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「――というわけだ。リチャード」
コーヒーにミルクを注ぎながら、私立探偵リチャードは友人の話を聞いていた。
通り魔の話だ。イーストサイドでクスリを売り捌く不良達が次々に殺されている云々。さりとて、コカインを改良した新型薬物が盗まれたというわけでもない云々……。
黒い制式コートも脱がずにソファでくつろいでいる男――エルヴィンは、ブラックコーヒーを啜りながら、滔々と口を動かし続けていたのだ。
「なるほど。そりゃまた面倒が起きたもんだな。『娼婦殺し』の仕業ってのはまずねぇとして……」
「だろう。被害者は全員男だからな」
互いにコーヒーを飲みながら、二人は気楽な雰囲気で言葉を交わす。片や探偵片や警邏。仲が悪いのがお決まりというものだが、二人はその例に当てはまらない。
「『紅薔薇』のセンも無しか」
「そんな劇的な殺され方はしていない」
「……じゃあ『吸血鬼』も」
「無しだ」
「仕事が増えたか。警察も難儀だな」
ニンブルクイック社の新聞に目を通しながら、リチャードはやれやれと溜め息をつく。『娼婦殺し』、『紅薔薇』、『吸血鬼』。どれもハイプリステス市のイーストサイドで蠢く殺人鬼の通称だ。疲れ切った顔でイスにもたれかかり、エルヴィンはうんざりとした調子で頷く。
「だからお前に話しているんだ。どうせ飼い猫探しくらいしかしてないんだろう」
「失礼な事を言うな。深夜徘徊のばあさん見つけて連れ帰るくらいの事はしてる」
微かに笑った細面の男に向かって、リチャードはムッとして噛みついた。痛いところを突かれた証拠だ。眉間に皺を寄せる彼の方に向き直って、エルヴィンはさらに畳みかけた。
「暇には違いないんだろう? 手を貸せ」
「仕事の依頼なら金がねえと」
「その殺人鬼には懸賞金がかけられる予定だ」
「いいだろう」
リチャードはコーヒーを飲み干すと、新聞を畳んで立ち上がる。彼にしてもスリルが足りなくなってきた頃だ。ついでに金も足りない。
ネクタイの形をふんわり整え、ベストのボタンをきちりと留める。インバネスコートを羽織り、山高帽を被った。
「クスリ周りのトラブルかね。死体の状況は?」
リチャードは鏡の前に立って自分の姿を確かめる。白髪交じりの黒髪に、皺の深い目元に真っ直ぐな鼻筋。幅広でだぶついたコートだが、その体格の良さはそれでも目立つ。
「かなりひどい。頭蓋が砕けるくらい殴られていたり、胸を滅多刺しにされていたりな。一部はもう既に死んでいるのに付けられた傷かもしれんという話だ」
「クスリは盗まれてないんだよな」
「確証があるわけじゃないが、懐を探られた形跡は無かった」
「なるほどな」
リチャードは肩を竦め、一足先に事務所を出たエルヴィンの後を追いかける。サースタウンは今日も平平凡凡だ。それなりに小奇麗な身なりをした人々が、仕事の為に石畳で舗装された道路を足早に行き来している。
新式の乗合馬車も、高らかに蹄鉄を鳴らし闊歩している。二人は目の前に留まったそんな馬車に乗り込み、イーストサイドを目指した。
「そうなると、クスリの売人に対する怨恨っていうセンになるのか」
椅子にだらりともたれかかり、流れていく街の景色を見つめながらリチャードは呟く。サースタウンの人々に恐怖の色は無い。まるで対岸の火事とでもいうように、連日続くイーストサイドの事件を眺めているのだ。
エルヴィンは懐から取り出した手帳を見つめながら、小さく頷いた。
「そうだ。クスリで身内でもボロボロになったんだろう」
「売人も売人でたまったもんじゃねえな。そりゃ」
「さっさと禁止にでもなってくれれば、こっちとしては話が早いんだがな。薬物中毒者は取り押さえるのが骨だ」
エルヴィンはぎこちなく肩を回す。強盗に走ったヤク中を取り押さえようとした時、暴れられて少々痛めたのだ。丁寧に揃えられた口髭が渋い彼の横顔を見遣り、リチャードはへらりと笑う。
「あんまり無茶をしない方がいいな。いい年なんだろう」
「お前に言われるのは納得がいかないな。腰はもう大丈夫か」
リチャードは肩を竦めると、火の点いていないパイプを銜え、顔をしかめた。
「余計な詮索はノーだ、警邏殿」
適当に遣り取りを繰り返しているうちに、次第に建物がまばらとなってくる。
代わりに見えるはニコラウス連絡橋。クリスティア河を横切り、イーストサイドとサースタウンを結んでいるのだ。対岸では、何本もの煙突から絶え間なく黒煙が吐き出され、空が煤けている。
文字通り空気が変わり、意識せずとも二人の表情は硬くなる。丁度乗合馬車も足を止めた。イーストサイドにまで路線を伸ばす物好きはいないのだ。代金を集金箱に放り込むと、二人は揃って馬車を降りた。
「やれやれ。今日は一段と空が汚いな」
「最近晴れが続いているしな。煤が空に溜まっているんだ」
気怠そうにイーストサイドの空を見上げ、二人は大股に歩き出す。黒ずくめでどこか胡散臭さを漂わせる中年男と、紳士然とした緊張感を持つ警邏。奇妙な取り合わせの彼らを、橋の上ですれ違う人々は思わず振り返った。
そんな視線を二人は気にも留めず、橋を渡っていく。
イーストサイドに立ち籠める厄介を振り払うために。