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第四話 神へ至らぬ閃光

 全ての始まりと、終わりの鐘が鳴り響く。


 目の前に少女が横たわっていた。

 血に染まる地面。赤いまだらと、死人のように青ざめた肌。


 少女の名を叫ぶ二人目の少年。少女にかけよるもう一人の少女。


 一人目の少年が膝から地面に崩れ落ちる。

 底なしの沼に飲まれていく。心が砕け散っていく。


 ふと気がついたとき、少年のそばに生き残った二人がいた。

 少年は彼らと共に空高く片腕を掲げていた。


 顔を見合わせた三人。突き合わされる手のひら。

 その小さな三角推の内側で、彼らは自分への呪縛を宣誓する。


「憎悪、癒えぬ憤怒が鉄槌を下す!!」

「正義、贖いという名の断罪を!!」


 少年は何を言えばいいのか分からなかった。

 二人がこちらを見てくる。

 彼らに名を呼ばれる。


 どうでもよかった。

 心は海に溺れている。誰の声も響かない。

 何も、したくない。分からない。もう何も分からない。


 少年は知った。

 本当に絶望したときは、死にたいとすら思えない。


 言葉は口をついて出た。

 その言葉に意味はない。

 無意識に放たれたその言葉は本能が喋らせたわけではなく、ただ少年の体に染みついた社交術が機械的に述べさせただけで。


「復讐、終わりなき怨嗟に終焉を」


 彼は嘘をついた。

 いや、嘘ではなかったけど。

 でももっと根本的な部分で、彼らは分かり合えていなかった。


 誓いはすんだ。

 戦いの日々が始まる。

 幸福に唾を吐き捨て、黒ずんだ水に体を浸す修羅の日々が。


 都市の路地裏を元気にかけ回った少年の姿はもうない。


 心は失われた。少年は死んだ。

 そこにいるのは別のなにかで。


 少年は空を仰いだ。

 黒塗りの空。冷たい雨が降り注ぐ。


「こんな世界を、誰が望んだ……」


 突風が言葉をかき消す。

 過去だけに涙を流す、人もどきと成り果てた少年。


 吹き荒ぶ風が教会の塔に打ちつける。


 遠く遠くで鐘が鳴る。

 始まりにして終わりを告げる、絶望が産声を上げた瞬間だった。


















 ラフィータははっと目を開けた。


 荒い呼吸。汗でぐっしょりと濡れた体。

 乾ききった喉がひりついて痛い。


 あたりを見渡す。

 室内は暗がりに閉ざされていた。夜はまだ明けていない。


「ん、ん……」


 寝息が聞こえた。

 横を見れば、猫耳の少女がすやすやと眠りについている。


 ラフィータは自分の胸に置かれた少女の腕を振り払い、上半身を起こした。


「また……」


 夢は何度も繰り返す。

 忘れられぬ過去。囚われの心。


 その全てを清算するため旅に出た。

 いまだ望みは叶えられていない。


 ラフィータは寝床を抜け出す。眠る気にはなれなかった。


「んん……」


「…………」


 寒そうに丸まった少女に布をかけ直してやった。

 その赤みがかった白髪を優しく撫でてみる。

 彼女の寝顔を見ていると、不思議と心が落ち着いた。


「やるか」


 少年は椅子に座り、テーブルの上に置かれた鉄板に手をかざす。

 鉄板に体内マナが流れる。それを魔法陣の形に整えていく。


 魔法の訓練は朝方まで続けられた。


















 ラフィータ=クセルスアーチ

 表層レベル54

 潜在レベル40


(昨日の一日でこれか。『ヘクトールの森』、なかなかにマナを稼ぎやすい)


 ギルド職員から手渡された紙に目を落とし、ラフィータはうなずく。


 フィジーズ十三頭から放出されたマナがラフィータの体内に蓄積されたのだ。ドールであるアーサとはほぼ半々でマナが分配されているため、それを加味してこのレベルの伸びは素晴らしい。


