表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/20

第九話 死狼強襲

「シゴオオオオオオ!!!」


「オルマ!! シゴウが!!」


「黙ってろ!! 陣形を崩すな全滅したいのか!!」


 血の雨が降る。

 信じがたい光景。

 仲間の下半身だけがくるくると宙を舞っている。


 詰め物が出るように引きずり出された臓物。 

 それが数秒前まで生きていた人間だとは到底思えなかった。


「エモウス!! 動けぇぇぇえ!!」


 絶叫が体を打った。

 はっと目の前を見る。


 いや、目の前を見上げる・・・・


 頭上に影が落ちている。

 見上げた視界を埋め尽くすような巨体。

 赤く光る双眸の奥に獰猛な感情が見えていた。


(あ……)


 仲間の死。一瞬の動揺。

 終わりは唐突に訪れる。


 大気を引き裂く音がした。

 剛毛に覆われた巨大な前足がエモウスに振り下ろされて――――


「――――っ」


 エモウスの隣を何かが駆け抜けた。


「させるかよ!!」


 男がエモウスの前に立ちふさがる。男は両の指を組んだ手のひらを魔獣に向けて突きだした。


 空間が光を放つ。

 同時、魔獣の前足が光に衝突する。


 放出される莫大な閃光。

 衝撃が大地を揺らし、突風が吹き荒れた。


 スキル『人魔隔壁』

 身を挺してエモウスを護った男は歯を食いしばって重量に耐える。

 空間に生じた障壁がギチギチと音を立てて軋む。


 ――――持ちこたえられそうにない。


「アニスさん!! 無茶で!!」


「エモウス逃げろ!! 撤退を――――」


 スキルを行使する仲間の顔が絶望に染まる。


 魔獣はもう一本の前足を振り上げていた。

 一本でも限界近いのに、そこに二本目が振り下ろされる。


 想像通りの結果が訪れた。


 障壁に亀裂が入り、

 壁があっけなく砕け散る。


「ぐえっ」


 くぐもった声が聞こえ、ブシュッと音がした。

 それをかき消すように腹の底まで轟く轟音が森を揺らす。

 男は魔獣の前足に潰され、地面の染みになった。


 エモウスはつぶされた仲間の最後を見届けられなかった。

 彼は走っていた。

 魔獣に背を向け、全力で。


(死にたくねえ……)


 咆吼がエモウスの背中を追い越した。

 びりびりと響く力の証明を肌で感じながら、エモウスは走り続ける。

 パーティーを捨て、逃げ帰ることに罪悪感を感じない。メンバーは六人やられている。無事なのはエモウスを含め、三人。


 あれには勝てない。

 誰にだって分かることだ。


(なんでだ)


 エモウスの中である疑問が膨らんでいた。


 と、エモウスの前に影が伸びる。

 背中に感じる生温かな息づかい。

 あまりに重い地響きが聞こえていた。


 目だけで振り返る。

 見上げるほどの巨体が大地を駆けている。

 黒い体毛、しなやかな四肢。

 人の胴ほどもある牙に、大地をえぐる極太い爪。


 赤い瞳が爛々らんらんと光る。


 死狼『ウルフカミナ』

 ランクBに分類される四足の大型魔獣。


(なんで……)


 涙がこみ上げる。

 エモウスはあってはならない理不尽に直面していた。


(ウルフカミナは……)


 走る。走る。

 背中の息づかいが近づいてくる。


(ウルフカミナはここまで強くない!!)


