page7
「明らかに喰われたような傷だよな……こりゃ」
警察が周りに集まってくる中、リチャードはじっと女の亡骸を見つめていた。首や腕の肉が引きちぎられたようになっている。
「娼婦殺しがやったわけでは無さそうだな」
エルヴィンも彼の呟きに合わせて頷く。二人の娼婦を、類を見ない残虐さで殺してみせた『娼婦殺し』は、明らかに刃物を使っていた。自分の牙など使っていない。新たに使い始めたとも考えられるが……。しかし厄介になった。リチャードは顎に手を当てて唸る。
「やらしい事しやがるぜ。娼婦殺しが話題になったからって、そいつに丸ごと罪を押し付けようとしてんのかもなぁ」
「……おい、あいつ誰だ?」
非常事態に駆り出されてきたマディソン。警察に構いなく死体を見ているリチャードを指差し、こそこそとエルヴィンに尋ねる。エルヴィンは腕組みし、リチャードの言葉を思い出す。
「名前はリチャード・ワトソン。自称ケチな探偵だ。『串刺し』の方を探ろうと思ってイーストサイドに探りを入れていたらしい」
「はぁ」
マディソンは首を傾げる。黒いコートに黒い山高帽。ついでに返り血もついている。怪しさだらけの格好に、マディソンは眉をひそめる。
「あいつが犯人って事はねえのか?」
「無い。色々あってな。それだけは保障できる」
「というか何でお前はここにいたんだ」
「色々あってな」
憮然とした顔で適当に受け答えるエルヴィンに、マディソンは首を傾げるしかない。酒に酔って赤っ恥かいたことなど、エルヴィンは教えたくなかった。
「おい避けろ、男」
荷台を持ってきた警察が、リチャードに向かって手を払うようにしながら言い放つ。リチャードはぐるりと振り向くと、わざとらしくげんなりしてみせる。
「失礼な言い方すんなよ。これだからみんなお前らの事ああだこうだ言うんだぜ」
「口ごたえするな。さっさと下がれ」
「ハイハイ。わかったよって」
語気を強められたリチャードは、溜め息をつきながら後ろに引き下がった。警察と真っ向からやり合うほど彼もバカではない。警邏達は嘲るような目で彼を一瞥すると、手際良く女の死体を拾い上げ、荷台に載せる。
「明日も聞き込みだな、こりゃ」
ぼそりと呟くと、マディソンは荷台の後ろに手をかける。そのまま病院へ遺体を運ぶのだ。
「後は俺達がやっておくから、お前は帰って寝とけ」
「すまんな」
エルヴィンは軽く頭を下げる。マディソンは構うなとばかりに手を振り、のろのろと荷台を押していった。その背中を見送りながら、リチャードはムッと眉間に皺を寄せる。
「また俺の事を疑ってたな。聞こえてるんだぞ」
「返り血付けた男を疑わないというのも難しいものだ。申し訳ないと思っているんだから、許してくれ」
「仕方ねえなあ」
リチャードは気怠そうに呟いた。エルヴィンはそんな彼の顔をじっと窺う。中々に苦労を重ねてきたと思しき顔だ。怠そうに構えて、のらくらとした態度をとっているが、その目は常に冷静だった。隙らしき隙が無い。
(こいつを敵に回すと骨が折れるな。むしろ味方にするか?)
エルヴィンはこっそり彼へ評価を下し、一人で勝手に頷く。
「ん? どうしたいきなり」
早速リチャードはエルヴィンの様子に気が付いた。特に隠し立てする事でもない。エルヴィンはじっとリチャードを見て答える。
「いや。お前は探偵だと言っていたから、色々考えていた」
「ん? 何をだ。俺に捜査の邪魔をさせない方法か。それなら大丈夫だ。俺はあんたらの邪魔をするような雑魚じゃない」
冗談めかしてリチャードは首を振る。エルヴィンは思わず苦笑する。最初はともかく、疑いが晴れてみるとそれなりに好感が持ててきた。
「なら邪魔したくならんようこっちも努力するさ。……まあ、今回はそういう事じゃないがな」
「なら何だ」
不敵に笑うエルヴィンの事を訝り、リチャードは首を傾げた。エルヴィンは頷き、にやりと笑ってみせる。
「お前をちょっと雇ってみたいと思ったんだ。個人的に」
「はぁっ? 俺を警察の御用聞きにする気か。営業妨害は止めてくれ。客が減る」
「そういう事じゃない。あくまでお前を雇うのは正体不明のフォックスだ。警察が協力を求めに行くんじゃない」
思い切り顔を歪め、嫌そうに呟くリチャードに向かってエルヴィンは堂々と言い放った。彼はやはり不良警邏なのである。自分の正義の為なら、警邏の則をあっさり超えてしまう。リチャードもそんな彼の身の振り方に気付き、帽子を被り直しながら彼の顔を覗き込む。
「……ふむ。なら内容によるな。あと金だ」
「内容は今の女を殺した犯人を捕まえる事だ。ただでさえ殺人鬼が二人も暴れてるんだ。これ以上増やしたくはない」
リチャードは鼻を鳴らす。彼にしても、エルヴィンの誘いに乗らない手は無いのだ。誘いが無くても、彼はどうせ女を守れなかったケジメとして、タダで仕事をするつもりだったのだから。それが金を貰えるっていうのだから、彼は飛びつくしかなかった。
「……なら乗った。助けてくれって頼まれたのに駄目だったんだ。このまま引き下がったら客が減っちまう」
「いいだろう。金ならそれなりに払うと約束する」
二人は頷き合う。
こうして、警邏と探偵の奇妙な戦いは始まろうとしていたのである。