「なんとか、れべ、る?」


「レベルは読めるようになったのか。こっちは『ひょうそう』って読むんだよ」


「ひょうそうれべる?」


「うん。表層レベルは個人が保有するマナの総量を表す指標だ。レベルが高いほどマナの総量が多い」


「では、こちらの……」


「これは潜在レベル。アーサ、たとえば僕が魔法を使い過ぎて、マナが全て無くなったらどうなると思う」


「倒れます?」


「いや、倒れない。その場合には表層レベルがゼロになる。

 そしてここからが大事なんだけど、マナが枯渇した状態では僕の体細胞がマナを蓄えようとやっきになるんだ。で、やっきになった細胞は空気中からマナを補給しようとする」


「細胞が……空気中から、吸う?」


 アーサは目を白黒させている。

 あとで聞いたところ、体のいたる所に大量の口があると想像していたらしかった。


「そんな感じかな。でも、細胞は無尽蔵にマナを吸い込んでくれるわけじゃない。上限がある」


「あ、それが潜在レベルですか」


「うん。マナの枯渇した人間は潜在レベルまでのマナは自給できるとされている。ただしマナが満タンになるのにはかなりの日数がかかるから、マナを自給するなんて夢物語。素直に魔獣を狩った方が早い。へまをして表層レベルが下がりきったときくらいかな。恩恵があるのは」


 そのほかにも、潜在レベルは個人が操作できるマナの操作量に深い関係を持っている。

 潜在レベルが高いほど多量のマナを一度に操作できる。肉体強化、皮膚硬化、自然治癒、魔法防御などマナの使い道は様々ある。それらの効果をより引き出せるようになるという点で、潜在レベルは個人の強さを測る度合いと見なされることが多い。


「潜在レベル……を伸ばすには、どうしたらいいのでしょう」


「単純だよ。表層レベルが潜在レベルを上回っていたら、潜在レベルは自然と上がっていく。許容量以上のマナに侵された細胞が、時間をおくごとにマナに適応して発達していくんだ」


「私の体もそうなんですか」


「うん」


 アーサは自分の腕をつねっている。


 そんなアーサを見ているうちに、ラフィータは昨日の事件を思い出した。

 アーサがラフィータに抱きついてきた一件だ。


 あのあと何故あんな事をしたんだとアーサを問い詰めたが、結局ラフィータはアーサの弁明を理解できなかった。


 アーサはあの女(リクシルというらしい)に体をさわられるのが嫌だったらしい。それは分かる。明らかに嫌そうな顔をしていたから。そしてアーサは次にこう述べた。さわられるのが嫌だったから、だからラフィータに抱きついたんだと。