 そのとき、大地がぜた。

 ウルフカミナの前足がエモウスの真横に振り落とされた。


 衝撃と突風がエモウスを枯れ葉のように吹き飛ばす。


 視界が暗転する。

 頭を強く打ちつけた。そのまま大地を転がる。

 朦朧とする意識の中で、エモウスは勝利の雄たけびを遠くに聞く。


(畜生)


 もう立ち上がれない。

 酷い耳鳴りの外側で足音が聞こえた。


(畜生。ちくしょ……)


 死の一振りが体をえぐる。

 衝撃と共に命が一つかき消える。










 凶報はギルド支部へ迅速に伝えられた。

 Bランクパーティー『アザト』の壊滅。

 主要メンバーのほとんどが戦死。唯一の生き残りがもたらした情報はギルドを震撼させる。


 ランクA相当の変異種の出現。

 それは『ヘクトールの森』の活性化を示唆する。


 ランクAの不在が痛手だった。

 他支部所属のランクAの派遣も打診しながら、ハクマ支部は動き出す。

 翌日、ギルド館の掲示板に一枚のクエストが貼られた。


 緊急クエスト『紅眼のウルフカミナ』


 討伐隊の編制が急がれた。

















 外から鳥の鳴き声が聞こえる。

 少し明るくなった室内。閉ざした雨戸から光が差し込んでいる。


 ラフィータは寝台に横になっていた。


(どうする……)


 答えの出ない自問を幾度無く繰り返している内に、夜が明けてしまった。


 隣部屋で冒険者が支度をする物音が聞こえる。

 ラフィータの部屋の前を誰かが通過する足音も。


「…………」


 ラフィータは起きる気にならなかった。

 かといって眠気があるわけでもない。彼はただ時間を無為に過ごす。


 先日、食事を共にしたエルメスから噂を聞いた。

 カルーラ=ガロンの処刑が実行されたらしい、と。


 衝撃を受けた。青天の霹靂とはまさにこのこと。


(なぜ……。罪状はあの晩の出来事のはず。軍兵への暴行、それだけで死刑が実行されるなんて。余罪があったのか。それとも何か、僕の知らない内情が……)


 ラフィータは戸惑っていた。

 端的に言えば、この支部に身を置く意味がなくなった。


 ラフィータがハクマ支部にとどまる理由はカルーラ=ガロンの抹殺にある。

 それが軍の手で済まされてしまった今、本来なら旅を再開しなくてはならないのだが……。


 ラフィータは自分の腕を見る。

 マナを意図的に操作すると手のひらに黒く禍々しい痣が浮かび上がった。それは魔法陣の形をなしており、一つが浮かんでは消え、また別の魔法陣が浮かび上がってくる。


 ラフィータは以前、アーサに『伝染病』と説明したことがある。

 進行するに従い人格を呑み込んでいく精神の病。


 この病の特殊なところは感染の仕方にある。

 病に侵された人間が殺されると、殺した人間に病が感染る。


 人間が人間を殺すと、殺された人間のマナが殺した人間に譲渡される。冒険者が魔獣を殺してマナを得るのと変わらない。ラフィータの持つ病はこのマナの譲渡に乗じて伝染する。


 問題はここから。

 この病をカルーラ=ガロンも所持している。


 ラフィータがカルーラ=ガロンを抹殺しようとしたのは、この危険な伝染病を『回収』するためにほかならない。もちろん他にも幾多の私情をはさんではいるが、表だっての理由はあくまで病の回収なのだった。


(カルーラの保有するマナを軍がみすみす無駄にするとは思えない。むしろそれが目的で処刑を断行した……? 短慮にすぎるか。ともかく死刑執行人に選ばれた者がカルーラのマナを吸収したとすれば、病が伝染することは十分に考えられる。パーティー系の術式を組んでいたら、複数人に伝染した可能性も……。どうする。軍に潜り込むにも伝手つてがない。情報を得るにも金がいる)


 ラフィータのついた小さなため息が、静まりかえった室内にむなしく響いた。


「ん……。むぅ……」


 ラフィータの背後で声がした。

 同時に髪を引っ張られる感覚を覚える。


 上半身をわずかに起こし、背後をちらりと見る。

 ラフィータのすぐ隣で猫耳の少女が寝息を立てている。室内にベッドは一つしかなく、手狭な一人用のそこに二人は身を寄せて眠っている。


「はむ、む……」


 アーサはラフィータの髪をしゃぶっていた。


「おい!」


 ラフィータは思わず飛び起きようとしたが、彼にきつく抱きついたアーサの腕がそれを許さない。


「まったく……」


 アーサの口元に手をやって口を開かせる。そのすきにラフィータが自分の髪を静かに引っ張る。

 たびたびあることだった。目覚めたら首筋を甘噛みされていたこともある。そのときはさすがに叫び声を上げた。


(今思い出しても寒気がする)


