはなれんがね」
「曲がりにもこいつは俺達を襲ったんだ。それでいいだろ……な、キミ?」
バツが悪そうに肩を竦めたエルヴィンに同調しつつ、リチャードはへこへこその場から逃げ出そうとしていたロブの首根っこを摑まえ再び壁に押し付けた。薬狂いを一撃で沈めてしまうところを見ては、ロブは青くなって縮こまるしかない。
「逃げる必要なんかないだろう。俺達はお前らみたいなクズを助けるために骨を折ってやろうと思っているんだ。少しくらい犯人探しに協力したらどうなんだ」
「わ、分かった! 協力、するから! 手を放せよ!」
じりじりと力を籠められ、ロブは慌てて叫んだ。彼の心の中にはまた別の思いが去来していた。この二人組こそが、クスリの売人を殺して回る殺人鬼ではないか? もう自分が売人だとバレている以上、下手を打てば一瞬で殺されるのではないか?
ロブはもう冷汗が止まらず、纏うぼろがじっとりと湿っていた。
「お前。クスリは何者から手に入れた」
「へえっ? ……何か、よく分からねえ奴が、くれたんだ。タダで。適当に売っていいってさ……アヘンなんかよりずっと効くんだ。それが売り放題だぜ? 飛びつくしかねえだろ」
エルヴィンの刃物のような視線にビビりながら、ロブは答える。ついでに全力で自己弁解をしていく。上手い話があるのが悪いとでも言わんばかりだ。
「余計な話はいい。聞いてると疲れるんだ。年でね」
「えっ? あっ! 悪かった! 悪かったから。どうか……」
「どうか……何だ?」
リチャードは相変わらずロブの襟元を掴んだまま、わけが分からんと首を傾げる。ロブは思わず震え上がった。
(やっちまった! 俺がこいつらの正体に気づいてるって知られたら、俺殺られちまうじゃねえか!)
「どうか……逮捕は……」
慌ててロブは繕う。
「別にアヘンの類を売ることを咎める法は無い。とっとと作ってくれた方がいいと俺は思っているがな」
エルヴィンは何の気も無く、苦々しげに呟く。
(咎める法が無い? それでこいつらは売人殺しをやってるのか? 冗談じゃねえ!)
もう二人組が殺しをしているのは確定事項になっていた。ロブの中にあるのは今をどう切り抜けるかという一点だ。素直に情報を渡さないと殺されるだろう。しかし渡し過ぎたら?
(余計な情報を渡して怒らせたら殺られる! そんなのダメだ! 俺はまだ死ねねえ!)
「あー、何だ。とにかく、そのよく分からねえ奴ってさ、こう、小さくて、すばしっこそうな感じだったりしなかったか?」
ロブは慌てて思案する。今までとは違う、真っ赤なクスリを渡してきたその存在を必死に思い出す。
「ああ、ああ。確かに。確かにそうだ! 何かよく分からねえ格好だったんだよ。背が低くて、まだガキみたいな感じで、だぼだぼの服の上からマント着ててさ! もう少し背が高かったら、吸血鬼かと思うところだったぜ!」
必死にロブは説明する。取りあえず答えられる質問には答えて、ヤバいと思った質問には身を引こう。そんな構えだ。だが、二人は不意に深刻な顔でお互いを見つめる。
「当たりくさいな」
「吸血鬼め。『ブラッドムーン』の量産をついに始めたか」
「面倒増やしやがるもんだぜ。さっさと元を断ちてえな」
「な、何だよ。何だよ……」
早口でやり取りする二人に恐怖を募らす。ロブにとっては何らかの暗号であるように思えてならないのだ。
「なあ。お前ら何なんだよ……」
ロブは声を震わす。そんな時、表通りからの薄暗い光に照らされていた二人の顔に、いきなり影が差した。死刑宣告を喰らったような気になり、ロブはますます血の気を失う。眩暈も起こってきた。
「おい、エルヴィン。また探偵とつるんでるのか?」
「こいつが勝手についてくるだけだ。俺とは関係ないな。一切」
「……わかったわかった。そういう事にしておいてやる」
不意に日を遮った人影が、唸るような低い声でエルヴィンと言葉を交わす。巨漢だ。熊と見紛うほどの。しかしロブの目を引いたのは、彼の帽子に輝いている市章だ。
(こ、こいつら本当に警察と探偵なのか? い、いや。違う。きっとこいつも売人殺しに加担してるんだ。きっと警察全体がグルなんだ。俺達が邪魔なんだ。畜生! どうして――)
ロブの被害妄想は一気に弾ける。もう限界だ。恐怖に耐えかねた彼は、ふらふらとその場に崩れ落ちてしまった。