 分からなかった。


 ラフィータに抱きつけばリクシルにさわられずにすむと思ったのかと聞けば、そうではないと言う。

 さわられるのが嫌で、嫌だと思っていたら突然マスターに抱きつきたくなったと言う。

 もう分からない。

 アーサですらよく分かっていないらしかった。ラフィータは理解を諦めた。


 とりあえず人前で抱きつくなと命じてみると、アーサは渋い顔をした。

 昨日といい、アーサが命令に対し反抗的な態度を取るのは初めてのことで、ラフィータは本当に困惑した。


 その場ではきつく言いつけることでアーサを納得させたが、不安の種は今なお消えてはくれない。


「ラフィータ! こっち、ここ! 一日ぶり! 元気?」


 と、ラフィータに声をかけてくる人物がいる。


 ギルド館の人混みをかき分けて、黒い猫耳の男が姿を現す。


「アーサちゃんおはよう!」


「おはようございます」


「おはようキース、おかげさまで元気だよ」


「ラフィータ、さっそく噂になってたぞ。ランクEの新入りがサクラオオヤシの収集クエストに単独で挑んだって。俺は噂の真偽を確かめたい」


「キース、声が大きい」


「あ、ごめん。で、どうなの」


「挑んださ。運良く魔獣がいなくてね。日が暮れる頃には帰還できたよ」


「へえ?」


「……立ち話で話せるほどのことじゃない。今度詳しく話す」


「うんうん。楽しみ楽しみ」


 キースは肩を組んでくる。

 機嫌良さげに笑うキースを見ていると全ての悩みが些事のように思えてこなくもない。


「ところでお前、今日はどのクエスト受けるの? それとも報酬を受け取りに来ただけ?」


「クエストは受けるよ。これ」


 ラフィータは一枚の紙を広げてみせる。


「エイジクロウの討伐かー。俺もやったっけ、懐かしいな。どんな魔獣か知ってるのか」


「ある程度はね。毛むくじゃらの鳥だろう。糸で巣を作る」


「うん。あの巣が寝やすいんだよなあ。前に爆睡して、あやうく喰われかけたっけ……」


 と、遠くでキースのことを呼ぶ声がした。


「やば、行かなきゃ。じゃね、ラフィータ。ソロ奉行頑張って」


「うん。キースも気をつけてね」


 キースが人混みに飲まれていく。後ろ歩きをしながらラフィータに手を振って、それでいて誰にもぶつからない。器用な男だとラフィータは思った。


「さ、行こう」


「はい」


 ラフィータは受付に向かう。

 クエストの受領証と納入印紙を受け取り、彼はアーサと共に『ヘクトールの森』の入り口に急いだ。












「エイジクロウだろ、三匹。何でお前、こっちから入ろうとするんだ」


 森の入り口に設けられた建物の中でのことだ。

 例の『運び屋』がラフィータに渋い顔を見せてくる。


「西からでいいじゃないの。たしかあっちにも生息してたはずだ」


「南から入ることに何か問題が?」


「お前、知らねえの? 『ゼブラ』の話。南のエイジクロウと生息域がかぶってるだろ」


 『ゼブラ』。ランクBに分類される大型魔獣の一つ。

 現在、低ランクの冒険者は『ゼブラ』の活動域の外で仕事することを余儀なくされている。かの魔獣にうかつに近づけば秒単位で抹殺されることは必至である。


 しかしラフィータは譲らない。


「知っています。恐るるには足りません。あの魔獣は決まったルートのみを徘徊しますので」


「そりゃそうだけど、よう。う~ん」


 親父が困り切った表情で頭をかいている。

 運搬用のドールが『ゼブラ』と遭遇する可能性を考えているようだった。


『ゼブラ』の徘徊ルートは大体決まっている。ただし、どの時間にどの場所にいるかについては予測との誤差が生じることがしばしばだ。


「安心してください。『ゼブラ』の位置を把握した上で信号を送ります」


「んー、分かった……。めんどくせえなあ……」


 親父はふくらんだ腹をぽりぽりと掻きながらため息をついた。


 クエスト受領証と納入印紙がラフィータの手元に帰ってくる。

 通信用の腕輪を受け取り、ラフィータは踵を返して出口に向かう。


「もう間もなくだろ、上位ランクに『ゼブラ』の討伐依頼が出されるの。何でそれまで待てないかねえ」


 親父の愚痴を背中で聞きながら、ラフィータはギルド館をあとにする。


 扉をぱたりと閉めた途端、魔獣の住まう森から吹いた風がラフィータの金髪をはためかせた。


「討伐依頼が出されたらランクEは指を吸って見ているしかないじゃないか」