 と、アーサが険しい顔をした。

 ラフィータが彼女から離れようとすると、彼女は眠ったままでも腕に力を込めて抵抗する。


「人を湯たんぽか何かみたいに……」


 ラフィータはため息を吐きつつアーサの方に向き直り、ゆっくりと体を横たえた。

 すやすやと眠るアーサの顔を見つめる。どこまでも幸せそうな寝顔だった。


「マス、ター……」


(何はともあれ、まずはアーサのレベル上げか……。それから先は、情報を手に入れてから、考えるとして……)


 ラフィータは眠気を感じた。

 目の前でアーサに気持ち良さげに眠られて、感化されたのかも知れない。


(とりあえず、寝よう……)


 ラフィータは目を閉じて、思考を意識的に停止させる。

 眠気に身を任せて数分後、寝台の上の二人は仲良く寝息を立てていた。


















 ラフィータは戸を叩く音で浅い眠りから覚めた。


「客だ」


 戸の奥からそんな声が聞こえた。聞き慣れたしゃがれ声。愛想のもへたくれもない声音は宿の主人のものだとすぐ分かる。

 主人はそれだけ言って階下に下がっていった。戸を開けることすらしない。ラフィータは中に自分がいなかったらどうするつもりなのだろうと場違いなことを考えた。


「客……」


 キースは現在ハクマ支部にいない。

 冒険者ギルドの依頼は基本的に『まり』における仕事になるが、溜まりの外で発生する害ある魔獣や、監視の目を逃れて溜まりから脱走した攻性魔獣を狩る仕事が舞い込むこともある。

 キースはソロの冒険者であり、その身軽さを生かして溜まり外でのクエストを受け持つことが多かった。今も、付近の農村で暴れている攻性魔獣を狩りに出かけているところだ。明日には帰ると言っていたが……。


「エルメスかな……」


 アーサを揺り起こし、自分は軽く身支度を調える。

 寝ぼけまなこでふらふらしているアーサに声をかけ、ラフィータは部屋の戸を開けて階下に下っていった。


 待っていたのは男のギルド職員だった。

 職員の話を聞くうちにラフィータは険しい顔になり、最後にはげんなりと肩を落とした。


 緊急クエスト。

 討伐隊の編制。

 強制召集。


 ラフィータはあくびをかみ殺しつつ、職員に渡された書類にサインをした。


















「以上が現在ヘクトールの森が置かれた状況である。変位種には監視をつけている。現在のところ、かの魔獣は森の第四層付近をたむろしており、浅い層に移動する気配を見せていない。かの魔獣を森の外に逃がせばおのずと大惨事になる。集まってもらった諸君には期待している。無論、ギルドとしても協力は惜しまない。必要な物資、資金などは可能な限り融通しよう」


 支部長リルオネが招集された冒険者に話を聞かせている。態度は様々だ。熱意に燃える者、青い顔で怯える者、興味を示さない者、はなから話を聞いていない者。


 そうそうたる顔ぶれだった。

 ランクBパーティーが三つ。

 『姫とほむら』、『滅火のルイン』、『ヘルソー・ブレイダ』


「報酬ー。どうなりー? いなり寿司ー?」


『ヘルソー・ブレイダ』から質問が飛びだした。


「ぶ、分配方式をとる。金額は明日中に提示させていただく」


 ポマードで固めた頭髪をいじりながらリルオネは口早にそう言った。


「あ、うおい! なんで俺らがこいつらと同じ額でかり出されなきゃなんねんだ! 大概にしろよ禿げゴラァ!!」

「んだんだああ!! このゴミ屑どもと肩を並べるってだけで不快なのによおおおお!!」

「良きように取りはからってもらえますよねえええ!!??」

「お願ーい……。……。しまああああああああああああすゴラアアアア!!」


『ヘルソー・ブレイダ』のメンバーが騒ぎ出した。


 もともと問題行動の多いパーティーで有名だった。暴力行為を好み、規約違反を平気でしでかす。


(こいつらはいつもいつも……)