 口元をわずかに歪ませて、ラフィータは森へと一歩踏み出す。


 報酬などどうでもいい。

 より早く、より高いレベルへ。

 今日もまたラフィータのマナ稼ぎが始まる。













「アーサ、見えるか」


「何かがキラキラ光っています」


 二人は茂みの中からある方向を見つめている。


「何でしょう。クモの巣みたいな。でも、大きい……」


「そう、あれがエイジクロウの巣だ」


 二人は草の生い茂る森の一角を見つめていた。そこは大きな木が生えておらず、密林じみた森の中でぽっかりと開けた空間となっている。

 その空間の真ん中に、エイジクロウは透明な糸を使って巣を作り上げていた。木の幹や地面の茂みを利用して出来たそれは、一見して巨大なクモの巣のようである。


 ラフィータは危険の有無を確認した後で茂みから出て、エイジクロウの巣に近づいていった。


「アーサ、来てごらん。転んで巣に引っかかるなよ」


 アーサがラフィータのあとに続く。

 アーサはエイジクロウの巣をしげしげと見ている。


 と、ラフィータが見ている前で、アーサが糸にそっと手を触れた。

 糸がアーサの手にくっつく。彼女は手を引いて糸の粘着性を確かめていた。


 そんなアーサの表情がじょじょに険しくなっていく。彼女は腕をかなり強く引いているが、糸は手に吸いついたまま離れる気配を見せない。


「やっ、これ取れません!」


 焦るアーサの様子を見て、ラフィータは小さくため息をついた。


「新米の低レベル冒険者がよくこれに引っかかって、身動きが取れないまま魔獣に襲われるんだ。で、襲った魔獣も巣に引っかかって仲良くエイジクロウの腹の中、っていう話をよく聞く。アーサ、大丈夫だから、じっとしてて」


 ラフィータは背嚢の中から瓶を取りだした。


 瓶の中には緑色の液体が入っていた。ラフィータは液体をスプーン一杯分だけ手のひらに垂らし、それを手先によく馴染ませる。液体はぬるぬるした肌触りをしている。油をさわっている感じに近い。


「身体強化すればなんとか引きちぎれるけど、巣を壊すわけにもいかないからね。今回はこれを使う」


 ラフィータは液体を塗り込んだ方の手でアーサの指先を触る。糸と皮膚の接着面を重点的にさわっていると、アーサの手が糸からぱっと離れた。


「ベッコウっていう魔獣の体液を何倍にも薄めたものだ。いわゆる洗剤液」


「ぬるぬるしてます……」


「害はない。知らないものに無闇にさわるとそうなる」


「ごめんなさい。クモの巣くらいの粘着力だと思ってました……」


「勉強になったろう。……さて、アーサ、ちょっと下がってて」


 ラフィータは懐から小さな紙片を取り出した。手のひらサイズのもので、黒いインクで魔法陣が書かれている。

 彼はベッコウの体液をおさめた瓶を掲げたまま、紙片を指の間にはさめ、それを瓶の側面にあてがった。


 魔法陣が光を帯びる。


(三の章八『秘匿の息吹』)


 瓶の中で異変がおこる。

 液体のかさが目に見えて減っていく。

 液体は細かな飛沫となって空気中に飛び出し、エイジクロウの巣に散布される。


 魔法を使うと魔法陣が熱をもつ。

 ラフィータの指先で突如炎があがった。

 紙が燃えていく。すべてが焼け落ちるより早くラフィータは紙を足下に投げ捨てた。


 すっかり軽くなった瓶に蓋をして、足下でくすぶる紙片をぐりぐりと踏みつけて消火する。


 試しに巣に触れてみると、糸は手にくっつかなかった。

 ベッコウの体液が粘着力を根こそぎ奪ったようだ。


 ラフィータはぴょんと巣に飛び込んだ。


 柔軟性のある糸は千切れずに彼の体重を支えてくれる。

 巣は地面に対し斜めに作られており、見た目以上に寝心地が良かった。


「ハンモックに似てるかな。アーサもどう? べたつきもあまり気にならないよ」


 アーサは首をかしげている。主人がとった行動の意義が分からないようだ。


「アーサ、僕らはこうして餌になるのさ」


「なるほど……」


 アーサがラフィータのすぐ横に飛び込んでくる。

 巣が大きく振動するが、糸はやはり千切れない。


「このまま待つよ」


「ほかの魔獣が襲ってこないでしょうか」


「可能性はある。そのときは撃退すればいい。なんなら死体を巣に引っかけて、遠くで待機する手もあるし。エイジクロウに空を飛ばれると面倒だから、奴らが直接寄ってくるこの方法が僕は好きだけど。木の上よりも寝心地がいいしね」