 支部長はこめかみを指で押さえる。

 ハクマ支部屈指の問題漢たちだが、もちろん実力はそれなりに伴っている。

 この支部に傘下のパーティーを従えて、現在は他支部にも勢力を伸ばしている。


「黙らんか!!!」


 大喝。

 一瞬で静まった室内。

 室内の視線が一人の男に向けられる。


 白髪の目立つ初老の男性。腕組みをして仁王立ちをしている。

 『滅火のルイン』のリーダー。オルグラッド=アレイソン。

 ハクマ支部創設以前は南方のヘゼスターブ支部で活躍していた。義に厚い性格を好まれて若いうちからパーティーリーダーをつとめている、歴戦の猛者である。リルオネに言わせれば少し頭の弱い部分はあるものの、年季の入った指揮能力は素直に認められる美点だ。


「んだってんだ、じじいゴラア!! ごま豆腐みてえな髪してやっからにょおおおお!!」


「うるせえごろつき!! 叫ばずに会話できねえんだな!!??」


 ヘルソー・ブレイダのメンバーは互いに顔を見合わせた。

 そして一斉に一言。


「「「「「テメエも叫んでんじゃねえかゴラアァァァァァァァアア!!!!」」」」」


 罵りあいが始まった。


「諸君!! 静粛に!! 静粛に!!」


 リルオネが手を叩きながら声を張り上げるも、怒声が治まる気配はない。

 彼は一つため息をつく。


(放っておこう)


 リルオネは二集団のいざこざに見切りをつけ、ある場所に足を向けた。


 リルオネが立ち止まる。

 彼の目の前に一つの集団があった。


 集団は皆、赤系統の防具で身を固めている。

 そして、周囲に立つ数人の男をよそに一人椅子に座り、優雅な手つきでカップソーサに口をつける女がいた。


 異形の女だった。


 伸びた銀髪を押し分けて、頭部に二本のねじ巻いた角が生えている。こめかみから首の下まで皮膚が赤い鱗に覆われていて、露出した腕から手の甲までも同様に赤い鱗が目立っている。


 長く伸びた銀色の髪は広がりすぎずまとまっていて、くせのある毛はわずかにカールしている。

 高い鼻梁、翡翠色の瞳。彼女の人並み以上に整った容姿は男の目を引きつけた。


 女はリルオネをじろりと一瞥する。

 とても好意的とは言えぬ視線を浴びて、リルオネは萎縮しそうになる。


「何用かしら、リルオネ支部長」


「ああ、『琥珀こはくノ王』。実は君に合わせたい人物がいるんだ」


 目の前の女、名を『琥珀こはくノ王』と言う。

 ランクBパーティ『姫と焔』のリーダーにして最高戦力。

 その正体は半竜人。ドールとの間に成された半人族が蔑まれる傾向にある中、半竜人は少々特殊な立ち位置にある。多くの地方で神の化身として崇拝されており、『琥珀ノ王』のように周囲に信者を侍らせて生物大陸を遊楽する者も珍しくない。


 ハクマ支部での実力の序列はカルーラ=ガロンに次いで二位。つまり、現状ではハクマ支部のトップに位置する。宗教的な求心力もあって、勢力下にある低ランクパーティーも数多い。