 冒険者の中には専用の罠をこしらえる人もいるって話だけど、機会があれば教わってみたいかな。そんなことを言いながらラフィータはうーんと伸びをした。


 雲の流れるのをぼんやり見てるとまぶたが重くなってくる。

 ラフィータはくああ、っとあくびをする。


「マスター」


 横を見ると、アーサがラフィータの顔を見つめていた。


「どうした」


「マスターは魔獣について、よく知ってらっしゃるのですね」


「ああ、うん。ここに来る前、ある人に戦いのいろはを叩き込まれたからね」


「ある人」


「冒険者を引退して、隠居していた老人でね。ベルモンドって名乗ってた。本名かどうかは結局分からずじまいだったけど……。僕は彼に師事して、一年のほとんどを『溜まり』でずっと生活してたんだ。強くなる、それだけが目標だったから」


 アーサは目を見開いた。


「『溜まり』で暮らしていたのですか」


「そうだよ。場所はここからずっと東、今いるラスターク王国の国領を出て、さらに国境を六つまたいだ所。そこには小さな国があったんだ。その『溜まり』は弱い攻性魔獣しか出現しないから、冒険者ギルドも対処に乗り出さなくてさ。修行にはうってつけの環境だった」


「…………」


「…………」


「もっと」


「こんな話、聞いても楽しくないだろう」


 身の上話を避けたいラフィータは渋い表情でアーサを見やる。


 対照的にアーサの瞳は輝いていた。尻尾がぱしぱしと巣を叩いているのだろう。生じた振動が先ほどからずっとラフィータの体に伝わってくる。催促されているようだ。


「ずっと知りたかったんです。マスターが冒険者を始めた理由とか、どうしてそんなにお強いのか、とか。いけないことですか」


「ううん。でもね、それはアーサがこの世界の事をもっと知ってから、お前がもっと成長してから話したいんだ」


「もっと勉強したら、お話してくれますか」


「ああ、いずれ。僕がこうして旅をするわけも、お前と契約を交わした理由も、全て話すから。今は我慢して」


「はい。頑張ります」


 アーサはごろりと寝返りをうち、楽しげに鼻歌を口ずさみ始めた。


 魔獣の生息域でのんきなことだと思ったが、口を挟むのも無粋な気がして、結局ラフィータはアーサの歌を横で聞きながらつかの間の惰眠をむさぼることにした。










 ラフィータの眉がぴくりと動く。

 彼は目を開いた。


(来た)


 ラフィータは巣に寝転がったまま、背中に隠した武器を握りしめる。


 ばさばさという羽ばたきが聞こえる。

 ラフィータの頭上に影がかかる。


 エイジクロウが姿を現す。

 魔獣は大地に降り立って、巣に張りついたまま動かない冒険者をじっと見つめている。


 エイジクロウは怪鳥と呼ぶに相応しい見た目をしていた。

 広げた翼は横幅がラフィータの身長に匹敵する。

 首が異様に長く、そして細い。首先についた頭部には目が一つしかない。単眼種である。

 目が一つしかないなら足も一本しかない。鋭利なかぎ爪が地面を鷲づかみしている。


 この魔獣を特徴付けるのは、羽毛の代わりに全身を覆うもっさりとした糸の束だ。

 編み込まれた糸の束は滝のようになって全身から垂れ下がっている。

 それは巣を作る糸を利用した独自の鎧であり、魔獣の牙はもちろん、冒険者の武器からも身を守ってくれる。


「ガアアア!!」


 エイジクロウが鳴き声を上げた。

 クチバシが、カチ、カチ、と音を立てる。鎌のように鋭くねじ曲がったクチバシは肉をえぐり取るのに最適な形をしている。


 エイジクロウが羽ばたく。低空で飛行し、鋭利なかぎ爪でラフィータに掴みかかろうとする。この魔獣、足の裏に伸縮自在の針を仕込んでいる。獲物に掴みかかり、しっかりと足を固定した上で針を突き刺して攻撃するのだ。