 琥珀ノ王はリルオネに冷たい視線を送り続ける。


「ここは少々騒がしい。移動しないか。合わせたいという人物も別の部屋に待たせている」


「それについては構いませんわ。ただ、わたくしの時間を貸し与えるのです。もしもつまらない者なら……」


「大丈夫だ。君も気にいると思う。ついてきてくれ」


 琥珀ノ王が椅子を引いて立ち上がった。


 リルオネは琥珀ノ王を連れて部屋のドアに向かう。

 『姫と焔』のメンバーは折りたたみ式のテーブルと椅子を手早く片付けて、琥珀ノ王の後を追う。


















「やあ、待たせたね」


「いえ、美味しいお茶もいただいているので」


 リルオネが部屋に入ると、一人の少年がソファーから立ち上がった。


 線の細い少年だった。背はあまり高くない。

 幼さの残る顔立ちは目を引く綺麗さで、思わず少女と見まがうほどだ。凜とした碧眼に背中まで伸びる金髪も合わさって、どこか物語の中の人といった印象を受ける。


 初めて彼と会ったときリルオネは我が目を疑った。とても冒険者などには思えない。どこぞの貴族の御曹司がおふざけで冒険者のまねごとをしている。そう言われたらリルオネは一も二もなく信じ込んだだろう。


 リルオネは少年と対面のソファーに座った。

 その隣に琥珀ノ王が座る。二人の間には少し距離があった。


 少年もまたソファーに座り直した。

 白髪のドールがそのすぐ後ろにぴたりと立つ。


 琥珀ノ王が少年をじろりと見る。

 不躾な視線が少年を刺すが、彼は無表情のままそれを受け止めている。相手が誰なのか分からないわけではあるまい。たいした肝の据わり方だとリルオネは思った。


「琥珀ノ王。紹介しよう。彼はラフィータ=クセルスアーチという。ランクはDだが、表層レベルは81と非常に高い。噂は聞いているかな」


「少しなら耳にしていますわ。クエスト詐欺、運び屋への隠蔽。真実のほどは存じませぬが、あまり芳しくはありませんわね」


「…………。あ、ああ。で、ラフィータ君。彼女のことは知っているかな」


「もちろんです。『姫と焔』のリーダーにして最高戦力。『琥珀ノ王』殿を知らぬ冒険者はおりません」


「あら、嬉しいですわ」


 琥珀ノ王がにこりと笑う。

 リルオネはその笑みを横目で観察した。

 彼女の考えていることがまったく読み取れない。この少年に対し彼女が何を思うのか。


 リルオネ個人としてはラフィータを『姫と焔』に加入させる方針で動いている。ランクAになかなか手の届かない『姫と焔』への起爆薬として少年を投入する。その思惑が場にいる二人に見透かされているのかは定かではないが。ともかく二人には今回の緊急クエスト以後にもよろしくやっていただきたいのだ。