 喉元にかぎ爪が迫る。

 ラフィータは落ち着いていた。


 彼は突然飛び起きて、握っていた武器を振るった。


 武器、と言っても武器とも呼べないしろものだ。それはいわゆる熊手を大きくしたような物体で、長い柄の先に何本も取りつけられた細い鉄棒がかぎ爪状に曲がっている。厩で干し草をかくフォークに似ているかもしれない。


 熊手の先端がエイジクロウの翼に突き刺さる。

 ねじ曲がった鉄棒は丁度エイジクロウの体毛にからまった。


 エイジクロウが暴れるも、熊手は翼をしっかり掴んで離れない。


 ラフィータは熊手ごとエイジクロウを地面に叩きつけた。

 熊手の柄を足で踏みつけ、間接的に体重をかけてエイジクロウの動きを封じる。


 ラフィータは腰のベルトに突き刺していた鉄棒を両手で握り、それを上から下にすくい上げるようにスイングした。

 エイジクロウの頭部に鉄棒がクリーンヒットする。

 魔獣はびくびくと痙攣して、やがてまったく動かなくなった。


「まず一匹。アーサ、いつもの」


 気絶した魔獣の首を踏みつけてへし折りながら、アーサに指示を出す。


 アーサが背嚢から取り出したのは魔獣の亡骸を収めるためのネットだ。


 アーサがネットを地面に敷く。

 ラフィータが魔獣を転がしてネットの上に乗せる。


 ネットは六角形をしている。その各頂点から伸びる糸を結び合わせ、魔獣を木にぶら下げれば作業は終わる。これで大地に魔獣が飲まれるのを防ぐことが出来る。


「さて、この調子であと二匹、だけど……」


 ラフィータは魔獣除けの効果があるラティスの実を辺りにまきながら思案する。


 彼は空を見上げた。

 時刻はまだ午前中、太陽も半端な高度で照り輝いている。


(余裕あり。今日中にすませるか。早い方が確実だろうし)


 ラフィータは腕を高く掲げ、通信用の腕輪にマナを流す。


「マスター、もう『運び屋』を呼ぶのですか」


「うん。クエスト期限は明後日までだし、エイジクロウの狩猟は明日以降に回すことにした。今日は別の魔獣を狩る」


「別の魔獣?」


 首をかしげるアーサに対し、ラフィータは不敵な笑みを浮かべた。


「『ゼブラ』だよ」













 冒険者ギルドでは、狩猟対象以外の魔獣を狩ることを原則として禁じている。

 これは魔獣の乱獲を防ぐための処置である。


 ギルドとしては魔獣を乱獲されるのは好ましくない。

 その理由して、ギルドが安定した魔獣の供給を目指していることが大きい。


 冒険者ギルドは国から『溜まり』の管理を任されると同時、大手の商会と提携し、市場に『溜まり』産の素材を供給することで利益を上げている。市場に無用の混乱を引き起こすことは利益の低下に繋がるため、冒険者ギルドとしては時期に応じた市場の需要を満たすことが何よりの目的となる。


 ところで、魔獣の乱獲は『溜まり』の生態系に影響を及ぼす。魔獣を狩りすぎることで『溜まり』が活性化してより強力な魔獣が出没し始めたり、逆に不活性化して低レベルの魔獣しか出没しなくなったりする。