「ラフィータですわね。リルオネから話は聞いていて?」


「はい。『姫と焔』に一時的に加入させていただくことになりました。短い間ですが、よろしくお願いします」


 ラフィータが座したまま頭を下げる。


 琥珀ノ王は右手の親指に口をつけたままラフィータを見すえていた。それはラフィータが頭を上げてなお続く。見つめ合う二人、言葉はない。


 二人に会話する意思なしと見たリルオネがこの顔合わせを不毛にしない為に口を開きかけたとき、


 突如、琥珀ノ王の腕がかすんだ。


 疾風が巻き起こる。

 卓上に置かれた書類が吹き飛び―――――はらりと床に落ちた。


 リルオネが気づいたとき、琥珀ノ王は腕を振り上げた状態で静止していた。

 終始、何が起こったか分からない。


「ちょっとしたテストですわ」


「私は魔法使いなのですが……」


 リルオネはラフィータの方を見る。そして絶句した。


 ラフィータが腕を顔の手前にかかげていた。

 その指の間に二本のナイフがはさまっている。


「結果のほどは」


「上々ですわ。ふふ、うふふ」


 琥珀ノ王は口元を手で隠しながら、肩を揺らして楽しげに笑った。

 珍しい表情だった。彼女は目元を細めてラフィータを見ている。


 と、それが一転、


「リルオネ、お前はもういいですわ」


 琥珀ノ王がそう言った。


 リルオネは横の半竜人をまじまじと見つめた。


「聞こえないの。出て行けと、そう命じたのですわ。他のメンバーも退出してくださいまし」


 琥珀ノ王の取り巻きがざわつく。

 しかし琥珀ノ王が強い視線を彼らに送ると、彼らは無言になって部屋のドアに足を向ける。


「は、話があるのなら、私も……」


「お前には関係がありませんわ」


「わ、私はこのギルドの統括!!」琥珀ノ王がリルオネを一にらみする。「―――だ……ぞ……う」


 リルオネはひどい圧迫感を感じた。喉が収縮し、呼吸がうまくできなくなる。


「く、この、うぅ……」


 リルオネはしぶしぶ立ち上がり、琥珀ノ王の取り巻き同様、部屋のドアに足を向ける。


 ドアの取っ手に手をかけながら、視線だけで背後を見る。


 優雅な手つきでカップに口をつける琥珀ノ王。

 そして、突然の展開にも顔色一つ変えずテーブルを見つめている少年。


(私が設けた顔合わせの場だぞ……。それを……)


 面白くなかった。

 部屋を出たリルオネはドアの向かえの壁を強く蹴りつけた。


















 リルオネは気づいていなかった。遠目だったから仕方がない。


 ラフィータは動揺していた。


 まず支部長に連れられて入ってきたのが半竜人だった段階で、喉がきゅっと締められる感覚に陥った。

 パーティーに仮所属すると言われ、無難に『滅火のルイン』あたりだと思っていた。

 聞いていない。『姫と焔』なんて聞いていない。


 ナイフを投げられたときは肝を冷やした。

 自分がよければ背後に立つアーサに当たる。手で掴むよりほかない。そう判断してから実際にナイフを掴むまでどれだけの時間があっただろう。怪我がなかったのは僥倖と呼べる。


 そうして跳ね上がりかけた心臓を落ち着かせる間もなく、目の前の女は今度は二人きりで話したいなどとのたまうのだ。


(この女は……)


「では、何から始めましょう。ねえ、期待の新人さん」


 琥珀ノ王が笑いかけてくる。

 その魔女のような笑みがラフィータを威圧する。


「琥珀ノ王殿は内密なお話をお望みですか」


 ラフィータは乾ききった口内で必死に舌を動かす。

 元来、感情が表に出ないタイプの人間だと自負している。

 それでも、この状況で冷静さを保つのには心を折った。


 当たり前だった。

 相手は大陸に広く根付く宗教の象徴的存在である。冒険者に身を落としてなおその立ち位置は揺るがず、おもむいた各地で司祭としての振る舞いを求められることすらある。


 琥珀ノ王と敵対するのは得策ではない。

 神敵になるのは御法度。それだけは常に考えていた。

 しかし、現状は想定の範囲外だった。

 目の前の女は望んで二人きりの会談の場を作り上げた。

 取り巻きはおろか、支部長まで排除して。


(何のために)


 理由が分からない。分からないのは嫌いだ。


(何を考えている)


 目隠ししたまま大きな流れに飲まれるのは避けなければならない。

 ラフィータは軽く息を吐き、心を落ち着かせた。


 と、琥珀ノ王が返事を返してきた。


「ええ、内緒の話がしたかったのですわ。でも、それはまた後で。

 もともと、お前には興味を持っていましたの。先ほどのテストは実力を測るため。少なくとも、レベルに見合った強さを持っていることは分かりましたわ」


「実力は……、はい。それなりには自負しております」


「うふふ。それで、お前にますます興味が湧きましたわ。ねえラフィータ、噂に聞けばライバーホークを単独で撃破したとのこと。そのときのお話、聞きたいですわ」


 当たり障りのない話題だ。

 これからパーティーを組む間柄にあって、互いの実力を知ろうとするのは当然。


「そうですね……」


 ラフィータは語り出した。

 始まってしまった話の行き着く先など、このときのラフィータには知るよしもない。

 時刻は昼時前。

 狩り場を制限された冒険者達の怨嗟の声がハクマの街にあふれていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