 こうなると、冒険者ギルドは困ってしまう。


 ギルドは『溜まり』の生態系を事前に調査してどのような魔獣が出没するかを公表し、それに応じて素材入手の委託を受けている。やっぱりこの魔獣は出没しません、代わりにこの魔獣が一杯出没するようになったので素材をもっと買ってください、などとは言えないのだ。


 以上の理由で、ギルドには冒険者による魔獣の狩猟を管理し、統制していく必要性が生じる。

 狩猟クエストにて対象以外の狩猟を禁じるのもそのためであるが――――


「構わないのさ。殺しても」


 ククリナイフが乱舞する。

 悲鳴と同時に血しぶきが上がり、魔獣がまた一つ骸に変わる。


 相対するのはクルルッカと呼ばれる魔獣の群れだった。

 狼に似た魔獣で、体長と同じくらいに伸びた尻尾が特徴的だ。尻尾は羽毛に似た毛が扇子のように広がっており、どことなく孔雀を思わせる形状をしている。


 ラフィータは転がっていた死体の足を無造作に掴み、振り回して放り投げる。

 残忍な行為に萎縮したのか、クルルッカは襲ってこない。


「基本的に罰則は無い。だってそうだろう。『溜まり』で魔獣に襲われても、対象じゃないから反撃を禁じるって。そんな横暴が許される権利はギルドには存在しない。人的資源も有限だしね。あくまで決まり事なんだ。皆さん、食い扶持を減らしたくなければ仲良く守りましょうって」


 ラフィータは一歩前に出る。

 クルルッカの群れは敗走を始めた。ラフィータは追わない。クルルッカは所持するマナの量が少ないためだ。群れを全滅させたところで見返りが少なすぎる。


「ええと。『せいとうぼうえい』、でしたっけ。そんな言葉を、以前に教わったような」


 同じくククリナイフを手にしたアーサが顎の汗をぬぐった。

 彼女は二匹のクルルッカを屠っている。


「うん。で、アーサ。話は変わるけど、これから僕は『悪いこと』をするんだ」


 アーサは不思議そうな表情をした。


「悪いことは、してはいけないのでは? マスターはそうおっしゃってました」


「そうだね。悪いことはしちゃいけない。でもアーサ、この世には『時と場合によっては』とか、『必要上に迫られて』なんていう便利な言葉があるんだ。

 さっきお前が言っただろう。『正当防衛』って。それと同じだよ。つまりね、相応の理由があれば『してはいけないこと』が『してもいいこと』になる場合もあるってこと」


「『いけないこと』が、『いいこと』に……?」


 アーサが眉間に皺を寄せて考え込む様子を見て、ラフィータは首をかしげた。


(あれ、意外と考え込むな……)


 これまでアーサには物事を『良いこと』と『悪いこと』に分けて教えてきた。

 ただしそれはラフィータが教えてきたことを鵜呑みにしているに過ぎない。つまりは、善悪の彼我はラフィータの言葉によって定められ、それがアーサの中で絶対的な基準となっている。


 今回教えたことはその基準を根本から覆すものだ。

 ラフィータは期待している。

 兆候はあった。昨日の命令無視が典型だ。

 さきほど『正当防衛』という言葉がすんなりと出てきたことも。


 これまで漠然ととらえてきたものを、本格的に考え出すきっかけになればとラフィータは思う。

 『悪いこと』が理由次第で『良いこと』になる。その逆もまた然り。

 上手くいけば、アーサは新たな視点を獲得することになる。

 なぜそれが『良いこと』で、なぜそれが『悪いこと』なのか。

 線引きは自分でしなければならない。

 砕かれた善悪の基準を自分で再構成してくれることを、ラフィータは望んでいる。


(まだ早かったのかな……)


 ラフィータの予想に反して、アーサはぺたりと地面に座り込んだ。

 目を回して、体をぐらぐらと揺らしている。知恵熱で頭から湯気が出そうな表情をしている。


「アーサ、大丈夫?」


「りゆう……。でも、それはだめなことで、怒られるし……」


 ラフィータは困った。

 これからまだ移動しなければだが、アーサは考え込んだまま動こうとしない。


「アーサ、例をあげようか。例えば僕は昨日、人前や『溜まり』で抱きついてくることを『悪いこと』と言った。でも今、アーサは足腰が立たない状況だから、それは『してもいいこと』なのかもしれな――――」


 アーサが兎のように跳ね上がってラフィータに抱きついてきた。

 予想外の衝撃を受けてラフィータは倒れそうになる。


「じょ、冗談のつもりだったんだけど……。でも立てるようになった。さ、離れて」


「あ、やっぱり私、立てなくて……」


「息をするように嘘をつくな」











(いた)


 彼は木に登っていた。そこは周囲の木よりもいっとう大きな木で、あたりを見渡すには最適なポイントだ。

 枝の上に腰をかけた状態で、ラフィータは目を細める。


 遠くに動く影がある。

 これだけ離れてなお、ドシン……! ドシン……! という重たい足音が聞こえる。


(大きい)


 『ゼブラ』が視界に映る。

 体高は五メートルを越すだろうか。

 魔獣は四つの足で歩いていた。しかし頭部が見あたらない。唯一、首のような出っ張りだけが見える。

 この魔獣は胴体に四つの足がついた見た目をしているのだ。骨格的にはイノシシから鼻をそぎ落としたものに近い。


 『ゼブラ』の皮膚は見えない。それは体毛に覆われているからではない。


「あれは、木で覆われているのですか」


 アーサはラフィータの肩に顎を乗っけた状態で話す。


 アーサの指摘通り、ゼブラの全身はへし折られた木の枝で覆われていた。

 習性なのだ。ゼブラの体表は粘着力の高い粘液で覆われていて、木の枝を折っては体表の粘液に埋め込むようにしてひっつける。何重にも重ねられたそれは下手な体毛よりもよほど強力な鎧として機能する。


「アーサ、あまりあれを直視するな」


「え、あ……れ。なにか、しましまで、え……」


「え、もうか」


 アーサが枝の上でバランスを崩し始めた。木がミシミシと音を立ててゆれる。

 ラフィータはアーサの目を手で覆い、体を支えてやる。


「アーサ、治癒スキルの行使を許可する。自分にかけろ」


「はい……」


「魔獣が白黒に見えたろう。『ゼブラ』と呼ばれる由縁だよ」


 ゼブラが保有するスキルである。ゼブラを直視し続けると、その体の表面が突然白黒の縞模様に見え始める。縞模様は白黒が交互に入れ替わって点滅する。この点滅は視認した人間の平衡感覚を狂わせ、強い吐き気を引き起こし、ひどい場合は発狂するまで追い込む。


 実際に白黒に点滅しているわけではない。いわゆる幻覚を見せるスキルである。

 ラフィータはスキルによる攻撃から身を守るマナ操作のテクニックを持っているため、ゼブラをいくらでも見ていられる。が、アーサにはきつかったようだ。


「しっかりしろ」


「治癒スキルが、発動しなくて…………」


「仕方ないな……」


 アーサを抱えて下に下りようとした決意した瞬間だった。


 ぞわりと、

 全身の皮膚が泡立つ。


(え……)


 本能が警鐘を鳴らす。


 はっとして振り返ったラフィータの視界に、チカチカと点滅する光が見えた。


 星の瞬きのような光が、一瞬にして視界いっぱいにふくれあがって――――












 その一瞬、空に向かって一本の線が引かれた。

 気持ち良いほど真っ直ぐな、まるで定規で引かれたような。


 それは災いの到来すら感じさせる禍々しい赤線で、

 裂かれた空間から血がにじむようにも見えた。


 スキル『顕界砲アトミックバースト


 鉄をも溶かす滅びの熱線がラフィータに襲いかかった。

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